尾形光琳

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月24日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

二組の燕子花、波、下絵、墨、漆、陶器から、尾形光琳の造形を所蔵品ごとに読みます。

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尾形光琳《八橋図屏風》Met所蔵の一隻、53.7.1, .2。根津美術館の《燕子花図》ではない
Met所蔵《八橋図屏風》の一隻、1709年以後。所蔵番号53.7.1, .2。

はじめに

尾形光琳(一六五八〜一七一六)を思い浮かべるとき、金地に群生する燕子花を最初に挙げる人は多いだろう。しかし、よく知られた燕子花の屏風は一組だけではない。根津美術館の国宝《燕子花図》 [2]には橋が描かれず、メトロポリタン美術館の《八橋図屏風》 [3]では八つ橋の板が画面を横切る。同じ『伊勢物語』の場面を踏まえながら、風景を示す手がかりと目の運び方が異なる。さらに、《波濤図屏風》 [5]では、花も橋もない二曲の画面に波がうねる。これらを単に「琳派の装飾」と一括りにする前に、現物ごとの形と用途を見たい。

このページは、屏風の折れ目をまたぐ植物や水、紙の上の墨、漆の箱を回り込む橋、弟の尾形乾山と関わった陶器をつなぐ案内である。光琳の生涯を詳しく追う伝記、二組の屏風を比べる燕子花の解説、MOA美術館の国宝を調べる《紅白梅図屏風》の解説へ進めるようにした。掲載画像は十枚だが、十点の独立した作品ではない。一組の屏風の左右を別々に写す画像と、後世に屏風に仕立て直された下絵の画像を含むからである。

京都国立博物館の琳派展解説 [1]は、本阿弥光悦、俵屋宗達、光琳・乾山、酒井抱一を、世代を超えてゆるやかに結び付く人々として扱う。これは、一つの工房で師から弟子へ技法が直線的に伝わったという意味ではない。どの作家がどの作品を見て、どの主題を引き継ぎ、後の人々が何を「光琳の系譜」と呼んだかを分けて考える必要がある。そのためにも、まず所蔵番号と素材が確かめられる作品から始める。

まず押さえたいこと

問い 所蔵品から分かること
光琳はどのような環境で育ったか 京都の高級呉服商「雁金屋」の家に生まれた。光琳と弟の乾山は、衣服、美術、能、工芸に親しむ環境にいたと京都国立博物館が説明する。京博 [1]。
燕子花の屏風は一組か 根津美術館の《燕子花図》とメトロポリタン美術館の《八橋図屏風》は、所蔵先も現物も異なる六曲一双である。後者には橋が描かれる。根津 [2]・Met [3]。
屏風以外には何があるか 墨の掛軸、蒔絵の硯箱、乾山と関わる陶器、版画として伝わる花の図案など。制作に関わった人と後の複製・版行は作品ごとに区別する。Met《布袋》 [6]・京博の角皿 [10]。
琳派はいつ確立したか 今日の分類は後から形成された。抱一が一八一五年に刊行した『光琳百図』『尾形流略印譜』は、光琳の作品と印章をまとめる後世の活動だった。京博 [1]。

所蔵品を画像一枚ずつ確かめる

このページの十画像は八つの所蔵品に対応する。メトロポリタン美術館の公開画像には、《八橋図屏風》の二隻、《波濤図屏風》、《松竹に鶴図屏風画稿》の四曲と六曲、《布袋》、花の版画二点がある。さらにColBaseで公開される東京国立博物館の《小袖 白綾地秋草模様》 [16]と《八橋蒔絵螺鈿硯箱》 [17]を加えた。画面の枚数と所蔵品の点数を混同しないよう、画像の下にタイトル、材質、所蔵番号を添える。画像は閲覧に適した横幅最大一〇二四ピクセル、JPEG品質八〇、解像度一四四dpiの派生ファイルで、元データのURLと照合記録を残した。ColBaseの利用案内 [18]に従い、二点の画像には出典と縮小加工の表示を付ける。

この並べ方で見えるのは、金地の屏風だけではない光琳の仕事である。橋を横切る燕子花、濃い水面に白い波頭を起こす二曲屏風、松や竹を背景に鶴を配した下絵、紙面の余白を使う布袋、印刷された小さな花の葉。いずれも「図案」と呼びたくなる配置の鋭さを持つが、実物の扱われ方は同じではない。屏風は部屋の中で開かれ、掛軸は掛け替えられ、冊子の葉は手元でめくられる。身体と物との距離が変われば、同じ植物の線でも働き方は変わる。Met《八橋図屏風》 [3]と《布袋》 [6]の所蔵記録を並べると、その違いが寸法にも表れる。

