歌川広重

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月24日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

道と名所の絵師を、花鳥、絵本、絹の絵にも開く。十点の図版から広重の仕事をたどります。

歌川広重、東海道五拾三次之内の蒲原 夜之雪
歌川広重《蒲原 夜之雪》の図柄。一八三三〜三四年頃。撮影された現物の摺りは未特定。

広重を十点の作品から知る

歌川広重(一七九七〜一八五八)を一枚の雨の橋、あるいは雪の東海道だけで語ることはできない。道中や江戸の名所を描いた錦絵のほか、鳥と花、人物、版本、絹に描いた肉筆画もある。静岡市東海道広重美術館は代表的な保永堂版『東海道五拾三次之内』とともに、花鳥画や戯画、後年の街道シリーズを紹介する。大英博物館の広重展も、版画だけでなく絵画、絵本、素描を並べている。静岡市東海道広重美術館 [1] 大英博物館・広重展 [2]

広重の名所絵は、カメラのようにそこに見えた物をそのまま記録したものではない。旅、和歌、案内書、先行する絵によって知られた場所を、橋、手前の樹木、斜めに走る雨、窓などで再構成した。出版された色摺りは広重の下絵だけでは完成せず、版元、彫師、摺師の仕事を通る。見る者は土地を知る楽しさと、画面が作る新鮮な視点の両方を受け取る。大英博物館・広重入門 [3]

この頁の画像にも二種類の証拠がある。所有者提供のパブリックドメイン画像は、図柄を読むのに役立つが、撮影された紙の現物は特定されていない。メトロポリタン美術館の四画像には所蔵番号があり、それぞれの技法、年代、物体について話せる。同じ図柄の別の摺りの色や版木の状態を論じるとき、この違いは大きい。もっと詳しく見る読者には、保永堂版東海道、名所江戸百景、大はしあたけの夕立の個別記事がある。

要点

項目 内容
絵師 歌川広重。安藤広重とも呼ばれる。一七九七〜一八五八年
活動の中心 江戸、現在の東京
主な形態 錦絵、版本、肉筆画、素描
このサイトの主な道筋 保永堂版東海道、名所江戸百景、大はしあたけの夕立、生涯
題材 街道、都市、季節、天気、花鳥、人物、詩と名所
この頁の画像 現物未特定の図柄再現六点、所蔵番号の分かるメトロポリタン美術館の四点

広重へ入る四つの作品

江戸と天気
歌川広重、《大はしあたけの夕立》
《大はしあたけの夕立》。歌川広重、一八五七年。図柄の再現。撮影された現物の摺りは未特定。

この主題を読む

絹の肉筆画
歌川広重、《雪中を歩く女》
《雪中を歩く女》。歌川広重、一八四〇年代〜五〇年代初め頃。メトロポリタン美術館、36.100.22。所蔵記録・CC0。

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後の東海道シリーズ
歌川広重、《大津》、別の東海道シリーズ
《大津》、別の東海道シリーズ。歌川広重、一八四七〜五二年頃。メトロポリタン美術館、JP804。所蔵記録・CC0。

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一つの街道図、一つの江戸図、花鳥の一枚、絹の掛幅。四つを並べると、どれも「広重らしい」と思える理由と、使う紙や見せ方の違いが分かる。まず《蒲原 夜之雪》では、雪の広い白さの中で旅人が身をかがめる。山の輪郭にも紙の余白が働く。保永堂版東海道の一図として一八三三〜三四年頃に刊行されたシリーズは、静岡市東海道広重美術館が広重の人気を決定づけた仕事と説明する。描かれた雪は、広重がその日に蒲原へいた証明ではない。静岡市東海道広重美術館 [1]

《大はしあたけの夕立》は、晩年の『名所江戸百景』に属する縦の画面だ。雨の斜線が橋と川を横切り、人が急いで渡る。横長の蒲原と違い、橋を高い視点から切り取る。国立国会図書館はこの連作を一八五六〜五八年の出版として紹介する。江戸という地名が付くからといって、一枚一枚を都市の中立的な測量記録にしてはいけない。既知の場所を新しい距離や角度から見せる企画だった。国立国会図書館 [6]

《梅に鶯》は細長い花鳥図で、メトロポリタン美術館は一八三五年頃の現物JP2529を所蔵する。同館の解説によれば、鶯が歌によって春の「年貢」を納めるという菅沼曲水の句が添えられる。小さな鳥、季節の植物、書かれた言葉を一つの作品として読む必要がある。狭い縦の余白は、雨の橋と違う静けさを作る。画面を横長に切り抜いてしまえば、その調子は失われる。メトロポリタン美術館・梅に鶯 [4]

