尾形光琳《紅白梅図屏風》

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月24日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

二本の梅と銀の川を、MOA美術館の記録、材料調査、四つの細部と別作品から読む。

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MOA美術館所蔵の国宝《紅白梅図屏風》、尾形光琳筆、二曲一双の全図
MOA美術館所蔵の国宝、二曲一双。CommonsのPD-Art表示のある原画像から制作。所蔵品記録。画像の権利表示は公開前審査の対象。

はじめに

画面の端から入る白梅は、太い幹の大部分を屏風の外へ残す。向かい側の紅梅は、黒く重い幹と枝を大きく広げる。その間で、水が手前へ向かって幅を増し、暗い流れに白っぽい渦巻く文様が続く。金地に二本の梅を置いただけ、と言えば簡単だが、MOA美術館の《紅白梅図屏風》 [1]は左右を同じ重さにした図案ではない。見る者の視線は一方の木からもう一方へ移り、川へ引き戻され、花と枝の細部へ再び入る。屏風という折り畳める物体であることも、この経験の一部である。

MOAの所蔵品記録によれば、作品は二曲一双、各隻縦156.0×横172.2センチ、江戸時代・十八世紀の尾形光琳筆とされる。光琳の晩年作と考えられるが、制作年を一つの西暦に確定してはいない。文化庁の文化遺産オンライン [2]では1956年6月28日の国宝指定を確認できる。同じ《紅白梅図》という名でも、出光美術館には六曲一双の別作品があり、帰属の問題も異なる。題名の一致だけで画像や寸法を取り替えてはいけない。

このページでは、まず二本の梅と川を観察し、次に金地と銀の水の材料調査がどのように結論を深めたかをたどる。クリーブランド美術館の掛幅、Metの板絵、酒井抱一の梅図、光琳派の香合は、それぞれ別の所蔵番号と作者表示を持つ比較例として用いる。光琳の入口と伝記は人物と制作の広がりを、燕子花の比較は別の屏風二組を詳しく扱う。

作品情報と確かさ

論点 所蔵館・調査で確認できること 解釈と限界
対象作品 MOA美術館《紅白梅図屏風》 [1]、二曲一双、各156.0×172.2センチ 出光美術館の六曲一双 [15]とは別作品
年代 江戸時代、十八世紀。MOAは晩年作と考える 正確な制作年や最初の注文主は確定しない
落款・伝来 向かって右の紅梅に「青々光琳」、左の白梅に「法橋光琳」。双方に「方祝」印。旧津軽家伝来 後の伝来から最初の設置場所は分からない
金地 2011年の可搬型X線回折・蛍光X線研究 [5]は金箔と箔の重なりを支持 先行研究の弱い信号だけを金泥説の決定打にはできない
川 MOAは銀の残存と暗部の硫化銀を報告 硫黄による意図的な黒化は所蔵館の推論として示す
掲載画像 CommonsのPD-Art表示を伴うファイル [8]から下書き用を制作 MOA・Google側の権利表示と齟齬があり、公開前審査が必要

左右は対称ではない

白梅の画面は、木の全体を説明することを拒むように、幹を縁の外へ切る。細い枝が金の空間へ戻り、花を散らす。紅梅の画面では太い幹がはっきりと姿を現し、多数の枝を広げる。MOAの作品解説 [1]も、この左右の形の違いと、流れが結びつける構成に注目する。二本の木は向かい合っているが、同じ形を反転した鏡像ではない。見る位置を変えると、一方は画面外へ続く木として、もう一方は前に現れた木として働く。

花は輪郭線だけで一枚ずつ囲んだものではない。MOAは後に「光琳梅」と呼ばれる梅花の表現に触れ、幹に用いられたたらし込みも示す。まだ湿った墨や色の上に別の液を落として生じるにじみと斑は、遠目の明快なシルエットとは別の時間を画面に残す。遠くでは太い枝と川の形が読み取れ、近づけば蕾や花、濡れたような樹皮が目に入る。「装飾的」という一語で片づけると、この近距離の変化を見失う。

紅白は花の色の対比であり、画面に書かれた植物学上の二種の同定ではない。白い花を最初に見てから紅梅へ進むか、暗い川から始めるかで、作品の重心も変わる。枝の太さや花の密度は等しく配分されていない。季節のしるしとしての梅と、枝そのものの造形を同時に見ることができる。

クリーブランド美術館の《Plum Tree》1983.10 [11]は、1700年頃の絹本墨画の掛幅である。白い花を墨の余白として残し、古い木が画面の外へ伸びる。MOAの屏風の下絵だという記録はないが、縦長の画面で幹を切り、白梅に力を持たせる別の方法を示す。Metの《Flowers of Spring and Autumn》2015.300.90a,b [12]は、1701年の少し後の板絵二枚で、白梅が春の側に置かれる。こちらも川を挟むMOAの紅白梅とは媒体も構成も異なる。比較の価値は、すべてを一つの「梅の代表作」にまとめないところにある。