橋を描かない燕子花、橋を描く燕子花

根津美術館の《燕子花図》 [2]は国宝で、各隻が縦一五一・二、横三五八・八センチの六曲一双。総金地の上に群青と緑青を使い、燕子花の葉と花を大きな群れとして置く。根津の解説は、図柄の一部に型紙を反復利用したことも記す。反復は観察の欠如を意味しない。似た花が現れる間隔、左右隻の密度、金地の空きを調整することで、屏風を端から端へ見る時間が作られている。第九段の「東下り」を知る人なら、花だけで八つ橋の地名と旅の歌を思い出せる。橋を描かないことが、文学の記憶を働かせる。

一方、Metの《八橋図屏風》 [3]は一七〇九年以後とされ、所蔵番号は五三・七・一および二。こちらも金地の六曲一双だが、斜めに折れる板橋が燕子花のあいだを通る。縦に立つ茎と横断する橋が競い合い、見る目は板の向きに導かれて二隻を移動する。Metの解説は『伊勢物語』の歌とジョン・T・カーペンターによる英訳を示し、原文の折句を英語に移す難しさにも触れる。和歌を画面の「正解」として貼り付けるより、花・橋・旅愁が互いを呼び起こす関係を考えたい。

このサイトで掲げるMetの二枚は、後者の屏風二隻を写したものだけである。根津美術館の国宝の写真ではない。両館の現物を一つにしてしまえば、橋の有無という最も大切な相違を失う。屏風の画像は開いた正面を平面化するため、実際に折れた面を横から見る感覚も伝えきれない。燕子花の個別ページでは所蔵、寸法、物語、図案と画像の出典を隻ごとに詳しく分ける。

下絵が後から屏風になった作品

Met《Cranes, Pines, and Bamboo》 [4]は、メトロポリタン美術館が「後に一対の屏風に仕立て直された下絵」と明記する作品である。所蔵番号一九七五・二六八・六二、六三。現在の右隻は四曲、左隻は六曲で、同じ幅の六曲一双ではない。画面には鶴、松、竹、川のほか、季節を暗示する草花が配される。川は陸を二つに分けながら手前へ流れ、離れた画面を視線の中で結ぶ。写真だけを見ると完成屏風に見えかねないため、下絵と後の表装という履歴を画面の説明に残した。

Metは未完成の徴候として、木の幹を曖昧に塗った部分、薄い緑、左隻の「ごく薄い緑」という指定を挙げる。こうした書き込みは、色を決める過程を物理的に示す貴重な痕跡である。鶴・松・竹は長寿を祝う伝統的な組み合わせだが、決まった記号を機械的に置くだけではない。二つの陸地、向き合う鳥、流れ込む川を、四曲と六曲の異なる長さの中で組み立てている。美術館によれば、かつて光琳の子孫である小西家に伝わった素描群に属していた。来歴は画面の意味にも関わる。

図版は四曲の松側と六曲の竹側を別々に示す。画像の比率と折れ目を確認しても、作者が構想した最終的な設置場所までは分からない。下絵であることを尊重するなら、いま見える表装を制作時の完成形へ遡らせないことが大切だろう。燕子花の屏風と並べると、自然の形を折り畳む面に配るという共通の問題が見える一方、金地の完成画と、指示の残る構想段階との差もはっきりする。

《波濤図屏風》の二曲に収まる海

Met《波濤図屏風》 [5]は二曲一隻、墨・色・金箔を用いた紙の屏風で、所蔵番号二六・一一七。Metは一七〇四年ごろから一七〇九年ごろと推定する。画面の「道崇」の印と、その号を一七〇四年に用い始めたという情報が年代の手がかりとなり、江戸滞在中の制作の可能性も示される。ただし、これは年記ある注文記録によって日にちが確定したという意味ではない。