《雪中を歩く女》は錦絵でなく、絹に描いた掛幅だ。メトロポリタン美術館は現物36.100.22を一八四〇年代から五〇年代初め頃とする。絹の描き残しと薄い墨が雪を表し、赤い衣の一部が小さな色の焦点になる。女は風景の縮尺を示すだけの記号ではない。筆で絹に描いた一作を、彫り摺られた版画の「別の摺り」と数えないことも大切だ。メトロポリタン美術館・雪中を歩く女 [5]

名所とは何か――東海道と江戸

名所は、文学、歴史、信仰、旅、以前の画像を通じて既に知られた場所でもある。広重はその知識を前提にしながら、目新しい構図を加えた。静岡市東海道広重美術館は由比の旧東海道にあり、保永堂版以外の異なる東海道シリーズを分けて紹介する。「東海道」と書かれた画像だけで保永堂版だと決められない。同じ道へ何度も戻ることと、一つのシリーズに後から図を足すことも別の話である。静岡市東海道広重美術館・概要 [7]

保永堂版の五十五図は、江戸の日本橋と京都の三条大橋という両端と、その間の五十三宿を含む。「五十三次」を五十三枚だけと数えない。道には公用の旅人、商人、巡礼、荷を運ぶ人、川を渡る人がいた。蒲原の旅人はその多様性の一つを、雪と歩く体によって圧縮する。他の図では海、渡し、町、峠が前に出る。このサイトの保永堂版五十五図の案内は、宿名と画像の所蔵品を分けて示す。

メトロポリタン美術館にある《大津》JP804は、一八四七〜五二年頃の別の東海道シリーズに属する。これを保永堂版の「追加の一枚」と呼ぶのは誤りだ。同じ道を題材にしながら、年、出版物、画面の形式が違う。日本語の図題だけでなく、シリーズ、版元、所蔵番号を確かめてから比べると、広重の繰り返しが単なる複写ではないことが見えてくる。メトロポリタン美術館・大津 [8]

『名所江戸百景』は道の順に歩く代わりに、都市の中で季節と視点を変える。静岡市東海道広重美術館は広重自身の図を一一八図とする。広重二代の後の一図まで含めた刊行全体を一一九図と数える場合もある。「百」は厳密な収録枚数ではない。当サイトの一一九項目の江戸百景ガイドでは、その二つの数え方を明記し、季節、地名、題で探せるようにしている。静岡市東海道広重美術館・江戸百景 [9]

歌川広重、《水道橋駿河台》
《水道橋駿河台》。歌川広重、一八五七年。図柄の再現。撮影された現物の摺りは未特定。

手前のもの、天気、見えない視点

《亀戸梅屋舗》では、近くの太い幹と枝が画面の大部分を占める。奥の庭を見る前に木の前へ立たされるようだ。これは一八五七年の縦型の江戸百景の図であり、広重の別の横長の亀戸梅園の図とは同一作品でない。「亀戸の梅」という題名の近さだけで、二つの現物を一つにまとめてはいけない。手前の幹は庭の情報を遮るが、その遮り方が作品の強さにもなる。

《浅草田圃酉の町詣》では猫が窓辺に座り、遠くに田圃と祭りへ向かう人々がある。窓は視点を室内へ移す装置だが、画面から特定の家や撮影位置を確定できるわけではない。《目黒太鼓橋夕日の岡》では、弓なりの橋が強い曲線をつくる。《水道橋駿河台》では橋と高台の間を鯉のぼりが横切る。広重は地名を答えとして用意するだけでなく、近いものと遠いものの置き方を変えた。

《大はしあたけの夕立》の雨は斜めの線として川と橋に降り、《蒲原 夜之雪》の雪は広い白さで歩くことを重くする。肉筆《雪中を歩く女》では絹を塗り残す方法で白さをつくる。三つを同じ「広重の天気表現」とまとめる前に、版画の線、紙の余白、絹に置いた筆という違いを見るべきだ。さらに同じ図柄の複数の摺りでは、色材や摺り方、保存状態が変わる。画像を比較するときには現物の番号が要る。メトロポリタン美術館・雪中を歩く女 [5]

実景らしく見える図でも、旅行した事実まで絵から逆算できない。大英博物館の広重展は、直接の経験と案内書など先行する視覚資料をともに考える。名所という題は、広重が見る前から知られていたかもしれない。後世の写真を比較に置くなら、写真自身の年代と撮影地、所蔵先を明記し、版画と同一の視点と簡単に呼ばない。このホーム頁では現物が確認できない「昔の町の写真」を数合わせには足していない。大英博物館・広重展 [2]

