歌川国芳の《通俗水滸伝》

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月24日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

百八人の物語と七十四図の連作。張順、魯知深、朱貴、燕青の錦絵から国芳の武者絵を読みます。

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国芳《浪裡白跳張順》、東京国立博物館 A-10569-5426
東京国立博物館 A-10569-5426。出典:ColBase。掲載画像を縮小・圧縮。

はじめに

刀を口にくわえ、水門を破ろうとする張順。松の幹を打ち砕く魯知深。川を背に弓を持ち、体の刺青を見せる朱貴。歌川国芳の《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》を「刺青のある豪傑の絵」と一括りにすると、三人に与えられた別々の出来事が見えなくなる。東京国立博物館の張順 A-10569-5426 [5]、アムステルダム国立美術館の魯知深 RP-P-2004-515 [6]、同館の朱貴 RP-P-2019-202 [6]には、人物を区別する題字と説明文、体の向き、武器、背景がそれぞれある。

《水滸伝》は中国で生まれた物語で、百八人の豪傑を中心とする。国芳の連作名にある「百八人」は物語に由来する数であって、版画が百八図刊行されたという意味ではない。太田記念美術館は現在知られる図を七十四図とする [2]。同館の2016年の展覧会解説 [1]には、七十四図のうち七十三図を紹介したとある。この数も「七十四枚だけ摺った」という意味ではない。一つの版木から複数の紙に摺られ、現在は異なる所蔵先に同じ図柄の現物が残る。

このページでは、文政十年(一八二七)ごろの連作開始を軸に、題字の読み、豪傑ごとに異なる動き、刺青の役割、出版と現存する摺りを考える。張順と魯知深は二館の現物を比べる。のちに水滸伝を題材として作られた別の連作や安政三年(一八五六)の水中格闘図は、最初の七十四図とは区別して扱う。本文の画像は、それぞれの館の公開条件を確認したファイルから作成した。

まず確認したいこと

項目 資料から言えること
作品のもと 中国の『水滸伝』。日本では翻案や芝居、錦絵を通じて親しまれた。太田記念美術館 [2]。
連作の開始 太田記念美術館 [1]は文政十年(一八二七)ごろとする。個々の所蔵品の制作年代には幅がある。
図数 太田記念美術館が現在知られるものを七十四図と記す。「百八人」は物語上の数。
国芳の画業での位置 東京国立博物館 [4]と太田記念美術館 [11]は、国芳の知名度を大きく高めた出世作と位置づける。
後年の図との違い メトロポリタン美術館の《水中で闘う阮小五》 [10]は一八五六年二月の別作品。初期の連作の一図として数えない。

百八人と七十四図――題名から数を読み違えない

《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》という長い題には、物語の人物群から「一人」を取り出すという仕組みがある。所蔵品によって末尾が「一個」「之一個」「之一人」「之壹人」と記録され、旧字体の使い方にも違いがある。東京国立博物館の張順 [5]の記録と魯知深 [5]の記録を比べても、表記は一致しない。作品群の名を検索しやすい形に整えることと、一枚に刷られた文字を記録することは別である。個々の図については館が示す原題と番号を残したい。

太田記念美術館の2023年展 [2]は全七十四図と紹介し、所蔵品《混江龍李俊》の解説 [3]も「現在までに74図が知られる」とする。数え方には、現存する図柄を研究によって確かめる作業が含まれるはずであり、将来の新発見まで否定する言い方にはしない。本文では「太田記念美術館によれば、現在知られる図は七十四図」として、典拠を添える。七十四人の豪傑を一回ずつ描いたと断定するのでも、全百八人の図が失われたと決めるのでもない。

現存する一枚と図柄全体も区別しなければならない。アムステルダム国立美術館の魯知深と東京国立博物館の魯知深は同じ構図だが、二つの収蔵品番号を持つ別々の紙である。張順も、東京国立博物館 A-10569-5426 [5]とクリーブランド美術館 1980.85 [7]に別の現物がある。七十四というのは、これらの紙の総枚数ではなく知られている図柄の数である。

中国の英雄を江戸の錦絵として見る

江戸の読者が見た《水滸伝》は、中国語の原作をそのまま目にした経験だけではない。翻訳、翻案、絵入り本、芝居、別の浮世絵が重なっていた。太田記念美術館の「浮世絵と中国」展 [2]は『三国志』と『水滸伝』が江戸の絵師に繰り返し取り上げられ、女に置き換える見立てや滑稽画も生まれたことを説明する。したがって国芳の一枚を、中国の物語の単純な挿絵とも、日本の武士を描いた「侍絵」とも呼びきれない。中国の人物を題材に、江戸の版画市場へ向けて作られた錦絵である。