画面を眺めると、暗い水面から明るい波頭がいくつも起き、先端には穴のような白い抜けがある。うねる線が折れ目をまたぎ、波は互いに重なって迫ってくる。Metの解説は二本の筆を同時に持って輪郭を引く古い中国の技法に触れ、雪村周継の波の絵を着想源の可能性として挙げる。類似は興味深いが、特定の雪村作品を光琳が制作中に見たと確定する資料とは違う。画面の観察、技法の説明、影響の仮説を分けて読む。

燕子花では直立する茎と黄金の間隔がリズムを作る。波では曲線と濃淡が動きを作る。それでも両者とも、折り畳まれた画面をどの方向へ目が進むかを強く意識した仕事と言える。二曲の海を六曲一双の花と同じ「華麗な装飾」に閉じ込めると、主題に応じて媒体を変える光琳の判断が見えなくなる。小さめの屏風に波だけを置いたことで、見る者は水面との距離を近く感じる。

墨の《布袋》、印刷された花の葉

Met《布袋》 [6]は、一七〇四年以後の紙本墨画の掛軸、所蔵番号二〇一五・三〇〇・八九。中国の布袋は日本で七福神の一人としても親しまれた。Metは光琳がこうした歴史・伝説上の人物を親しみやすく描いたと説明する。図の大きさは縦二八・五、横三六・八センチで、表装を含めた長さとは違う。人物に寄り添うように墨の勢いと余白を見る作品を、大きな屏風と同じ閲覧体験として扱うべきではない。

単純な線に見えても、「禅だから少ない筆で描いた」と断定する必要はない。図柄の由来、掛軸という形、残された墨の量がまず確認できることだ。《波濤図屏風》も墨の働きが強いが、そこでは水が画面全体を動かす。《布袋》は人物と余白の近い対話を作る。年代の幅が重なるからといって、光琳がある時期に金地を捨てて墨へ転じたとする発展図式も成り立たない。形式を並行して試みたと考える方が、現物に合う。

二つの花の図案、Met JP1828 [7]とJP1829 [8]は、それぞれ別の所蔵番号を持つ冊子の版画の葉である。美術館は光琳の名で登録し、材質を紙本の木版色刷りとするが、制作年は「江戸時代」と広い。したがって、この二枚の版木を光琳本人が彫った、いま残る印刷を本人が刷った、生前に同じ冊子を出版した、といった説明はできない。図案、彫り、摺り、後の伝来を区別する必要がある。

それでも図版を比較する意味は大きい。大きな屏風を占める植物に対し、冊子の葉では花の向きや枝の余白が手元の小さな横長面に収まる。繰り返し利用できる図柄が、異なる媒体にどのように馴染むかを考えられるからだ。美術館の帰属表示を尊重しつつ、それだけを根拠に制作工程を作り上げないことが、後世に流通した「光琳風」のイメージを読む入り口になる。

八橋が硯箱の蓋と側面へ続く

東京国立博物館の国宝《八橋蒔絵螺鈿硯箱》 [9]は所蔵番号H-86。蒔絵、鉛、螺鈿を用いた硯箱として記録される。京都国立博物館の展覧会解説 [1]は、燕子花と板橋だけで『伊勢物語』の八橋をほのめかし、箱の形や鉛板、割貝を大胆に使ったことを強調する。ここでは橋は紙に描かれた線だけでなく、光を反射する貝や異なる質感の鉛によって物体の上に現れる。

東京国立博物館の詳しい説明によれば、橋の意匠は蓋と四つの側面へ続く。屏風を正面から眺めるのと違い、箱の周囲へ回り、蓋を開けることまで意識される。さらに、その説明は光琳の意匠の下で技術者たちが制作したことに触れる。作者名を「光琳」と記すことと、漆や鉛や貝を光琳一人がすべて加工したと主張することは別だ。ここでは設計と工芸の共同制作を区別したい。掲載した現物写真は利用条件を確認したColBase H-86 [17]から取得し、出典と縮小加工を画像カードに明記した。

雁金屋という高級呉服商の背景は、衣服と工芸品に意匠が息づく京都の環境を考える助けになる。ただし、家業を根拠にどの屏風も「着物の型紙」と決めつけることはできない。六曲の紙、漆の箱、陶器の角皿は用途もつくり方も違う。共通するのは、自然の形をただ描くだけでなく、物の面に合わせて配置を考えることだ。京都国立博物館の雁金屋の説明 [1]は、この仕事が生まれた社会の手がかりとなる。

