橋を斜めに切る夕立を、五つの細部と四つの現存する摺りから読む。

橋を渡る夕立
歌川広重《大はしあたけの夕立》では、橋を渡る人々が突然の雨を受け、急いでそれぞれの岸へ向かう。縦長の紙を橋が斜めに横切り、隅田川の向こうには暗い空と雨に隠れた安宅がある。一八五七年に『名所江戸百景』の一図として刊行された。メトロポリタン美術館のJP2522 [1]は年と橋を記録し、東京富士美術館の日本語解説 [2]は、描かれた大橋が現在の新大橋にあたると説明する。
これは「雨が上手に描かれた絵」というだけではない。橋は目を向こう岸へ運び、往復する人影は目を手前へ戻す。雲は上で濃くなり、細い雨は橋、川、遠景を一緒に包む。本頁の所有者提供画像には、遠い岸の淡い屋根三つと橋の下の筏も見える。五点の細部注釈でそれらを確認し、さらにメトロポリタン美術館の四つの別々の摺りを比べる。図柄の構想と個々の紙の状態を分けるためである。
要点
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 絵師 | 初代歌川広重(一七九七〜一八五八年) |
| 日本語題名 | 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 |
| 英語題名 | Sudden Shower over Shin-Ōhashi Bridge and Atake など |
| 連作 | 『名所江戸百景』 |
| 図柄の年代 | 一八五七年。大英博物館の初期の摺り [3]は九月に比定 |
| 技法 | 縦大判の色摺り木版画 |
| 場所 | 隅田川の大橋、後の新大橋と対岸の安宅 |
| 版元 | 魚屋栄吉 |
| 本頁の冒頭画像 | 所有者提供の図柄の再現。撮影対象の摺りと摺りの時期は未特定 |
大橋と安宅はどこか
橋は画面左下に近いところから中央を通り右へ伸びる。橋の上と人の頭を見下ろし、その向こうに川と霞む岸が広がる。文化庁文化遺産オンラインの東京国立博物館所蔵品解説 [4]は、大橋を後の新大橋とし、両国橋の下流に位置づけ、橋下の筏と雨に隠れた安宅を記す。東京富士美術館 [2]と神奈川県立歴史博物館 [6]も安宅を対岸の地名として説明する。安宅はもう一本の橋の名ではない。
地名を知っても画面は地図にはならない。人の頭と橋の斜線を高い所から見下ろし、川を水平に眺め、雨雲を見上げる。大英博物館の展示解説 [3]が挙げる三方向の視線が、狭い紙を広い都市の景に変える。クリーブランド美術館の所蔵品解説 [5]は、一八五五年の地震と火災の二年後に描かれた再建済みの大橋に触れる。ただし画面の夕立をその災害の記録にしてはいけない。橋は働いており、一時的な雨が日常の移動を妨げている。
夕立を細かく読む
斜めの橋が道を作る
橋は縦の画面を横断し、手すりと床板が右の安宅へ目を導く。構造を示す線は比較的安定し、その上に雨が別の角度で交わる。規則的な欄干の柱が刻むリズムに細い雨が重なるため、橋の丈夫さと天候の不安定さが同時に感じられる。橋の下には暗い水面が広がり、人がいる場所の高さも分かる。
遠い側の橋は降雨の中で一度見失いかける。それでも斜線が戻り、鑑賞者は向こう岸への方向を取り戻す。この見える/見えないの往復が、名のある橋を風景の目印以上のものにする。構造物の連続した形を使って、降雨が視界を変えることを測れるのだ。
人々は逆の岸へ急ぐ
人物は一列の行列を作らない。クリーブランド美術館の記録 [5]は、互いに反対の方向へ動き、雨を避けようとする人々を挙げる。東京富士美術館 [2]は一本の傘に入る三人に注目する。三人の体は寄るが、傘の庇は狭い。他の人は別の傘、笠、衣服でしのぐ。表情の拡大がなくても、身体の傾きと足の運びで夕立の急さが伝わる。
細かな人物の線は、摺りや撮影によって見え方が違い得る。ここで読んでいるのは図柄に表れた動きであり、まだ同定されていない冒頭画像の紙や顔料の保存状態を判定しているわけではない。
筏と遠い岸
橋の下には細い筏が進む。文化庁による東京国立博物館の作品解説 [4]もこの筏を記す。橋上の人は川を横切り、筏の人は川に沿って進む。雨の中でも二方向の交通が続き、川が空白ではなく都市の道であることを示す。