国宝の画面を四つの細部から見る

番号を選んで細部の説明へ進み、画像を押して拡大できます。切り出しはCommons掲載の同じ全図の高解像度原本から作成しました。

MOA美術館《紅白梅図屏風》全図の注釈1234
MOA美術館所蔵の国宝。画像はCommonsのPD-Art表示のあるファイルから制作。 原画像と権利表示.
1

白梅:画面外へ続く幹

幹の大部分は画面外へ切られ、枝が金地の上を川へ向かって戻る。

白梅:画面外へ続く幹
2

紅梅:重みのある幹と枝

太い幹と広がる枝が、白梅側とは異なる画面の重みを作る。

紅梅:重みのある幹と枝
3

文様のある川

作品内の流水文様を示す。合成写真の暗い継ぎ目を川の描線と取り違えない。

文様のある川
4

金地と小さな梅花

金地の広がりを小さな花が区切る。材料の同定はJPEGではなくX線調査による。

金地と小さな梅花

注意:川の細部は合成写真の暗い継ぎ目を避けている。材料の判断は所蔵館と論文による。

川が二隻を結ぶ

川は木々の間に引かれた細い境界ではない。下方へ広がる暗い帯の中に、繰り返す水の線が浮く。枝はその輪郭へ向かい、川の暗さは金地の輝きを強く感じさせる。文化遺産オンラインの国宝説明 [2]も、紅白梅と金地、銀色の流水の対比を記す。水を銀一色の静的な面と見るより、流れの幅と文様の反復を追う方が、二隻の関係が分かりやすい。

二曲の屏風はそれぞれ一度折れる。画面を平らに並べたウェブ写真は比較に便利だが、金属の反射、折れ目、実物の高さを固定した視点へ変えてしまう。白梅の端から入った視線が花を経て川へ向かい、紅梅の枝へ移るという読み方は、掲載画像に基づく編集上の観察である。江戸時代の所有者が同じ順路で見たという一次記録ではない。

下書きに用いる全図写真は左右の屏風像を一枚につないでいる。中央近くの暗い写真上の隙間を、光琳の川に描かれた黒い一本線と取り違えないようにしたい。注釈画像の川の切り出しは、この合成の継ぎ目を避け、実際の画面内の流れを示す。屏風の置き方や表面の光り方は、MOAの展示や所蔵館資料でも確かめるべき事項である。

金地と川:調査で分かったこと

  1. 2005蛍光X線で138点を測定。金の信号などに解釈上の疑問が残り、追加調査を促した。 資料
  2. 2011結晶の配向と箔の重なりが金箔を支持。金泥とする説の根拠を更新した。 資料
  3. MOA川の銀と黒い箇所の硫化銀を報告。意図的な硫黄処理は所蔵館の推定。 資料

金地をめぐる調査の順序

材料研究を読むときは、研究年と測定法を順に追う必要がある。MOAと東京文化財研究所による調査をまとめた2005年の蛍光X線報告 [4]は、紅梅側74点、白梅側64点、計138点の測定を記す。金の信号が弱い箇所や、当時の条件では川の一部で特定元素を検出できなかった箇所があり、著者たちは追加調査の必要を示した。ある測定点の弱い信号は、それだけで「金箔は一切使われていない」と確定するものではない。検出限界、表面状態、測定位置を伴う結果として読むべきである。

その後のAbeらの2011年の論文 [5]は、可搬型の粉末X線回折と蛍光X線を組み合わせた。薄く打った金箔では結晶の向きに特徴が現れる。屏風の金地にその配向が見られ、格子状に見える継ぎ目では金の厚さが二倍を超える箇所も確認された。隣り合う箔が重なる構造と整合し、研究者たちは金泥ではなく金箔という結論を示す。MOAの現行所蔵品ページ [1]もその結果を採用する。

2005年と2011年を「賛否二つの同等な意見」と並べるのは正確でない。後者は先の疑問を追加の物理的証拠で検討した研究である。先の報告にも価値はある。どこで何を測ったか、赤い花に水銀、白い花にカルシウムが見られたこと、元素分析では有機色素をすべて判定できないことなど、作品に対する調査の経過を示す。ただし花弁の写真だけから顔料名を断定したり、金地の研究結果から制作年や注文主を導いたりはできない。

2005年:測定と未解決の問い。2011年:金箔の結晶配向と箔継ぎの結果。 この順序をページ内の年表にも残す。後の方法が何を解明し、何はまだ解明しないかが分かるからだ。CiNiiが記録する2005年のMOA・東京文化財研究所の研究書 [6]は書誌と内容構成を確認できるが、本文全体をこの原稿のために閲覧したわけではない。未読の記述を読んだかのように引用しない。研究所のデジタル閲覧案内 [7]は閲覧のみを許し、複製を制限するため、画像の供給源にもしていない。