題名の枠、人物名、場面を語る文章は、画面の余分な部分ではない。張順の図では左上に連作名と名、右下に文章があり、その間を水門と人の体が占める。文字を細部まで読めなくても、絵が無名の力士を見せているのではなく、知られた人物の事件を示すことが分かる。反対に、文章だけを現代語に訳しても、腕と刀と水門の配置が作る緊迫感は伝わらない。題字と画面は一組として読むべきだ。

絵師の創作もその間にある。ボストン美術館の展覧会記事 [8]によれば、燕青は原作でも刺青のある人物だが、獅子と牡丹の模様は国芳による造形である。刺青が「原作通り」か「全くの空想」かと二択にせず、人物の属性と、版画に具体化された文様を分けられる。国芳の図は、物語をなぞるだけでなく、見た人が一枚から人物を覚えるように作られている。

浪裡白跳張順――水門に向かう体

水門を破る《浪裡白跳張順》、東京国立博物館 A-10569-5426
水門を破る《浪裡白跳張順》 東京国立博物館 A-10569-5426. ColBase CC BY; 縮小・圧縮.
別の摺りの《浪裡白跳張順》、クリーブランド美術館 1980.85
別の摺りの《浪裡白跳張順》 クリーブランド美術館 1980.85. CC0; 縮小・圧縮.

東京国立博物館の《浪裡白跳張順》 [5]では、張順が刀を口にくわえ、木組みに手をかける。矢は頭や体の近くへ飛び、水の波紋は足元に続く。視線はまず顔と刃へ行くが、周囲を見れば敵の攻撃を受ける危険な位置にいることが分かる。太田記念美術館の2016年展の詳しい解説 [12]は、曲がった柵のように見えるものを杭州城の水門とし、張順がそれを破ったあと敵の攻撃で死ぬと説明する。現代の観客が画像だけから「橋を渡る」と誤読しないために重要な資料である。

張順は水に強い人物でありながら、水門の場面ではそれだけで生き延びられない。図は勝利と危機の境にある瞬間を選んでいる。刀をくわえたのは手を使うためとも見え、体と木組みが噛み合う。大きな黒い部材は背景に後退せず、人物を切り分け、押し返す相手になる。矢を一本ずつ小さく描くことで、人物全体の迫力を損なわずに敵の多さを示す。こうした構図の読みは現物のデジタル画像からできるが、杭州という場所と最期の出来事は太田記念美術館の解説を根拠に記す。

クリーブランド美術館の《Rori Hakucho Chojun》1980.85 [7]は同じ図柄の別の摺りで、一八二〇年代末の制作と記録する。館の寸法は縦38、横25.7センチ、東京国立博物館の記録では37.8×26.2センチである。二枚を画面で同じ大きさに置いても、余白の取り方、紙の色、印刷の濃さ、撮影条件が違い得る。見えた差を「国芳が後から版木を改めた」と即断しない。比較画面では、刀、矢、水門、題字を対応させたうえで、あくまで二館の現存する摺りを見ていると表示する。

花和尚魯知深――松を砕く場面

《花和尚魯知深》の別の摺り、アムステルダム国立美術館 RP-P-2004-515
《花和尚魯知深》の別の摺り アムステルダム国立美術館 RP-P-2004-515. Public domain; 縮小・圧縮.
松の幹を砕く《花和尚魯知深》、東京国立博物館 A-10569-5427
松の幹を砕く《花和尚魯知深》 東京国立博物館 A-10569-5427. ColBase CC BY; 縮小・圧縮.

