この一覧には十五世紀の水墨画から江戸・明治の絵画、浮世絵、版本まで、十三人の画家と版画家を収めています。俵屋宗達の扇、料紙、屏風も加え、時代や表現方法から作品を探せます。
時代と表現方法の区分は、作者を一つの流派に閉じ込めるためのものではありません。たとえば浮世絵には木版画と肉筆画があり、版画は絵師の下絵だけで完成しません。版元、彫師、摺師も制作に関わります。メトロポリタン美術館の解説 [3] は、役者や遊女の図から名所絵まで主題が広がった経緯を示します。光琳を琳派の歴史から見ることと、若冲の絹本着色や寺院との関係を見ることも、同じ枠へ押し込むより有益です [2] [4]。
まず作者の概説を開き、生涯や作品の個別ページへ進んでください。版画には同じ図柄でも異なる摺りがあり、画像から特定の所蔵品について語るには、所蔵先と番号の確認が必要です。
十三人の作家

雪舟等楊
雪舟は寺院の人々とのつながりの中で活動し、明にも渡りました。山水画の筆線や賛を読むだけでなく、後世の模本や「雪舟筆」という伝称がどのように生まれたかもたどれます。
《秋冬山水図》冬景、東京国立博物館 A-1398 ColBase/東京国立博物館 A-1398。画像を縮小して掲載。

尾形光琳
光琳の造形は屏風だけでなく、漆工や弟の乾山と関わる陶器にも広がります。メトロポリタン美術館の《八橋図屏風》と根津美術館の《燕子花図》は別の屏風です。橋の有無から見比べられます。
作品・連作 (2)
《八橋図屏風》、メトロポリタン美術館 53.7.1–2 メトロポリタン美術館 53.7.1–2、CC0。

伊藤若冲
若冲は鳥や植物を絹本着色と水墨で描きました。《動植綵絵》の三十幅は、それぞれを独立した珍品として見るだけでは足りません。釈迦三尊像とともに寺院で用いられた背景も大切です。
作品・連作 (1)
《鶏と葡萄》、メトロポリタン美術館 1975.268.69 メトロポリタン美術館 1975.268.69、CC0。

喜多川歌麿
歌麿の美人画では、描かれた人の名や版元、摺りの違いを確かめたいところです。虫・貝・鳥と狂歌を合わせた絵本へ進むと、大首絵だけでは見えない出版の仕事が現れます。
《当時三美人》の図柄。現物の摺りは未特定

東洲斎写楽
写楽の役者絵は短い期間に集中しています。顔の表情だけでなく、上演月、役名、衣装、版元を照らし合わせると一枚の背景が見えます。作者の正体は確定した話として扱いません。
作品・連作 (2)
《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》、アムステルダム国立美術館 RP-P-1963-16 アムステルダム国立美術館 RP-P-1963-16、パブリックドメイン。



歌川国芳
国芳の三枚続きには物語の迫力がありますが、水滸伝の武者絵、猫の見立て、役者、風景などにも仕事が広がります。題名や年代を調べる際は、図柄だけでなく連作と現物の摺りを確認します。
作品・連作 (3)
《相馬の古内裏》の図柄。現物の摺りは未特定
月岡芳年
国芳門下に学び、芳幾との競作、新聞錦絵、歴史画や女性像を経て《月百姿》などの長い連作へ進んだ。図柄の刊行年と所蔵品の摺りを分けて、江戸から東京への制作をたどれます。
月岡芳年《月百姿 煙中月》、メトロポリタン美術館 2007.49.310 メトロポリタン美術館所蔵、パブリックドメイン。
円山応挙
写生帖から掛軸、屏風、寺院の障壁画へ。観察した形が物語、季節、部屋の空間の中でどう変わるかを、所蔵品の記録とともにたどります。
円山応挙《柳枝の白鷺》(和題は仮訳)、クリーブランド美術館 1997.108 クリーブランド美術館、CC0。
河鍋暁斎
国芳と狩野派に学び、掛軸、版画、版本、画帖を作り続けた暁斎。年代の分かる作品と記録から、その画業と生涯をたどります。
河鍋暁斎《猿を襲う鷲図》、メトロポリタン美術館 14.76.64a メトロポリタン美術館、パブリックドメイン。
菱川師宣
保田の縫箔の家に生まれた菱川師宣は、江戸で版本、一枚摺、肉筆画を手がけました。1672年の在名本から最晩年まで、作品と記録をたどります。
菱川師宣《衝立の傍らの遊女と若衆》。メトロポリタン美術館 2020.195、パブリックドメイン。
俵屋宗達
扇、色紙、巻物、墨画、屏風。宗達の作品と俵屋の共同制作を、本人作と工房作を区別してたどります。
俵屋宗達《伊勢物語図色紙 住吉浜》、クリーブランド美術館 1951.398 クリーブランド美術館、CC0.
時代から探す
室町時代:雪舟等楊の水墨画へ。十五世紀の制作だけでなく、後世に誰が作品を学び、模写し、雪舟作と伝えたかも重要です。京都国立博物館の「雪舟伝説」 [1] は、その受容の長さを示します。
江戸時代:光琳・若冲・歌麿・写楽・北斎・広重・国芳は十七世紀から十九世紀にかけて活動しました。同じ時代名の下でも、光琳の屏風と意匠、若冲の絵画、後期の浮世絵出版は別の制作環境にあります。写楽の確認できる活動期間は寛政六年から翌年にかけてと短く、人物の正体はなお議論があります [5]。
明治時代:月岡芳年の仕事は幕末の武者絵から明治の新聞錦絵、《月百姿》や《風俗三十二相》へ続きます。江戸の出版文化を受け継ぎながら、東京の新しい読者にも向き合いました。
表現と流派から探す
水墨画:雪舟の山水画と、後世の模本・伝称を比べます。琳派:光琳の屏風や工芸に関わる意匠から入りましょう。「琳派」は後の時代に用いられた呼び名で、全員が同じ工房に属したという意味ではありません [2]。京都の絵画:若冲の鳥や植物は、絹本の掛幅や寺院での用途を含めて見ます [4]。浮世絵:歌麿、写楽、北斎、広重、国芳を、女性像、役者、風景、武者絵、絵本という異なる入口から探せます。
北斎と広重は名所絵への入口ですが、どちらも風景版画だけの作者ではありません。京都をめぐる視覚文化と、十九世紀に人気を得た浮世絵の風景表現との関係も見ておきたいところです [6]。歌麿には狂歌絵本、国芳には物語や戯画、写楽には短期間の役者絵という、それぞれ異なる出版の現場があります。