秋草を描いた《冬木小袖》

東京国立博物館の重要文化財《小袖 白綾地秋草模様》 [15]、所蔵番号I-721は「冬木小袖」と呼ばれる。白い綾織の絹に、菊、萩、桔梗、薄などの秋草が描絵で散らされている。ギャラリーにはColBaseの同じ現物の写真 [16]を、出典と縮小の表示を付けて収めた。美術館で平らに広げた姿から、袖と身頃の間に植物がどう配置されるかは分かる。しかし身にまとえば布は折れ、模様の位置関係も変わる。紙の屏風とは異なる、動く面のための絵である。

東京国立博物館によれば、光琳は一七〇四年に京都から江戸へ向かい、当初、深川の材木商冬木家に身を寄せた。この小袖は冬木家の妻女のために描いたと伝えられる。同館の修理報告 [20]は付属文書を検討し、宝永年間(一七〇四〜一一)の作品とする。冬木家への注文という話は伝承として示し、署名された依頼書が見つかったかのようには書かない。伝記では江戸の住まいと支援関係を考える材料となり、作品ページでは衣服の面に合わせた秋草の配置を見せてくれる。

乾山と作った《銹絵寒山拾得図角皿》

京都国立博物館の重要文化財《銹絵寒山拾得図角皿》 [10]、台帳番号G甲802は一対の角皿である。同館は、兄の光琳が寒山と拾得の人物を描き、弟の乾山が詩文を賛したと説明する。器は型で四角く成形され、白泥で化粧され、鉄絵具や朱が使われる。類例研究から、この種の兄弟合作は一七〇九〜一七一六年の間に位置づけられるという。つまり二人の役割を「光琳の絵、乾山の言葉と陶器」という具体的な仕事に落とし込める。

人物を描く点では《布袋》と通じるが、器の縁に囲まれた四角い面に詩文と人物を置くことは、掛軸の紙面と同じではない。墨と鉄絵具の動き、文字と図の距離、手に取る器と掛ける絵の違いを考えられる。写真を見る際にも、釉薬や焼成を経た現物の表面と画面の色調を区別する必要がある。京都国立博物館のデータベースには画像申請への案内があり、このページはその写真を無断で移さず、作品の詳しい記述へリンクする。

「兄弟が琳派を作った」という大きな説明より、一対の角皿でそれぞれ何をしたかを確かめる方が成果がある。相互の協力は確かでも、乾山を単なる光琳の補助者にするべきではない。陶器の製作と文字は乾山の仕事として説明されている。複数の人が一つの物に携わるとき、意匠の一貫性と作者の分担は両立する。

《紅白梅図屏風》を別の作品として読む

MOA美術館の国宝《紅白梅図屏風》 [11]では、紅梅と白梅が中央の川を挟む。二本の樹形は対称ではなく、水の暗い帯が左右を切り分けると同時につなぐ。《松竹に鶴図屏風画稿》の川や《波濤図屏風》の海と並べて、水を通じて視線が移動する仕方を考えられる。ただし、それぞれは別の材質と制作履歴を持つ現物である。似た植物の画面をこの国宝の写真として掲げることはしない。

紅白梅の個別記事では、金地や川の材料についての科学的な調査を、どの機関が何を測り、何を推論したかに分けて扱う予定である。古くから伝わる材料の言い伝えを、そのまま確定事項として繰り返さない。MOA美術館の画像利用案内 [13]はウェブや図録にある作品写真の私的利用を超えた転載を認めていない。よってここではMOAの現物記録を示し、同館のサイト画像を掲載用素材とみなさない。権利の違う別の正確な現物画像が見つかれば、所蔵品との対応を確かめてから追加する。

図像を掲載しないことは、作品を軽く扱う理由にはならない。所蔵機関の記録へ進める道をつくり、構図と素材の問題を明確に記すことができる。サイト全体で八〜十枚の画像を目安にする場合でも、適切な権利と作品名を満たす画像だけを使う。枚数のために別の梅図を置けば、見る人には同じ現物と誤解される。

光琳以後に作られた「琳派」

京都国立博物館の琳派展 [1]は、宗達、光琳、抱一それぞれの《風神雷神図屏風》を示した。主題が受け継がれる一方、三点は作者も所蔵先も違う。根津美術館は光琳が宗達を私淑したと説明するが、二人が同じ工房で師弟として働いたことにはならない。過去の作品を見て学ぶこと、図柄を変奏すること、後世に系譜を整理することを分ければ、「琳派」という名称を歴史の中で使いやすくなる。

