武者絵の迫力から、猫の見立て、女性の摺物、江戸の風景まで。作品から国芳の画業をたどります。

はじめに
破れた御簾の向こうから巨大な骸骨が現れる《相馬の古内裏》は、歌川国芳を初めて見る人にも強い印象を残す。左の滝夜叉姫、中央の大宅太郎光圀、三枚続きの画面いっぱいに迫る骸骨。三枚の紙は、別々に眺めるより一つの場面として読むことで、人物と建物の縮尺が崩れる驚きを生む。しかし、この一作だけから国芳の仕事を説明することはできない。水滸伝の豪傑、役者に見立てた猫、舟上の女性、江戸の海辺、月を眺める人々、絵入りの読み物まで、対象と形式を広く変えて描いた。太田記念美術館の回顧展 [2]と大英博物館の作家資料 [24]は、この幅を考える出発点になる。
このページでは、有名作を順位づけるよりも、どの作品を、どの現存資料によって語れるのかを重視する。歌川国芳という署名のある錦絵も、絵師一人の手で完成したわけではない。版元が企画・頒布し、彫師が版木を作り、摺師が色を重ねた。物語や狂歌を伴う場合には、作者や詩人の役割も加わる。制作の仕組みを知ると、三枚続きの迫力だけでなく、団扇に納まる戯画や小さな摺物の工夫も見えてくる。メトロポリタン美術館の浮世絵制作解説 [20]は工程の概説として使い、個々の作品ではその作品の記録を優先したい。
ここで使う骸骨の全図は、サイト所有者が利用を認めたパブリックドメイン画像である。構図は大英博物館所蔵の《相馬の古内裏》 [3]とも共通するが、提供画像の物理的な摺り、版元、制作年を大英博物館の資料から移してはいけない。左右・中央の拡大画像も同じ三枚続きの部分であり、四つの異なる作品ではない。以下の美術館画像については、所蔵番号、資料名、年代、寸法、利用条件をそれぞれ残している。
まず知っておきたいこと
| 問い | 資料から言えること |
|---|---|
| 国芳はいつの絵師か | 大英博物館は1797–1861年とし、初代歌川豊国の門人と記す。出生年を1798年とする資料もあるため、出典の表記を確認する。 |
| 何が転機になったか | 太田記念美術館は、若年期の不遇を経て、三十代前半の《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》で注目されたと説明する。 |
| 武者絵以外は何を描いたか | 風景画、美人画、役者絵、戯画、子どもの絵、版本など。猫も笑いの対象だけでなく怪談の登場人物になる。 |
| どの二作を比べるとよいか | クリーブランド美術館の1820年代末の水滸伝の豪傑 [4]と1830年代初頭の《大森》 [18]。同じ絵師が人物と空間をどう変えたか見える。 |
武者絵と水滸伝――一人の英雄から見る


中国の小説『水滸伝』は、数多くの人物と冒険を提供した。国芳の《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》は、その英雄たちの身体や装束、武器を大判の画面に押し込む。太田記念美術館は、このシリーズを国芳の飛躍に結びつける。ボストン美術館の刺青に関する展覧会 [5]には、1827–30年ごろの「短命二郎阮小五」が挙げられている。刺青を現代の装飾としてだけ眺めるのではなく、勇者の身体に物語と図柄を載せる仕組みとして読むことができる。ただし、題名の「百八人」から、実際に百八種類が刊行されたと直ちに数えることはできない。物語の人数と現存する図の枚数は別の問いである。
クリーブランド美術館の「浪裡白跳張順」1980.85 [4]は、1820年代末とされる色摺り木版画である。人物が縦長の紙を占め、胸の模様、刃、髪、周囲の形が密に重なる。画面の左には名前を示す文字がある。余白を広く取るより、身体と道具が画面の縁に迫る構成である。所蔵館の寸法は紙面38×25.7センチで、画像にはCC0の表示がある。この一枚からシリーズ全体の色味を決めつけることはできないが、国芳が人物の姿勢と文様を結びつけた方法は詳しく見られる。