対岸は雨に薄れるが、題名の「安宅」が地名を保証する。ボストン美術館のサラ・E・トンプソンによる出版プレビュー、129頁 [7]は遠くの淡い三つの三角形を幕府の船小屋の屋根と同定する。本頁の注釈に用いた画像ではその形が見える。見えない小さな画像に同じ建物を勝手に描き加えるべきではない。近い橋、中ほどの川、遠い安宅の三層に雨がまたがり、名のある目的地が見通しの悪い場所に変わる。
雨の線は黒一色ではない
斜めの雨はしばしば黒い線と呼ばれるが、太田記念美術館の学芸員・日野原健司の解説 [8]は黒と薄い灰色の二種類を指摘する。メトロポリタン美術館 [1]も細い雨線の木版技法の難しさを述べる。濃淡の差で雨は厚みを得ながら、橋と人を完全には隠さない。
雨は完成画面の上に現代の透明な層を重ねたものではなく、木版制作の一部である。大英博物館の木版制作案内 [9]は版元、絵師、彫師、摺師の分担と重ね摺りを説明する。暗い雲の上で雨線が沈み、明るい川の上で数えやすくなるのは図柄と摺りの協働の結果だ。ただしデジタル画像だけから本頁の摺りに使ったすべての版木の順を再構成できるわけではない。
雲はぼかしで濃くなる
雲は一つの硬い輪郭で終わらない。東京富士美術館の解説 [2]は、摺師による自由な濃淡の当てなしぼかしを挙げる。濃さの移り変わりが雨雲を重く不安定に見せ、形の明瞭な橋と対照を作る。広重の図柄の力を認めることと、摺師の手による大気の表現を認めることは両立する。
上部の雲の濃淡が違う二画像を見たとき、それが直ちに初摺と後摺の順を示すとは限らない。摺り、退色、紙の状態、撮影、デジタル補正が関わり得る。下の四つのメトロポリタン美術館の摺りを、所蔵品の技術的な調査なしに制作順へ並べることは控える。
画像の五つの注釈
番号のある画像では雲、共用の傘、斜めの雨、筏、対岸の淡い屋根を確かめられる。位置は所有者提供のパブリックドメイン画像に合わせた。物理的な摺りは未特定なので、大英博物館が研究した初期版と同じ物だとは記さない。番号の下にも説明を置き、画像を操作しなくても読めるようにした。
- 雲: 一様な黒ではなく、摺りのぼかしで暗さが移る。東京富士美術館 [2]。
- 共用の傘: 三人が限られた庇の下で一時的な集団になる。東京富士美術館 [2]。
- 斜めの雨: 橋と人に交わる線には黒と薄い灰色がある。太田記念美術館 [8]。
- 筏: 橋を渡る道と川に沿う道が交差する。文化庁・東京国立博物館 [4]。
- 淡い屋根: 遠い三角形は幕府の船小屋に比定される。ボストン美術館の出版プレビュー、129頁 [7]。
同じ図柄、四つのメトロポリタン美術館の摺り
メトロポリタン美術館のOpen Access方針 [12]に従って掲載する四点は、同じ広重の図柄を写す異なる物理的な紙である。四枚の「絵画」ではない。各番号は印刷、収集、保存、撮影を経た別の物を示す。番号なしで「原画」と呼ぶよりも、どの摺りを見るかを明らかにできる。




JP2522――マンスフィールド旧蔵の一枚
JP2522 [1]は一九三六年にハワード・マンスフィールドのコレクションとともに収蔵された。美術館は大判の紙を縦三四・横二四・一センチとし、一八五七年と記す。細い雨線についての同館の説明にも使われる基準となる一枚だ。ただしこの紙の寸法を、現存するすべての《大はしあたけの夕立》の寸法として記してはいけない。
JP644とJP643――ピュリツァー遺贈の二枚
JP644 [10]とJP643 [10]は、一九一八年のジョゼフ・ピュリツァー遺贈に関係する別々の所蔵品である。雲の濃さ、岸の見え方、雨の線を比較できるが、美術館の一般的な記録だけからどちらが先に摺られたかは決められない。同じ作品名と年代が付いていても、摺りは一つではない。
JP3174――後の収集品
JP3174 [10]は一九五六年、シェア夫妻から寄贈された別の摺りである。余白、雲、屋根、雨を他の三枚と見比べられる。差を見つけることは研究の始まりだが、ウェブ画像の裁断や色の調整も考慮しないまま版木の摩耗と決めつけない。
大英博物館の一八五七年の初期摺り1948,0508,0.5 [3]には対岸付近の二艘の舟と、後に直された橋下の淡い彫りの痕跡がある。同館はその自館の現物について具体的に記す。それをJP2522、JP644、JP643、JP3174や本頁の所有者提供画像にそのまま当てはめない。小さな違いを論じるほど、現物の同定が必要になる。
東海道の庄野に降った先の雨