特に酒井抱一は、光琳没後百年に当たる一八一五年に『光琳百図』と『尾形流略印譜』を刊行したと京博は説明する。作品と印章を集め、尾形流としてまとめる活動は、後世の受容そのものだ。これらの本を光琳自身の完全な作品台帳のように扱うべきではない。何が残り、どう集められ、何が名作として知られるようになったかを考える史料となる。

光琳の魅力は、共通の「模様」を各媒体へ貼るだけでは説明できない。燕子花の間隔、橋の折線、波のうねり、下絵に残る色の指示、硯箱の側面、角皿の文字と人物は、それぞれ別の造形上の問題を解いている。読者が作品の番号と素材を確かめながら行き来できれば、琳派の大きな歴史も具体的な現物から組み立てられる。

見る順路

まずMetの二枚の《八橋図屏風》で、橋と燕子花の茂みがどこで交差するかをたどる。次に根津美術館の《燕子花図》 [2]を開き、橋を見せずに場所を呼び出す方法を確かめる。鶴と松竹の下絵 [4]では、四曲と六曲の川を比べ、《波濤図屏風》 [5]では水そのものが主人公になる変化を見る。似た主題を探すだけでなく、折れ目、左右の幅、余白を意識すると比較が深まる。

それから《布袋》 [6]、八橋の硯箱 [9]、乾山との角皿 [10]、二枚の花の版画へ進む。屏風の前を歩く、掛軸に近づく、箱を回す、皿を手にする、冊子をめくる。ウェブの平らな画像では失われる動作を、寸法と素材と所蔵記録から想像してみたい。掲載できない写真には利用条件の理由があり、年代には推定の幅があり、版画には原図と摺りの関係がある。こうした留保も、作品の面白さを支える情報である。

読者との対話

光琳のどの作品の折れ目、素材、余白に気づいたか、所蔵番号とともにお寄せください。

読者の気づき

二組の燕子花

橋のない根津の一双と、橋のあるMetの一双では、物語の感じ方はどう変わりますか。

川の役割

鶴の下絵の川と《波濤図屏風》の水は、画面をどう動かしますか。

面を越える意匠

八橋が屏風から硯箱へ移ると、見る人の動作はどう変わりますか。

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参考資料

  1. 京都国立博物館「琳派 京を彩る」。雁金屋、琳派の世代、八橋硯箱、抱一の一八一五年刊行物。
  2. 根津美術館《燕子花図》、所蔵番号10301。国宝、寸法、技法、文学的背景。
  3. メトロポリタン美術館《八橋図屏風》、53.7.1, .2。別の六曲一双、年代、歌の英訳と公開画像。
  4. Met《松竹に鶴図屏風画稿》に当たる所蔵品、1975.268.62, .63。下絵と後の表装、四曲・六曲の寸法。
  5. Met《波濤図屏風》、26.117。二曲、年代の根拠、技法。
  6. Met《布袋》、2015.300.89。紙本墨画の掛軸。
  7. Met《Design of Flowers》、JP1828。木版の冊子葉。
  8. Met《Design of Morning-glory and Other Flowers》、JP1829。別の木版の冊子葉。
  9. 東京国立博物館《八橋蒔絵螺鈿硯箱》、H-86。国宝と材質。
  10. 京都国立博物館《銹絵寒山拾得図角皿》、G甲802。兄弟の分担と材質。
  11. MOA美術館《紅白梅図屏風》。国宝の所蔵記録。
  12. 根津美術館のサイト利用条件。画像転載の確認。
  13. MOA美術館の画像利用案内。画像転載の確認。
  14. メトロポリタン美術館刊、John T. Carpenter『Designing Nature』。関連書誌。本文の根拠として全冊を通読したという意味ではない。
  15. 東京国立博物館《小袖 白綾地秋草模様》、I-721。材質と江戸での伝承。
  16. ColBase《冬木小袖》、I-721。掲載写真の出典。
  17. ColBase《八橋蒔絵螺鈿硯箱》、H-86。掲載写真の出典。
  18. 国立文化財機構文化財活用センター、ColBase利用案内。商用利用、出典、加工表示。
  19. 東京国立博物館《冬木小袖》修理報告。宝永年間の検討。
  20. 同館の修理報告