同じ水中の豪傑を扱うメトロポリタン美術館の《短命二郎阮小五 水中戦》2001.715.9 [6]は、館の記録では1856年二月である。初期の成功と、数十年後に再び描いた豪傑を同じ年代の図として並べてはいけない。図柄の力強さが似ていても、印刷された時期と関係するシリーズは資料ごとに確認する必要がある。水滸伝の専用ページでは、初期の個々の図の題字、版元、摺りの違いを調べる予定である。
国芳の水滸伝は一枚ものだけではない。国立国会図書館の柳亭種彦に関する資料 [7]は、天保元年(1830)の版本『国字水滸伝』について、種彦を著者、国芳を画工、西村屋与八を版元として示す。同じ資料には、種彦が病中に弟子の笠亭仙果へ代作を頼んだ手紙も紹介される。「国芳の本」とだけ言ってしまうと、この複数の仕事と執筆事情が消えてしまう。絵と文字を順に読む本は、一枚の豪傑絵と違う経験を作った。
《相馬の古内裏》――三枚をつなぐと現れるもの
大英博物館の所蔵作 [3]の解説では、滝夜叉姫が呪文を読み、骸骨を呼び出し、調査に来た光圀を脅かす。物語には平将門という歴史上の人物の名が関わるが、画面は十世紀の出来事をそのまま記録したものではない。後世の物語や芝居の広がりの中で読むべき場面である。左の姫、中央の武者、中央から右へ広がる骸骨の位置を追うと、国芳が三枚続きの幅をどう使ったか分かる。御簾が破られ、室内の境界が巨大な身体に侵されていく。
大英博物館は1836年と1844年に関連する歌舞伎の上演があったとし、天保改革期の役者絵の制限のもと、1844年の上演への関心を受けて歴史的な形式で描いた可能性を挙げる。これは作品と興行の関係についての見解であり、特定の上演のために注文されたという証拠ではない。骸骨の骨格について西洋の医学図を参照した可能性も館の解説にはあるが、特定の原図が示されたわけではない。専用ページでは、見える形と推測を分けて注釈する。提供された8136×4000ピクセルの原画像を基に、人物、骨、御簾、三枚のつなぎ目を拡大して説明できるが、拡大図を独立作品のように扱わない。
海の亡霊と、怪異の別の描き方

骸骨が廃屋の室内へ割り込むのに対し、メトロポリタン美術館の《大物浦平家の亡霊》JP1565 [9]では海が舞台となる。館の年代は1843–47年。船、人間、波と亡霊の距離を三枚の紙で組み立てる。海上の怪異は、突然現れる巨大な一体ではなく、遠くに広がる集団の気配として読める。同館には同じ題材の別所蔵資料JP1115.2a–c [10]もあり、こちらは1849–52年とされる。二つの所蔵番号は二つの物理的な資料を指す。年代差を見て、すぐに別の新作だったと判断するのではなく、摺りや記録の違いを確認する必要がある。
怪異の絵を「怖い絵」の一覧だけにしてしまうと、誰が何を見ているのかが失われる。滝夜叉姫の呪文、光圀の役割、平家と源氏の記憶、海や廃屋という場が図の動きに関わる。英語で流通する短い題名は入口にはなるが、元の題字や物語との関係まで説明したい。三枚続きも一枚の絵をただ三分割したものではない。見る順序と距離を変えるための形式である。
猫――役者、戯画、そして化け猫

国芳の猫は可愛らしさだけで説明できない。太田記念美術館の「江戸にゃんこ」展 [11]は、天保十二年(1841)に役者の顔を猫に置き換えた団扇絵《猫の百面相》を挙げる。国芳一門の猫を扱った同館の展覧会 [12]には、猫たちが文字を作る図や、人間のように振る舞う図が紹介される。役者の似顔、語呂合わせ、文字遊び、擬人化を読み取るには、猫という動物だけでなく、江戸の芝居や言葉の娯楽を考える必要がある。
一方、メトロポリタン美術館の《岡崎の猫又》JP1563 [13]は、1850年ごろとされる二枚続きの怪談の場面である。猫は笑いの記号ではなく脅威にもなる。役者の顔を見立てた小さな団扇絵と二枚続きの怪異を比べれば、同じ動物が画面の規模と物語によって別の働きをすることが分かる。専用の猫ページでは、猫の絵を種類別に並べるだけでなく、各作の題字と用途を確かめたい。国芳の門人にも動物の戯画を手掛けた人がいるため、猫がいればすべて国芳作だと推定することも避ける。
