平安神宮の屏風と下絵、歴史画と動物画を、作品の形式から読み解きます。

竹内栖鳳の絵を、完成までの過程から見る
竹内栖鳳(1864–1942)は猫や鳥を描いた名手として親しまれる。だが、動物の毛並みや姿勢だけを見ていると、絵の大切な部分を見落とす。若いころの襖絵には部屋を横切る山水があり、歴史画には音に驚く兵士がいる。新築された平安神宮を描いた屏風には実地の取材と大きな下絵が関わり、晩年の家鴨は二曲一双の空間に配される。栖鳳にとって写生は、見たものをそのまま写す最終目的ではなく、画面を作るための材料を得る行為だった。 [1] [2] [3]
京都市美術館が2013年に開いた下絵・素描展は、この点を具体的に示した。館の解説によると、残された写生帖は百冊を超え、ひとつの作品のために対象を繰り返し見たり、構図を幾度も検討したりした。計画が完成作にならないこともあったという。完成した絵の線がためらいなく見えるからこそ、そこに至る選択をたどりたい。以下では、個々の所蔵番号が確かめられる作品を軸に、絵の種類ごとに異なる仕事を見ていく。 [3]
水鳥の羽音を描く歴史画
《富士川大勝》の題材は、治承4年(1180)の富士川合戦である。文化遺産オンラインの作品解説は、水鳥が飛び立つ羽音に平維盛の軍勢が驚き、逃げ惑う場面と特定している。絵を見る側には羽音そのものは聞こえない。それでも水鳥と人の反応を同じ場に置けば、出来事の原因と結果を読むことができる。ここで鳥は、後年の動物画の予告編ではなく、物語を動かす役割を持つ。 [5]
ひと目でわかる竹内栖鳳
- 生没年1864–1942年
- 活動地京都
- 分野近代日本画・写生
- 主な作品《富士川大勝》《円山公園・平安神宮》《班猫》
目次
同じ解説は、狩野派や四条派などの描法を取り入れた作品と述べ、京都市工芸品展への出品も記録する。いくつもの伝統を一幅に選び取ることと、近代の展覧会で人々に見せることは矛盾しない。掛幅という縦長の画面は、折れ曲がる屏風とは別の視線を求める。栖鳳は水鳥の飛翔と軍勢の動きを一場面に凝縮し、見る者が音と混乱を補うようにしている。ただし、鳥の姿が特定の日の写生から直接移されたとは資料が示していない。作品に即して言えることと、もっともらしい制作談を分けておく必要がある。 [5] [4]
襖の山水から都市の屏風へ
明治22年(1889)の《漁樵山水図》は、京都国立近代美術館が八面の襖絵として所蔵する。紙本に墨と色を用いた画面を、ウェブ上では一枚の細長い図版として眺めがちだ。しかし襖は部屋の仕切りであり、人は出入りや座る位置によって見える範囲が変わる。八面を連ねる構成は、額に収めた一点の風景と同じ条件で描かれたわけではない。栖鳳の初期作品を見る際にも、描かれた山水だけでなく、それを受け止める建築と人の移動を想像したい。 [6]

国立国会図書館の略伝は、栖鳳が土田英林、幸野楳嶺に学び、円山四条派を基礎としながら新しい観察の方法を取り入れたと説明する。これは伝統を捨てたという意味ではない。何を描くかによって、襖、掛幅、屏風を使い分け、受け継いだ筆法を働かせる場所を変えたと見るほうが、作品に近い。明治22年の襖、明治27年の歴史画、明治29年の名所屏風は、その差を一つずつ確かめられる組み合わせである。 [1] [6] [5] [8]
《円山公園・平安神宮》は明治29年(1896)作。平安神宮は平安遷都千百年を記念して前年に建てられた。文化遺産オンラインによれば、左隻に新しい神宮を俯瞰的にまとめ、右隻に桜の名所である円山公園を置く。記念行事の関係者に贈られた一双でもある。古都を記念するために生まれた新しい建物と、すでに親しまれていた公園を対にする。その組み合わせは、京都の記憶を単に昔へ遡らせるのではなく、明治の都市で作り直す行為だった。最後の一文は作品の用途と題材からの読解であり、栖鳳本人の言葉としては扱わない。 [8]