アムステルダム国立美術館のRP-P-2004-515 [6]は、花和尚魯知深が松の幹を断つ図で、館は一八二七~三〇年ごろ、版元を加賀屋吉右衛門と記す。東京国立博物館のA-10569-5427 [5]にも同じ図柄の摺りがある。二つの画面では、人物の顔、題字、折れた幹、周囲へ飛ぶ木片が対応する。題名だけで同じ人物を探したのでなく、構図と番号を照合している。

魯知深の丸い肩と腕は左側で力をため、松の幹は下へ斜めに走る。木片が体と幹の間を飛び、見る人は衝撃の「途中」を見る。幹には大きな黒い線が入り、衣と皮膚と樹皮にそれぞれ違う文様がある。刺青の曲線が胸と腕に広がるため、筋肉のふくらみは輪郭だけでなく表面の線からも分かる。画面上部の松葉、足元の草、右の題字は、人物と幹が大きくても場面を一枚の錦絵として保つ。

二館のデジタル画像には明らかな見え方の差もある。アムステルダム国立美術館のファイルには白い台紙が広く写り、東京国立博物館の画像には版画の紙がほぼ画面いっぱいに入る。ウェブ画面の白い幅を、元の版木に「余白の多い別版」があった証拠と取り違えない。比較では版画そのものの範囲を示し、全体画像も残す。注釈用にはアムステルダム国立美術館から取得した5418×7797ピクセルの元ファイルを使える。館の縦380、横260ミリという寸法に対し十分な解像度があるため、国芳の標準的な300 dpi以上の細部画像を作成できる。

この図に付ける注釈は、まず顔、刺青、割れた木、連作名と人物名の四点を説明するのがよい。木の裂け目を「松」、人物を「魯知深」と呼ぶ根拠は館の記録にある。切り抜きには「RP-P-2004-515の元画像から切り出し、縮小」と明記し、拡大表示で台紙を含む全体にも戻れるようにする。彫師や摺師の名がこの現物の記録にないなら、個人名を想像して足さない。

魯知深の一枚を細部から読む

番号から下の説明へ進み、細部の画像を選ぶと拡大できます。切り抜きはアムステルダム国立美術館の5418×7797ピクセルの元画像から作りました。現物の記録寸法から見て300 dpiを上回ります。

国芳《花和尚魯知深》、RP-P-2004-5151234

出典:Rijksmuseum RP-P-2004-515 [6] · パブリックドメイン。細部は切り抜き・縮小。

注釈の説明

1

魯知深の顔

人物の顔が動きの外へ向き、力だけでなく表情も見せる。

魯知深の顔RP-P-2004-515の元画像から切り抜き・縮小。
2

肩と腕の刺青

曲線の文様は肩と腕に沿う。松葉や砕けた木の線とは区別して見る。

肩と腕の刺青RP-P-2004-515の元画像から切り抜き・縮小。
3

砕けた松の幹

斜めに走る幹と飛ぶ木片が、体の力を衝撃として見せる。

砕けた松の幹RP-P-2004-515の元画像から切り抜き・縮小。
4

連作名と人物名

二つの題字が連作名と魯知深を示す。文字も図柄の一部である。

連作名と人物名RP-P-2004-515の元画像から切り抜き・縮小。

旱地忽律朱貴――弓を持つ静かな場面

弓を持つ《旱地忽律朱貴》、アムステルダム国立美術館 RP-P-2019-202
弓を持つ《旱地忽律朱貴》 アムステルダム国立美術館 RP-P-2019-202. Public domain; 縮小・圧縮.

アムステルダム国立美術館の《旱地忽律朱貴》RP-P-2019-202 [6]は一八二七年ごろのものとされる。刺青を見せる背中と腕、体の前を通る弓、川面と遠くの小舟が印象的だ。張順と魯知深は衝突の瞬間を描くが、この図では人物が動き出す前の緊張が長く続く。弓の横線と振り向く顔の向きが交差し、図を見る者は矢の行く先を画面の外に想像する。

小舟は1024ピクセル幅に縮めると見落としやすい。高解像度の画像で川を拡大すると、水と人物の関係が見えてくる。ただし、舟の人が誰なのか、版画が原作のどの回を示すのかは、題名と画面だけから断定できない。印刷された本文の正確な翻刻と照合するまでは、見える小舟と弓を説明するにとどめる。美術館の現物記録には寸法が「0 mm」と表示されるが、実際の紙の大きさを示す値として使えない。作品番号、制作年の目安、公開条件は記録し、欠けた寸法をもっともらしい数値に直さない。

浪子燕青と刺青の読み方

《浪子燕青》、東京国立博物館 A-10569-5423
《浪子燕青》 東京国立博物館 A-10569-5423. ColBase CC BY; 縮小・圧縮.