銀と暗い水

MOAの作品記録 [1]は、2011年のデジタル顕微鏡、可搬型蛍光X線、粉末X線回折を用いた調査に基づき、川の銀の残存と黒い箇所の硫化銀を報告する。そのうえで、銀箔を硫黄で黒化したと推定する。ここには三つの段階がある。今の写真に暗い川が見えること、分析で銀や硫化銀が検出されたこと、制作時に意図的な硫黄処理をしたという所蔵館の推論である。注釈の説明でもこの三つを混ぜない。

銀は長い年月で変化する。現在の暗い見え方が光琳の手を離れた瞬間とまったく同じだったとは、ウェブ画像だけから言えない。他方、所蔵館が材料分析を踏まえて示した意図的な黒化の解釈を、単なる経年の汚れとして退けることもできない。川の形と金地との対比を読む視覚的な説明は、分析が示す材料上の説明と並走する。化学分析が芸術的な判断の全てを代行するのではない。

落款、年代、伝来

向かって右の紅梅側には「青々光琳」、左の白梅側には「法橋光琳」とあり、いずれにも「方祝」の印があるとMOAは記す。「法橋」は光琳が1701年に得た称号と整合するが、署名だけで特定の年を決められない。MOAは津軽家に伝わったことと晩年作という見方を示す。2024年のMOA展覧会 [3]も晩年の制作として扱う。確かな表現は「晩年の作と考えられる」であり、「1715年の何月に完成した」といった断定ではない。

光琳が京都の呉服商の家に生まれ、江戸で活動し、陶芸家の弟・乾山と関わったことは、人物史として重要である。しかし、それだけでこの屏風を父や乾山、特定の江戸の顧客が注文したと書くことはできない。津軽家という後の伝来も、最初に置かれた部屋の証明にはならない。作品の来歴と人物一般の履歴は区別して読む。国宝指定の日付 [2]も二十世紀の評価の事実であって、光琳自身が受けた称号ではない。

宗達、琳派、後の梅

MOAは光琳が俵屋宗達を学び、紅白の梅と流水という主題に先例があることを示す。宗達から何を受け取り、木の切り方と川の形をどう変えたかを問う方が、「突然生まれた独創」とするより作品をよく見られる。MOAの2024年の展示 [3]は《風神雷神図屏風》とともに光琳の作品を扱い、宗達への応答も考えさせる。ただし、その年に並べて展示されたからといって、二作品がもともと一組の注文だったとは言えない。

「琳派」は長い時間をまたぐ関係を示す後世の便利な語である。国立国会図書館による出版と琳派の解説 [16]では、酒井抱一が1815年に光琳の図案を収集・刊行した経過を知ることができる。Met所蔵の抱一《Bush Warbler in a Plum Tree》 [13]では、斑のある樹皮と梅、鳥の組み合わせが見られる。光琳と関わる表現を後世の別の作者がどう扱ったかを考える資料であり、MOA屏風の一部分ではない。

Metの《Incense Box with Flowering Plum Tree》29.100.719 [14]は十九世紀、作者表示は尾形光琳派である。漆、金、螺鈿を使った小さな香合に梅の意匠が移る。光琳自身の筆と呼ばず、後の作り手が別媒体で受け継いだ意匠として示す。ここでも所蔵番号、素材、作者表示が画像の意味を決める。画題が似ているだけではMOAの屏風の複製にならない。

四つの別作品との比較

各画像はMOAの国宝ではありません。作者表示、媒体、所蔵番号と画像条件をそれぞれ確認しています。

光琳《Plum Tree》、1700年頃
光琳《Plum Tree》、1700年頃. クリーブランド1983.10・絹本墨画の掛幅・別作品。 所蔵品と画像の記録.
光琳《Flowers of Spring and Autumn》、1701年以後
光琳《Flowers of Spring and Autumn》、1701年以後. Met 2015.300.90a,b・木製の板絵二枚、春の側に白梅。 所蔵品と画像の記録.
酒井抱一《Bush Warbler in a Plum Tree》
酒井抱一《Bush Warbler in a Plum Tree》. Met 2015.500.9.15・後世の別作者の絵画。 所蔵品と画像の記録.
尾形光琳派《Incense Box with Flowering Plum Tree》
尾形光琳派《Incense Box with Flowering Plum Tree》. Met 29.100.719・十九世紀の漆器。光琳本人ではなく「光琳派」の帰属。 所蔵品と画像の記録.