屏風の折れ目は、写真を平面に並べたときほど無意味ではない。実物では、観客の立つ位置と折り方で屋根や道の間隔が少しずつ変わる。左隻の神宮を上から見る構図も、一枚の地図に置き換えられない。建物の配置を読み取らせながら、絵としての遠近や余白を整える必要がある。しかも右隻の公園と対になってはじめて、名所をめぐる一双の時間が生まれる。ColBaseの部分写真は細部を見せてくれるが、最終的には一双の形式へ視線を戻さなければならない。 [8] [9]
本画の隣に残った大きな下絵
東京国立博物館には、同じ明治29年の《平安神宮下絵》も伝わる。長さ378.2cmに及ぶ一枚の紙の下絵で、ColBaseでは A-12480 として本画とは別に登録される。国立文化財機構の収蔵報告は、区画と構図から《円山公園・平安神宮》左隻の原寸大の下絵とみられると記す。ここでの「みられる」を消して断定する必要はない。資料が示す確からしさを保ったまま比較すれば、二点の関係は十分に興味深い。 [10] [11]

本画と下絵を隣に置くと、よくある「制作前/制作後」という説明だけでは足りないことが分かる。建物のどの輪郭が残り、どこでまとまりが変わったか。道や植栽は視線をどちらへ導くか。屏風の折れ目に当たるところで、形はどのように続くか。具体的な答えは、対応する部分画像を照合してから初めて書ける。京都市美術館の2013年展は、写生や下絵を重ねても完成画には苦心の跡が見えにくいことを指摘した。この二点は、その一般論を所蔵番号のある実物で検討できる貴重な組み合わせである。 [3] [8] [11]
屏風と下絵の屋根を比べる
画面上の番号から完成屏風と下絵の画像を開けます。二点は別々の所蔵番号です。
この場所を後の写真でも見ることができる。国立国会図書館の「錦絵と写真でめぐる日本の名所」には、明治40年(1907)6月刊の《京都名所帖》に載った平安神宮の写真がある。撮影日そのものは不明なので、「明治40年6月までに撮影された写真」とする。栖鳳の屏風より十年以上後の眺めであり、画家の写生場所や視点をそのまま記録した写真ではない。のちの名所写真と屏風を並べる価値は、両者の視点が一致するからではなく、同じ新しい神宮を異なる目的で見せる点にある。 [12] [13]

渡欧後も続いた画面への問い
国立国会図書館は、栖鳳が明治33年から翌年にかけて渡欧し、帰国後に号の字を「棲鳳」から「栖鳳」に改めたと記す。京都市京セラ美術館の2023年展は、1900年パリ万国博覧会の見聞と西洋美術との接触を、既成の枠を越えようとした活動の一部として捉えた。こうした旅を画風の唯一の起点にしては、渡欧以前の歴史画と名所屏風で既に行っていた工夫が見えなくなる。逆に、西洋との出会いを飾りとして軽く扱えば、栖鳳が比較できる視覚経験を増やした意味を失う。作品を一つずつ確かめる中間の見方が必要である。 [1] [2]
同館の展覧会には1903年のローマを描いた作品、1904年の《ヴェニスの月》、1901年頃の《虎・獅子図屏風》などが出た。都市、夜景、動物という題名だけでも題材の広さは分かる。しかし、どれか一作について「この西洋画家のこの作品を写した」と述べるには、別の証拠が要る。各作品の詳細は参照先の所蔵館記録で確認できる。 [2] [14]
京都国立近代美術館の《蕭条》は明治37年頃(1904)、六曲一双の絹本着色屏風である。英語作品名は同館が Willow Trees on the Frosty Riverside としている。細長い川辺と冬の気配は、明治29年の平安神宮屏風のように、特定の記念行事と建物の配置を伝える役目とは異なる。同じ一双の形式でも、画面に求められる時間と空気は変えられる。所蔵記録には楳嶺十周年祭の追悼展への出品が記され、師とのつながりが渡欧後も公の場に残っていたことが分かる。 [15]