東京国立博物館の《浪子燕青》A-10569-5423 [5]も、国芳が体の文様を人物の記憶に使う例である。ボストン美術館の国芳・国貞展の記事 [8]は、燕青を相撲に長けた人物として紹介し、原作には刺青の記述がある一方、獅子と牡丹という具体的な図柄は国芳の工夫と説明する。「原作に刺青がある」と「この獅子牡丹が書かれている」は同じ主張ではない。画面の文様を見るときは、その差を読者に示したい。

刺青は肌を埋めるもう一つの絵であり、錦絵では彫られた線と摺られた色として表される。観客は強い体を見ると同時に、体に載せられた獅子や植物の図を読む。これは現実の江戸の刺青の写真ではなく、物語上の豪傑を国芳が作った画像だ。ボストン美術館の「Tattoos in Japanese Prints」展 [8]は、初期の《水滸伝》の図と後の刺青文化との関係を扱う。そこから、特定の彫師がどの一枚を最初に写したかまで知ることはできない。影響を語るなら、館が示す口伝や後の受容という幅を残す。

そもそも刺青だけで七十四図の魅力を説明できない。張順は水門と矢、魯知深は木、朱貴は弓と川によって、同じ連作でも異なる時間の感じ方を生む。衣服の柄、波、松葉、題字の枠も、肌の文様と並んで見る価値がある。「刺青の英雄」という入口から入ったあと、画面のどの線が皮膚、衣、波、木を示すかを見分けることが、国芳の工夫をもっとよく伝える。

絵師だけでできた一枚ではない

国芳が図案を作っても、錦絵は版元、彫師、摺師などの仕事を経て買い手へ届く。アムステルダム国立美術館の魯知深 [6]は版元を加賀屋吉右衛門とし、大英博物館の別の連作作品 [13]には伊場屋仙三郎の名がある。別々の作品に残る名を、連作全体に同一の版元がいた証拠へ広げない。所蔵品ごとの記録を積み重ねることで、制作と流通の実際に近づく。

「七十四図」から販売部数を算出することもできない。一つの図柄が何枚摺られたか、どの時期に再び摺られたかは、版木や現存する紙の比較による別の研究課題である。太田記念美術館の2016年展 [1]が七十三図を集めたという事実は、図柄の広がりを示すが、刊行当時の一揃いが完全な状態で残ったことを意味しない。東京、アムステルダム、クリーブランドの現物が別々の経路で保存されていること自体が、印刷物の寿命を考える手がかりになる。

同じ『水滸伝』の名でも、冊子と一枚摺りは違う。国立国会図書館の《仮名垣水滸伝》に関する解説 [9]は、天保元年(一八三〇)の本について作者を柳亭種彦、絵を国芳、版元を西村屋与八と記す。本では文章と挿絵をページをめくって読む。大判の一枚摺りは人物と出来事を遠くからでも分かるように圧縮する。この本の版元を、初期の豪傑連作すべての版元と取り違えない。

続く《水滸伝》――見立てと後年の図

1856年の《短命二郎阮小五 水中戦》、メトロポリタン美術館 2001.715.9
1856年の《短命二郎阮小五 水中戦》 メトロポリタン美術館 2001.715.9. Public domain; 縮小・圧縮.

初期の豪傑が人気を得たあと、国芳は別の形で『水滸伝』に戻った。太田記念美術館の国芳英雄展 [1]は滑稽画、女性への見立て、和製水滸伝の豪傑などを原連作と分けて紹介する。アムステルダム国立美術館の《風俗女水滸伝》に属する一八三二年の摺物 [14]では、琴を弾く女性と和歌を組み合わせた小さな形式が使われる。これを七十四図の一つとして数えるべきではない。

後年の作品を一枚添えるなら、メトロポリタン美術館の《Tanmeijirō Genshōgo Fighting Under Water》2001.715.9 [10]が分かりやすい。同館は安政三年(一八五六)二月と明記する。一方、ボストン美術館が紹介する同じ人物名の初期の一枚 [8]は一八二七~三〇年ごろとされる。人物名と水の場面が似ていても、二つを同一作品の前後の摺りとは呼べない。時代と構図の異なる作品を並べれば、題材の再利用が長く続いたことを示せる。

他の絵師にも『水滸伝』は広がる。メトロポリタン美術館の春梅斎北英による芝居の四枚続き [15]は一八三五年ごろで、館の説明によれば、描かれた四人の役者は実際には同じ大阪の舞台に立っていない。後の歌川国貞の一八六三年の役者絵 [16]も物語の変奏である。関連画像に置くときは作者名を大きく示し、国芳の初期連作に混ぜない。