歌川広重、《亀戸梅屋舗》
《亀戸梅屋舗》。歌川広重、一八五七年。図柄の再現。撮影された現物の摺りは未特定。
歌川広重、《浅草田圃酉の町詣》
《浅草田圃酉の町詣》。歌川広重、一八五七年。図柄の再現。撮影された現物の摺りは未特定。
歌川広重、《目黒太鼓橋夕日の岡》
《目黒太鼓橋夕日の岡》。歌川広重、一八五七年。図柄の再現。撮影された現物の摺りは未特定。

花鳥、版本、絹の掛幅

《梅に鶯》の詩句は絵を飾る文字ではない。春を告げる鳥と植物の組み合わせに、歌が時間と機知を加える。マッティ・フォラーの『Hiroshige: Prints and Drawings』の公開プレビューは、花鳥図を詩の会や先行する絵画と版画の伝統へ置く。狭い短冊判には大判の街道図と異なる空間の使い方があり、画面の大きさをブラウザでそろえるとその差が隠れる。実物の寸法も作品記録で確認したい。マッティ・フォラー・出版社プレビュー [14] メトロポリタン美術館・梅に鶯 [4]

メトロポリタン美術館の『扶桑名所図会』2013.689は、一八三九年の木版の本だ。同館の目録は紙に墨、色、白色顔料を用いると記す。掲載する見開きは、綴じた頁の一つである。デジタル画像だけを切り出すと独立した一枚の錦絵のように見えるが、前後の頁や読む順序も作品の経験をつくる。ここでは細かな地名を未確認のまま画像へ付けない。メトロポリタン美術館・扶桑名所図会 [10]

《雪中を歩く女》は掛幅として掛けられ、人の姿と静かな雪を一つの絹面に置く。錦絵のように同じ版木から多数摺られた紙ではない。メトロポリタン美術館は広重の人物表現を風景とともに論じる。ホーム頁にこの作を置く理由は、「広重には人を描く力がなかったから風景ばかり」という古い単純化を避けるためだ。人の姿、材質、掛けて見る条件を、街道図と別の目で見る。メトロポリタン美術館・雪中を歩く女 [5]

歌川広重、『扶桑名所図会』の見開き
『扶桑名所図会』の見開き。歌川広重、一八三九年。メトロポリタン美術館、2013.689。所蔵記録・CC0。

一枚の錦絵を作る人々

色摺り木版は協業である。広重が図柄を用意し、版元が企画と売り方を考え、彫師が線や色面を版木へ移し、摺師が版を合わせて紙へ色を置く。大英博物館はぼかしの技法と、この分業を広重の仕事として説明する。したがってある一枚の空の濃淡は、北斎や広重の「原画の色」と一対一に対応するものではない。摺りの工夫、版木の傷み、後の撮影の色が関わる。大英博物館・広重入門 [3]

所蔵記録にある版元印、検閲印、署名を確かめることも大切だ。小さく圧縮した画像から読めない印を想像で付けない。版の左右の余白や切れ、線の鮮明さも現物の手がかりとなる。同じように見える二枚のサムネイルが別の摺りか、後の復刻か、現代のデジタル加工かは、画面の色だけでは分からない。このホーム頁の所有者提供の図柄画像に、美術館の所蔵番号を流用しない。

版元、判型、買い手

版元は絵師の後ろにいる名前だけではない。何を題材に、どの大きさで、どの客に売るかを左右する。フォラーの出版社が公開するプレビューでは、川口屋正蔵による東都名所の企画と、佐野屋喜兵衛が扱った後の江戸名所を、市場の違いから読み解く。店の場所や顧客の違いについての解釈は、購入者の正確な人数を知る資料ではない。それでも一枚が高価な鑑賞品にも、旅の土産にもなりえたことを問う入口になる。マッティ・フォラー・出版社プレビュー [14]

大判の街道図と、縦長の短冊判の花鳥図は、同じブラウザ幅に伸ばすと材質の差が見えなくなる。フォラーは大判、中判、小判など複数の判型に触れる。判の大きさは芸術的価値の順序ではない。空白の多い細長い画面が、鶯と枝と句をどう置くかを決める。反対に道中の横長の紙は、進む人と連なる地形を見せやすい。図版は比率を保って載せ、正確な寸法は所蔵記録へ戻って確認する。マッティ・フォラー・出版社プレビュー [14]

一八三〇年代前半には、江戸の都市図、花鳥図、保永堂の東海道、木曾街道などが重なる。画業を「風景だけの時代」の後に「花鳥だけの時代」と分けることはできない。版元が新しい題と形式を試し、買い手も異なるものを選んだ。フォラーのプレビューが挙げる花鳥図の数も、定義した短冊型の一群についての研究者の集計であって、広重の花鳥作品の全数ではない。マッティ・フォラー・出版社プレビュー [14]