この時期以降の作品を風景と動物だけでまとめることもできない。京都市京セラ美術館の《絵になる最初》は1913年の絹本着色の掛幅で、所蔵館は183.1 × 87.4cmと記す。障子を背にした女性が顔の前に手を上げ、脱いだ着物を手放しきれずに身体を覆う。足元には解いた帯がある。館は青・灰・黄土色の模様を、恥じらいや困惑する心の暗示として読む。絵を見る側がその読みを検討する際にも、人物が誰であったか、どの言葉を口にしたかを資料なく補うべきではない。屏風とは異なる細長い画面に、一人の姿と周囲の空間をどのように収めたかを見ることができる。所蔵館の作品記録に詳しい情報がある。 [22]
《富士川大勝》も掛幅だが、人と鳥が合戦の物語を動かした。《絵になる最初》では、身体を隠そうとする一人の姿勢が見る者に出来事を考えさせる。両者を同じ「縦長の栖鳳画」と呼ぶだけでは、この距離の差が消える。一方、1896年の屏風では複数の建物と名所を広い折り畳み画面に配置した。栖鳳の幅広さは、対象の種類の多さだけでなく、画面の条件が変わるたびに見る者との関係を作り直した点にある。この比較は三作品の所蔵館が示す形式と年代にもとづく編集上の読解である。 [5] [8] [22]
動物を観察し、動物を配置する
京都市美術館の下絵展解説は、栖鳳が鳥獣を家で飼うこともあり、外形だけでなく生態を観察したと述べる。ただし、その記述から特定の猫、家鴨、虎を飼っていたとは導けない。画面に生きた気配を与えるには観察に加えて、何を省き、どの大きさで、何と何を向かい合わせるかを決めなければならない。動物画を単なる写実技術の見本にしないために、小さな画帖と大きな屏風を比べてみよう。 [3]
国立国会図書館の「栖鳳画伯筆十二支帖」は、十二支を扱う一冊の画帖として公開されている。掲載された十二葉を十二点の独立した本画に数え直すことはできない。小さな紙面の中では、動物の特徴を選び、姿を凝縮する必要がある。画帖の画像は、描かれた動物の表現だけでなく、複製・出版を通じて見る人の手元に届く形式も伝える。個々の葉の制作日や元絵の所在を、書誌情報以上に推測しない。 [16]
英国の大英博物館は、1901年の《栖鳳習画帖》を別の印刷物として登録している。登録番号は 1981,0805,0.1.2。国立国会図書館の十二支帖とは題名も資料も分けて扱う。1901年という年が渡欧の時期と重なるからといって、この本の各図が旅先で描かれたとは目録から言えない。絵が印刷物を通じて広がったことを示す資料として有用である。 [24] [16]

有名な《班猫》は大正13年(1924)の作品で、山種美術館が所蔵する。同館は沼津で見かけた猫との出会いと、その後の観察について説明している。文化遺産オンラインの重要文化財登録では字を《斑猫》とするが、二つは同一作品を指す表記の違いである。猫の姿勢や斑紋への関心は栖鳳の観察を考える大切な入口になる。作品については所蔵館の解説と重要文化財の記録を合わせて読むことができる。 [18] [19]
米国のメトロポリタン美術館には1916年の掛幅《老松鸚鵡図》がある。画面部分は141.6 × 51.1cmで、館は古い松にとまる桃色と白の鸚鵡、その下の密な松葉を説明する。明るい鳥の体とねじれた古木を、細長い画面でどう釣り合わせるかが見どころになる。館は栖鳳と西洋の写実についても解説するが、この鸚鵡の直接の手本となった西洋作品まで特定していない。所蔵館の作品記録で題名と寸法を確認できる。 [23]
《若き家鴨》は昭和12年(1937)の二曲一双で、京都国立近代美術館が所蔵する。記録には第一回新文展への出品が明記される。保存した一双の画像では、複数の若い家鴨が二つの画面のあいだに配置されている。個体の細部を拡大して筆順を断定するには1024pxの全図は足りないが、体の向き、間隔、空白の働きは読める。画帖の一葉と並べれば、同じ「動物」という語だけでは説明できない、見る距離と形式の差が現れる。 [20]