画像と注釈の扱い

掲載図版には必ず所蔵館の番号を添える。東京国立博物館の三点はColBase [5]から直接取得した画像で、出典リンクと縮小・切り抜きなどの加工表示が必要になる。アムステルダム国立美術館の魯知深と朱貴は各作品ページでパブリックドメインと表示される。クリーブランドの張順はCC0、メトロポリタン美術館の一八五六年の図も公開利用の対象である。元画像、1024ピクセル幅・JPEG品質80・144 dpiの掲載用ファイル、作品番号、権利表示、加工内容は別の台帳に保管する。

張順の杭州という舞台に関して古写真を探すことはできる。しかし十九世紀に撮られた街の写真を、物語上の水門の実景や国芳が参照した風景として添える根拠はない。このページでは版画の文字と形が中心となる。地理を扱う別記事で、年代と撮影地を確認した写真を資料として示すことはあり得るが、ここでは想像の場面を歴史写真で飾らない方が正確である。

画面上では最初に「物語の百八人」と「国芳の七十四図」を分けて見せる。人物を選ぶと現物画像、題字、番号、出来事の短い解説へ移る。魯知深の細部は高解像度の元画像から切り出し、顔、刺青、木、文字を説明の下に示す。張順の二館の摺りは版の前後を決める機能でなく、同じ図柄がどのような現物として残るかを見る機能とする。日本語の人物名にはふりがなか読みを添え、必要に応じて中国語名も記し、読者が館の記録をたどれるようにする。

この連作をどう見るか

一枚の迫力から入り、次に題字と人物名、次に周囲の小さなものへ目を移す。張順の刀のあとには矢と水門、魯知深の顔のあとには飛ぶ木片、朱貴の刺青のあとには小舟が見えてくる。豪傑という共通の枠の中でも、国芳は危機、衝突、予感という違う時間を描き分けた。七十四図という数はその広がりを示すが、作品を理解する単位は今見ている一枚の場面である。

国芳はのちに猫、妖怪、役者、美人、風景など多くの図を作る。《水滸伝》はそのすべてを説明する鍵ではないが、彼が一つの物語を携帯できる一枚の錦絵に凝縮する方法を確立した重要な場所である。百八人の物語、太田記念美術館が確認する七十四図、各館に現存する別々の摺りを分けて読むと、国芳の名声をただの伝説でなく、確かめられる図像と資料の上に置ける。

読者との対話

国芳の一枚を見て、題字と人物、画面の形から気づいたことを共有してください。

Reader Insights

三枚のつながり

骸骨の図で、三枚の境目は物語の読み方をどう変えますか。

図と題字

猫や豪傑の題字を読むと、最初の印象はどう変わりますか。

画面の広さ

水滸伝の縦図と《大森》の風景では、どこに目が向かいますか。

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参考資料

  1. 太田記念美術館「国芳ヒーローズ~水滸伝豪傑勢揃」。連作の年代、七十四図、後の展開、張順の解説。
  2. 太田記念美術館「浮世絵と中国」。中国の物語の受容、七十四図。
  3. 太田記念美術館所蔵《混江龍李俊》。第59回の場面、七十四図の説明。
  4. 東京国立博物館「博物館ニュース」2013年6・7月号。連作と国芳の出世。
  5. ColBase、東京国立博物館《浪裡白跳張順》A-10569-5426、《浪子燕青》A-10569-5423、《花和尚魯知深》A-10569-5427。
  6. アムステルダム国立美術館、魯知深 RP-P-2004-515、朱貴 RP-P-2019-202。制作年代、所蔵番号、公開画像。
  7. クリーブランド美術館、張順1980.85。同図柄の別の摺り。
  8. ボストン美術館「Showdown! Kuniyoshi vs. Kunisada」と「Tattoos in Japanese Prints」。燕青の文様、刺青と受容。
  9. 国立国会図書館《仮名垣水滸伝》の解説。1830年の絵入り本。
  10. メトロポリタン美術館《Tanmeijirō Genshōgo Fighting Under Water》2001.715.9。1856年の別作品。
  11. 太田記念美術館
  12. 太田記念美術館の2016年展の詳しい解説
  13. 大英博物館の別の連作作品
  14. アムステルダム国立美術館の《風俗女水滸伝》に属する一八三二年の摺物
  15. メトロポリタン美術館の春梅斎北英による芝居の四枚続き
  16. 歌川国貞の一八六三年の役者絵