海外で見た人を具体的にたどる

広重の版画は日本の外でも見られたが、漠然と「西洋美術に影響した」と言うだけでは伝わらない。フィンセント・ファン・ゴッホは一八八七年に《亀戸梅屋舗》をもとに絵を描いた。大英博物館は元の版画の現存する摺りと、ゴッホの絵を具体的に比べる。近くの幹と庭の構造を残しながら、色、文字、筆の扱いは変わる。確認できる一つの翻案であり、広重の版画とゴッホの油絵を同じ作品にしてしまわない。大英博物館・亀戸梅屋舗とゴッホ [11]

ゴッホの《雨中の橋》については、ファン・ゴッホ美術館が《大はしあたけの夕立》を元の図として記す。ここにも、一枚の図を別の作者が別の材料へ移した事実がある。広重が働いた江戸の版元や購入者と、後世のオランダの画家が同じ画像へ向けた関心を分けて考える方が、両者の仕事をよく見られる。ファン・ゴッホ美術館 [12]

次に読む記事を選ぶ

街道を連作としてたどるには保永堂版『東海道五拾三次之内』へ。季節と場所で探すには『名所江戸百景』へ。雨の線、橋、複数の現存品を近くで見るには《大はしあたけの夕立》へ。人、師、家業と画業の順序は広重の生涯で扱う。これらは同じ作品の言い換えではなく、それぞれ別の質問に答える記事だ。

よくある質問

いいえ。静岡市東海道広重美術館は花鳥や戯画を紹介し、メトロポリタン美術館には花鳥図、版本、肉筆の掛幅がある。静岡市東海道広重美術館 [1] メトロポリタン美術館・梅に鶯 [4] メトロポリタン美術館・扶桑名所図会 [10]

伝統的な一八三二年の旅の話には検討が必要だ。大英博物館は経験と先行する視覚資料の双方を挙げる。雪や雨の迫真性だけで実際の旅を証明することはできない。大英博物館・広重入門 [3]

五十三の宿場に、江戸と京都の両端を加えるからだ。静岡市東海道広重美術館 [1]

いいえ。広重による一一八図と、広重二代の後の一図を含めた一一九図という数え方がある。静岡市東海道広重美術館・江戸百景 [9]

いいえ。六点は現物の摺りが特定されていない図柄の再現で、四点はメトロポリタン美術館の所蔵番号を記した画像である。両者の証拠の範囲を分けている。

道中を知りたければ保永堂版、江戸の視点を探したければ名所江戸百景、一枚の雨を詳しく見たければ《大はしあたけの夕立》へ。制作の年月は生涯にまとめている。

読者との対話

街道、江戸、花鳥、肉筆画の四つを比べてから、気づいたことを共有してください。

鑑賞の手がかり

一つの場所、二つの図

近い樹木や窓が入ると、名所の見え方はどう変わりますか。

摺師の仕事

空や水のどの部分に、摺りによる選択が見えますか。

風景の外へ

花鳥図や絹の人物画は、広重の印象をどう広げますか。

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参考資料

  1. 静岡市東海道広重美術館「歌川広重と浮世絵」。画業と作品の幅。
  2. 大英博物館「Hiroshige: Artist of the Open Road」。版画、絵画、版本の展覧会。
  3. 大英博物館「Introduction to Hiroshige」。協業と名所絵。
  4. メトロポリタン美術館《梅に鶯》JP2529。花鳥図と句。
  5. メトロポリタン美術館《雪中を歩く女》36.100.22。肉筆の掛幅。
  6. 国立国会図書館「名所江戸百景」。出版の時期。
  7. 静岡市東海道広重美術館・概要。東海道のシリーズ。
  8. メトロポリタン美術館《大津》JP804。後の東海道シリーズ。
  9. 静岡市東海道広重美術館「名所江戸百景」展。一一八図の数え方。
  10. メトロポリタン美術館『扶桑名所図会』2013.689。版本の現物。
  11. 大英博物館「Tracking down the Plum Garden」。ゴッホとの作品比較。
  12. ファン・ゴッホ美術館《雨中の橋》。別媒体への翻案。
  13. メトロポリタン美術館・画像利用方針。所蔵品画像のCC0条件。
  14. マッティ・フォラー『Hiroshige: Prints and Drawings』、Prestel、2011年、出版社の公開プレビュー。判型、版元、花鳥図、現存品の質について参照した頁に限る。