太田記念美術館の2024年の団扇絵展 [14]は、団扇のために作られた国芳の絵に役者や美人を描くものが多いと指摘する。武者絵や戯画の代表作だけを見ていると、この日常的な媒体が抜け落ちる。団扇は使われるものであり、残り方も大判の収集品とは異なる。現存する有名作の割合を、そのまま国芳が描いた題材の割合とみなすことはできない。
女性と摺物――武者絵とは違う大きさ



メトロポリタン美術館の《海水を汲む娘》JP1149 [15]は、1830年ごろの摺物である。人物の姿勢、桶、海水を汲む動作に目を向けさせる小さな画面は、三枚続きの怪異とは鑑賞の距離が違う。摺物には私的な注文や詩歌の交流が関わる場合がある。ただし、この一枚の記録から注文主や配布先を勝手に特定することはできない。女性像だからといって「美人画」とだけ呼ぶより、どのような紙面と用途だったかを確認したい。
同館の《水辺の図》JP1252 [16]は1840年の摺物で、舟の女性が水滸伝の豪傑に見立てられていると館は説明する。人物と風景の奥行きには西洋の絵画に由来する手法の利用も論じられている。女性、物語、外国風の空間が一枚で交差するため、どれか一つのジャンル名では足りない。英語題名が単に Water Scene であることからも、題名だけで図の仕掛けを理解したつもりにならない方がよい。
《四季の遊び・秋》JP3136 [17]は、1844–46年ごろの三枚続き。女性たちと子どもが舟上から月を見る。所蔵館は銀泥を含む技法、画面端で切れる橋脚、灯の水面への反射、画中の歌を挙げている。現在の銀の変色も現物の歴史である。小さな摺物と大きな三枚続きはどちらも女性を描くが、画面の幅、同時に見せる人物の数、文字の位置、見る人の手と目の動かし方が異なる。国芳が女性をどう描いたかを問うなら、人物の容姿だけでなくこの形式差を比べる必要がある。
《大森》の空と水――風景画としての国芳

クリーブランド美術館の《東都名所 大森》1985.335 [18]は、1830年代初頭の風景画とされる。低い舟の二人、両側の密な杭や枝、遠くへ開く水路、広い空が続く。人物は豪傑絵のように画面を占領しない。波や舟だけでなく、何も描かれないように見える空間にも意味がある。同館は紙面を23.9×34.2センチとし、公開画像をCC0とする。同じ美術館が所蔵する1820年代末の水滸伝の人物画と並べると、国芳の構図がどれほど柔軟だったかが見える。
大英博物館の作家記録 [1]は、1830年代から1840年代初頭の西洋風の風景表現にも言及する。しかし、洋風の奥行きがあるからといって、特定の輸入版画を模写したと断定できるわけではない。前述の《水辺の図》についてはメトロポリタン美術館が西洋の遠近法との関係を述べており、具体的な作品に即して比べられる。洋風と和風の単純な二択より、どの図のどの部分にどの方法が使われたかを問うべきだろう。
大森の地名を説明するために古写真を添えることも考えられる。ただし、写真の撮影場所と年代、利用条件が確認できる場合に限る。写真は絵より後の風景を記録するのであって、国芳がその位置に立った証拠にも、絵が写真のような現地記録だった証拠にもならない。比較画像には「後年の眺め」と明記する。
本のなかの国芳、周囲の人々
メトロポリタン美術館の《八犬伝》二冊、2013.763a,b [19]は1853年とされ、右から左へ読むための表示も館のページに用意されている。綴じられた本では、一場面を切り離して見せると前後の流れが失われる。版本の図を記事に使う際には、見開きなのか一葉なのか、冊数、題字、どの物語に属するかをキャプションに含めたい。『国字水滸伝』の資料と合わせると、国芳の絵が独立した一枚物だけでなく、長い読み物の経験にも組み込まれていたことが分かる。