《班猫》も《若き家鴨》も渡欧から長い時を経て描かれた。前者の指定文化財としての評価、後者の新文展出品という後世まで続く制度上の位置づけは重要だが、作品を見る問いをそれだけで閉じてはならない。明治の富士川では鳥が物語の原因になり、昭和の家鴨では互いの位置関係が画面を作る。栖鳳の動物表現は、種を正しく描けるかどうかだけでなく、動物をどんな場に置くかまで含む。 [5] [19] [20]
教えることと、新しい画面を探すこと
栖鳳は京都の学校と自らの竹杖会で多くの後進を育てた。国立国会図書館は上村松園を、ひろしま美術館は土田麦僊を門下に挙げる。とはいえ松園の人物表現を栖鳳作品の一変種として読んでは、彼女自身が選んだ主題と制作の道筋を失う。各作家にはそれぞれの作品ページと伝記が必要である。栖鳳の伝記では師弟関係の年代と制度を詳しく扱い、ここでは制作と教育の場が重なっていたことを確認しておきたい。 [1] [2] [21]
文展の創設時から審査員となった1907年、帝室技芸員となった1913年、第一回文化勲章を受けた1937年という節目は、作品を取り巻く場の変化も示す。《若き家鴨》の新文展出品は、長く公的展覧会に関わった画家が晩年にも新しい展示の場に参加したことを示す。栖鳳の晩年を「すでに完成した名人」の一言で片づけず、制作と発表の継続として見るべきだろう。 [1] [20]
2023年の京都市京セラ美術館の回顧展は、完成作品に加えて下絵、素描、古画の模写などを展示し、約130点から栖鳳を見直した。そこから学べるのは「下絵があるから完成作の秘密がすべて解ける」という単純な教訓ではない。資料ごとに答えられる問いが違う。作品記録は寸法と所蔵を確かめ、下絵は構成の可能性を示し、古写真は後年の建物の姿を伝え、画帖は絵が流通した形を教える。それらを混同せずに読むと、確かな線に至るまでの選択が少しずつ見えてくる。 [2] [3] [11]

最初に戻って作品の形式を確かめよう。襖は室内を動く人のために、掛幅は縦の一場面のために、屏風は折れ目を含む広い空間のために作られた。下絵は完成画を理解する手がかりだが、完成画そのものではない。名所写真は場所を知る資料だが、画家の眼をそのまま再現しない。この違いを一つずつ見分けることが、栖鳳の「写生」と「近代化」を抽象語のままにしない最もよい方法である。 [6] [5] [8] [10] [12]
よくある質問
読者との対話
作品記録、下絵、後年の写真を分けて考えてみましょう。
鑑賞の手がかり
同じ屋根の形を、下絵と屏風でどう見比べられますか。
1896年の屏風と1907年刊の写真は、それぞれ何を示しますか。
画帖の虎と屏風の家鴨では、見る距離はどう違いますか。
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参考資料
- 国立国会図書館「竹内栖鳳」近代日本人の肖像。
- 京都市京セラ美術館「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」2023年展覧会概要。
- 京都市美術館・国立新美術館Art Commons「下絵を読み解く―竹内栖鳳の下絵と素描」2013年展覧会概要。
- 東京国立博物館・ColBase「富士川大勝」`A-10566`。
- 文化庁・文化遺産オンライン「富士川大勝」。
- 京都国立近代美術館・国立美術館所蔵作品総合目録「漁樵山水図」`J00892`。
- 独立行政法人国立美術館「所蔵作品総合目録検索システム利用規約」。
- 文化庁・文化遺産オンライン「円山公園・平安神宮」。
- 東京国立博物館・ColBase「円山公園・平安神宮」`A-11781`。
- 東京国立博物館・ColBase「平安神宮下絵」`A-12480`。
- 国立文化財機構「令和2年度年報・収蔵品報告」《平安神宮下絵》に関する記述。
- 国立国会図書館「平安神宮」錦絵と写真でめぐる日本の名所、および画像の利用案内。
- 国立国会図書館デジタルコレクション「京都名所帖」1907年6月刊、PID `765647`、ページ `R0000017`。
- 海の見える杜美術館「竹内栖鳳コレクション」。
- 京都国立近代美術館・国立美術館所蔵作品総合目録「蕭条」`J00140`。
- 国立国会図書館Image Bank「栖鳳画伯筆十二支帖」。
- 国立国会図書館Image Bank「画像利用について」。
- 山種美術館「竹内栖鳳《班猫》とアニマルパラダイス」。
- 文化庁・文化遺産オンライン「斑猫」。
- 京都国立近代美術館・国立美術館所蔵作品総合目録「若き家鴨」`J00041`。
- ひろしま美術館「竹内栖鳳」。
- 京都市京セラ美術館「絵になる最初」1913年の所蔵作品記録。
- メトロポリタン美術館「Parrot on an Ancient Pine(老松鸚鵡図)」1916年、所蔵番号 `2021.322`。画像状態は公開APIで確認。
- 大英博物館「Seihō shūga-chō(栖鳳習画帖)」1901年、登録番号 `1981,0805,0.1.2`。