広重は二十年以上前にも、雨で旅人の身体を動かした。メトロポリタン美術館の《庄野 白雨》JP41 [11]は、一八三四〜三五年頃とされる保永堂版『東海道五拾三次之内』の横長の一枚である。道を急ぐ旅人や駕籠の担ぎ手が現れ、傘には版元名や組物名も記される。美術館は地形が実際の庄野を正確に写したものではない可能性にも触れる。

庄野と大橋は斜線の雨と体を傾ける人々を共有するが、同じ図柄ではない。庄野は街道を進む横長の旅の図、大橋は都市の川を渡る縦長の名所図だ。前者は坂と人の集団が画面を占め、後者は橋、人、広い空と川、見えにくい安宅を組み合わせる。実在の地名があっても、画面が一日に現地で見た景をそのまま保存した写真のような物とは限らない。
ファン・ゴッホの雨の橋
一八八七年にフィンセント・ファン・ゴッホはこの版画をもとに油彩《広重にならう雨中の橋》を描いた。大英博物館の展覧会解説 [3]は両者を結び、ファン・ゴッホ美術館の作品紹介 [13]は一八八七年十〜十一月の制作と色の改変を説明する。橋、走る人、雨の力は残るが、油彩の色と縁取りは新しい作品の選択である。
後の油彩を広重の一八五七年の摺りと混同しない。まず江戸の橋、安宅という場所、摺師の雲、動く人々として版画を読む。そこから一人の後の鑑賞者がどのように変換したかを考えると、広重の作品が西洋絵画の前奏に縮まらない。
なぜ江戸百景の一図なのか
名のある大橋は構造としてはっきり見えるのに、名のある安宅は雨にほとんど隠れる。この組み合わせは『名所江戸百景』の「名所」を、地名の図解でなく見え方が変わる場所にする。大英博物館の連作解説 [3]が示すのも、都市と周辺の多様な図であって、一枚の俯瞰図ではない。本サイトの江戸百景の案内には119図の目録と百景の数え方を載せる。
この図は没後の目録で夏の組に入るが、その位置は夕立が起こった日付の証明ではない。大英博物館の初期摺りに記された一八五七年九月という刊行上の日付とも別の情報だ。橋を渡る場面、斜線とぼかしの構図、現存する個々の摺りの履歴という三層を保つと、名作を鮮やかに読みながら過剰な史実を作らずに済む。
よくある質問
図柄は一八五七年の『名所江戸百景』の一枚である。大英博物館 [3]は同館の初期摺りをその年の九月とする。物理的な摺りが不明の画像まで同月に刷られたと断定しない。
違う。庄野の現物JP41 [11]は一八三四〜三五年頃の横長の街道図である。大橋は一八五七年の縦長の江戸の橋と川の図。雨の表現には共通性があっても、組物と場所が違う。
東京富士美術館の日本語解説 [2]によれば、大橋から隅田川を渡った対岸の地区である。降雨のため画面でははっきり見えない。
別々の摺りには印刷、状態、退色の違いがあり、撮影とデジタル調整も関わる。四つのメトロポリタン美術館の画像は別の所蔵番号を持つ。大英博物館 [3]による自館の初期摺りの特徴を、番号の違う紙へ移さない。
一八八七年に油彩で再解釈した。大英博物館 [3]が関係を記す。ファン・ゴッホの作品は後年の油彩で、日本の木版画の一摺りではない。
黒だけではない。太田記念美術館の解説 [8]によれば、黒と薄い灰色の線が使われる。濃淡の重なりが夕立の厚みを作る。
読者との対話
急な雨は画面の人と場所の見え方を変えます。
鑑賞の手がかり
夕立を急に感じさせる線はどれでしょう。
最初に目に入る旅人は誰で、なぜでしょう。
同じ図柄の二つの摺りで何が変わりますか。
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参考資料
- メトロポリタン美術館、《大はしあたけの夕立》JP2522。
- 東京富士美術館、《大はしあたけの夕立》。
- 大英博物館、広重展の作品解説。
- 文化庁文化遺産オンライン、東京国立博物館所蔵品。
- クリーブランド美術館、同図柄の所蔵品。
- 神奈川県立歴史博物館、広重の版画案内。
- サラ・E・トンプソン『Hokusai, Hiroshige, Hasui』、ボストン美術館の出版プレビュー、129頁。公開頁だけを参照。
- 日野原健司、太田記念美術館、雨線の色。
- 大英博物館、広重の木版制作案内。
- メトロポリタン美術館、JP644、JP643、JP3174。
- メトロポリタン美術館、《庄野 白雨》JP41。
- メトロポリタン美術館、Open Access方針。
- ファン・ゴッホ美術館による油彩作品の紹介。