国芳を「奇想の天才」とだけ呼ぶと、師弟、版元、家族や同時代の絵師が見えなくなる。大英博物館は初代歌川豊国の門人と記し、太田記念美術館の国貞・国芳・広重展 [22]は、三人を幕末の歌川派という広い環境に置く。太田記念美術館の「父の画業と娘たち」展 [23]は娘の芳鳥と芳女も絵を描いたことを示す。ある作品の少女が娘ではないかという指摘も紹介されるが、確定した肖像として扱わない。大英博物館所蔵の版下絵 [8]については、国芳の没後、弟子の芳年が構図の要素を反転して用いたという研究があり、制作後の図の伝わり方を考える手掛かりになる。
次に読むために
独立した伝記では、豊国門下での学習、若い頃の仕事、水滸伝による転機、天保期の出版環境、娘たちと門人、晩年を年代順に検討する。この作家トップは作品世界への入口とし、《相馬の古内裏》、猫、水滸伝の専用ページができたら、実際の行き先へつなぐ。まだないページへのリンクを並べない。骸骨の注釈画像は、専用ページで高解像度の元画像を確認し、拡大の位置と意味を画面の下で説明する。人物や骨の部分図を新たな作品として数えない。
最初の比較には、同じクリーブランド美術館の二点を勧めたい。「浪裡白跳張順」 [4]は人の体と模様が狭い縦画面を満たし、《大森》 [18]は小さな人物の前に空間が広がる。片方を「本当の国芳」、もう片方を余技として選ぶ必要はない。国芳の工夫は、紙の大きさと物語の要求に合わせ、何を近くに、何を遠くに置くかを変えるところにもある。
よくある質問
はい。《相馬の古内裏》は国芳の三枚続きの図柄で、大英博物館にも現存例がある [3]。このサイトで使う提供画像を同館の摺りと同一視せず、三枚の部分画像も一つの図の構成要素と記す。
物語の英雄の数であり、シリーズ題名に含まれる数字でもある。刊行された異なる図の数を示すには、専門的な目録と個々の作品の確認が別途必要である。
絵師は図を担当し、色摺り木版画には通常、版元、彫師、摺師が関わった。個々の参加者は作品の記録によって確認する。メトロポリタン美術館の制作解説 [20]は全体の仕組みを説明する。
読者との対話
国芳の一枚を見て、題字と人物、画面の形から気づいたことを共有してください。
Reader Insights
骸骨の図で、三枚の境目は物語の読み方をどう変えますか。
猫や豪傑の題字を読むと、最初の印象はどう変わりますか。
水滸伝の縦図と《大森》の風景では、どこに目が向かいますか。
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参考資料
- 大英博物館、歌川国芳作家記録。
- 太田記念美術館、没後160年記念 歌川国芳展。
- 大英博物館、《相馬の古内裏》三枚続き、1915,0823,0.915–916。
- クリーブランド美術館、「浪裡白跳張順」、1980.85。
- ボストン美術館、刺青と浮世絵の展覧会。
- メトロポリタン美術館、《短命二郎阮小五 水中戦》、2001.715.9。
- 国立国会図書館、柳亭種彦の書簡と『国字水滸伝』。
- 大英博物館、国芳の版下絵、2015,3012.1。
- メトロポリタン美術館、《大物浦平家の亡霊》、JP1565。
- メトロポリタン美術館、同図の別所蔵資料、JP1115.2a–c。
- 太田記念美術館、「江戸にゃんこ」展。
- 太田記念美術館、「国芳一門ネコづくし」展。
- メトロポリタン美術館、《岡崎の猫又》、JP1563。
- 太田記念美術館、「国芳の団扇絵」展。
- メトロポリタン美術館、《海水を汲む娘》、JP1149。
- メトロポリタン美術館、《水辺の図》、JP1252。
- メトロポリタン美術館、《四季の遊び・秋》、JP3136。
- クリーブランド美術館、《東都名所 大森》、1985.335。
- メトロポリタン美術館、《八犬伝》二冊、2013.763a,b。
- メトロポリタン美術館、浮世絵木版制作解説。
- クリーブランド美術館、オープンアクセス方針。
- 太田記念美術館、国貞・国芳・広重展。
- 太田記念美術館、「父の画業と娘たち」展。
- 大英博物館の作家資料