画像から分かること、画像だけでは分からないこと

この下書きの全図には、Wikimedia CommonsでPublic Domain Mark / PD-Artと表示される写真 [8]を使用した。元画像の4,001×1,757ピクセルのファイルとハッシュを保存し、表示用は横幅1,024ピクセル、JPEG品質80、144dpiの設定にした。細部四点は元画像の画素を保持した300dpiタグ付き作業用マスターから切り出した。dpiタグは元の写真に存在しない細部を新たに作るものではない。白梅、紅梅、川、金地の各切り出しは全図の位置と照合した。

ここには公開前に解決すべき権利表示の食い違いがある。MOAのサイトポリシー [9]は同館サイトの画像の無断転載を制限し、Google Arts & Cultureの作品記録 [10]にもMOAの権利表示がある。他方、別のホストであるCommonsの掲載ファイルにはPD-Artの表示がある。下書き用ファイルはMOAサイトやGoogleから直接取得していない。それでも「MOAがこのサイトへの使用許諾を出した」とは書けない。公開手続きではファイル単位の状態を確認する。Metとクリーブランドの比較画像は各館のオープンアクセス/CC0条件を別に記録した。

全図の暗い合成の隙間は、作品の水面ではない。折れ目の角度、実物の寸法、金銀の反射は写真では十分に再現されない。注釈の番号が示すのは写真で確認できる構図と細部であり、金箔や硫化銀という材料の同定は所蔵館や論文の分析結果に帰属させる。写真の色だけを見て化学的な成分を証明したことにはしない。

見るための順序

まずMOAの全図 [1]で白梅の幹がどこで切れ、紅梅が画面をどれほど占めるかを確かめる。次に、川が下へ広がる形と枝の向きを追う。細部画像では、樹皮のにじみ、花の輪郭を省く方法、水の渦を見比べる。ここで遠目の構図へ戻れば、細部が単なる飾りでなく、二本の木を生きた季節の姿にする働きが分かる。

その後、クリーブランドの掛幅 [11]、Metの春秋の板絵 [12]、抱一の梅と鳥 [13]を比較する。いずれもMOAの国宝ではない。形式、画題、作者、時代を区別して初めて、《紅白梅図屏風》特有の暗い川と不均等な二本の木が際立つ。所蔵、二曲一双、寸法、落款、指定日、金箔の分析結果は記録できる。一方で正確な制作年と最初の注文は、ここで用いた資料だけでは確定しない。豊かな読みと、証拠の限界を同じページに置くことができる。

読者との対話

《紅白梅図屏風》の構図や材料について、見えたことと推測を分けてお寄せください。

読者の気づき

二本の木

白梅の幹を画面の外へ切ることで、紅梅との関係はどう変わりますか。

暗い川

川の幅と水の文様は、二隻の間の距離をどう感じさせますか。

材料と見え方

金箔と硫化銀の調査を知る前後で、画面の印象は変わりますか。

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参考資料

  1. MOA美術館《紅白梅図屏風》所蔵品記録。形状、寸法、落款、伝来、構図と2011年の科学調査。
  2. 文化庁・文化遺産オンライン 国宝指定記録。作品の指定と1956年6月28日の日付。
  3. MOA美術館、2024年の光琳展覧会。晩年と宗達への応答の比較。
  4. 東京文化財研究所、2005年の蛍光X線調査報告。計138点の測定と方法上の限界。
  5. 阿部ら、2011年『分析化学』金地調査論文。金箔の結晶配向と箔継ぎ。
  6. CiNii、MOA・東京文化財研究所の2005年研究書の書誌。書誌のみ確認し、未読本文の結論は引用していない。
  7. 東京文化財研究所、屏風のデジタル閲覧案内。閲覧と複製の制限。
  8. Wikimedia Commons、全図写真のファイルページ。PD-Art表示と下書き用画像の取得元。
  9. MOA美術館のサイトポリシー。同館サイトの画像利用に関する制限。
  10. Google Arts & Culture、同作品の記録。MOAの権利表示。画像の取得元ではない。
  11. クリーブランド美術館、光琳《Plum Tree》1983.10。別作品の掛幅、CC0画像。
  12. Met、光琳《Flowers of Spring and Autumn》2015.300.90a,b。別作品の板絵、オープンアクセス画像。
  13. Met、酒井抱一《Bush Warbler in a Plum Tree》2015.500.9.15。後世の別作者による作品。
  14. Met、尾形光琳派《Incense Box with Flowering Plum Tree》29.100.719。十九世紀の別媒体の作品。
  15. 出光美術館、別の《紅白梅図屏風》。六曲一双で、帰属問題も別。
  16. 国立国会図書館、出版と琳派の継承。抱一による1815年の光琳図案の刊行。
  17. Met、John T. Carpenter編『Designing Nature』刊行案内。刊行書の紹介。全本文の読了を主張しない。