保永堂版『東海道五拾三次之内』

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月24日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

江戸から京へ。標準的な全五十五図の道順を、個別の摺りと制作の記録を確かめながらたどります。

歌川広重、《蒲原 夜之雪》、保永堂版東海道
《蒲原 夜之雪》。歌川広重、individual impression date unverified。所有者提供のパブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺りと摺りの時期は未特定。

五十五図で道を読む

《蒲原 夜之雪》では黒い人影が静かな雪道をゆく。《庄野 白雨》では雨が坂と旅人を斜めに切り、《四日市 三重川》では吹き飛ぶ笠が風を見せる。三図は歌川広重の『東海道五拾三次之内』、通称「保永堂版東海道」に属する。一八三三年頃に刊行が始まったこの連作は、江戸から京都への移動を、土地の名前だけでなく天候、時刻、食べ物、人の労働によって経験させる。静岡市東海道広重美術館の解説 [3]は、広重の名を風景画家として広めた重要な作品に位置づける。

四日市の風を読む

クリーブランド美術館の保永堂版から三つの細部を選びます。番号を押して下の説明へ進み、細部画像を押すと拡大できます。

Hiroshige’s Yokkaichi: a willow bends in the wind, a traveller reaches for a blown hat, and another crosses a small bridge123

注釈した細部

細部の切り出しは保存済みの高解像度300dpi作業用原版から作成しました。

1

柳

川沿いの柳の枝が強く曲がり、目に見えない風の方向を示す。

柳の拡大画像
(英語)
2

飛ぶ笠

旅人が飛ばされた笠へ手を伸ばす。小さな出来事が天気を人の動きに変える。

飛ぶ笠の拡大画像
(英語)
3

橋

もう一人が低い橋を渡る。橋の歴史上の位置について四日市市立博物館の研究があるが、この摺りだけで視点は確定しない。

橋の拡大画像
(英語)

歌川広重《四日市 三重川》、一八三三〜三四年頃。クリーブランド美術館、1948.307。所蔵記録 [8]・CC0 [13]。

歌川広重、《庄野 白雨》、保永堂版東海道
《庄野 白雨》。歌川広重、1834–35。メトロポリタン美術館、JP41。所蔵記録・CC0。

標準的な組は五十五図である。日本橋の出発、五十三の宿場、京の三条大橋への到着を合わせた数だ。佐川美術館の目録 [1]とサントリー美術館の展示リスト [2]に道順が示され、大英博物館の京師の現物 [5]も五十五番と記される。ただし五十五の位置をたどる表は、最初に摺られた順を証明するものではない。同じ図柄にも早い摺り、後の摺り、別の版があり得る。作品を読むときは道順、一枚の構図、現存する個別の摺りを分けたい。

東海道という道をどう描いたか

東海道は幕府の中心である江戸と朝廷の京都を結ぶ幹線で、五十三の宿場が旅を支えた。メトロポリタン美術館の概説 [14]は、約二百九十マイルを何日もかけて通る道として説明する。連作の各図は宿場の町並みを均一に写したものではない。町への入口、川の渡し、山道、海辺、名物の店など、道中で意味を持つ場所や行為を選んでいる。

四日市市立博物館の広瀬毅による五十五図研究 [4]は、宿場を描く図と街道、川、橋、海などを扱う図を分類した。これは広重自身の分類ではなく研究者による読解だが、連作を「宿場の肖像五十三枚」と誤解しないために役立つ。《日本橋 朝之景》は橋と人の流れから出発し、《箱根 湖水図》は険しい地形へ、《見附 天竜川図》は渡河へ向かう。《御油 旅人留女》では宿に客を呼び込む人々が主役になる。

歌川広重、《御油 旅人留女》、保永堂版東海道
《御油 旅人留女》。歌川広重、ca. 1833–34。メトロポリタン美術館、JP506。所蔵記録・CC0。
歌川広重、《日本橋 朝之景》、保永堂版東海道
《日本橋 朝之景》。歌川広重、ca. 1833–34。メトロポリタン美術館、JP471。所蔵記録・CC0。

道を知る読者の想像力も連作を支えた。静岡市東海道広重美術館の企画 [3]は十返舎一九『東海道中膝栗毛』と版画を並べ、旅の物語が普及していた背景を示す。徳川美術館の展示資料 [9]も天候と情趣による疑似旅行の魅力を説く。作品は公的な測量図でなくても、場所の記憶や旅への期待を呼び起こせた。RISD美術館の展覧会 [10]が指摘するように、多くの旅人は歩き、資力があれば馬や駕籠を利用した。道を動かすのは旅人だけでなく、渡しの人、荷を運ぶ人、宿を営む人でもある。

なぜ保永堂版というのか

保永堂は版元・竹内孫八の屋号である。サントリー美術館の説明 [2]によれば、一八三三年に仙鶴堂こと鶴屋喜右衛門との共同出版で始まり、のちに保永堂が単独で続けた。佐川美術館の目録 [1]では、二版元の併記が十一図、竹内のみが四十三図、鶴屋のみが一図となる。これはその目録に記載された版元表記を街道順に数えた結果で、刊行順を示す帳簿ではない。個々の摺りの版元や年代はその現物の記録で確かめる必要がある。

元の組物名『東海道五拾三次之内』の「五拾三」は現在よく書く「五十三」と異なる。宿名や副題にも、鞠子/丸子、由井/由比、藤澤/藤沢、濱松/浜松などの表記がある。佐川美術館 [1]と四日市市立博物館 [4]は五十五の位置では一致しても、数行の漢字が違う。表記の差を直ちに別の場所や別作品とみなしてはいけない。一方、同じ「大津」でも別の東海道連作なら図柄自体が違う。

題名には組物名、宿名、副題という層がある。《庄野 白雨》なら庄野は位置、白雨は画面の急な雨を示す。英語の美術館題名が Shōno: Sudden Shower と訳す理由も分かる。日本語の副題を残すと、風景を描いた一枚の狙いを見失いにくい。刊行年も組全体を一八三三年の一日に固定するより、「一八三三年頃に始まった一八三〇年代前半の企画」とし、画像のキャプションには美術館の個別の年代を記す方が正確だ。サントリー美術館の展示一覧 [2]には早い摺り、後の摺り、別図が並ぶ。

広重は道中をすべて自分で歩いたのか

一八三二年に幕府の馬を京へ届ける一行に加わり、その場で全宿場を写生したという伝承は知られる。しかしマティ・フォラーの史料検討、17〜18頁 [6]は、根拠が後年の説明にあり、当時の行程を確認できないと論じる。RISD美術館 [10]も旅を推定として扱い、チェルヌスキ美術館に関係する論考 [15]は専門家の異論と先行する道中案内の影響を挙げる。旅をしなかったと証明されたわけではない。確かなことは、全図を一度の確認済み旅行の現場記録として読むことができない、という点だ。

実際に歩いていたとしても、完成図は見た風景の単純な転写ではない。メトロポリタン美術館の蒲原の解説 [7]は深い雪を想像の景として扱い、クリーブランド美術館の四日市の記録 [8]は名高い市ではなく風の吹く川辺を選んだことに注目する。実在の道を舞台に、季節、天気、構図を使って「旅」を組み立てた。だからこそ真に迫る図が、旅の日記そのものとは限らない。

日本橋から峠へ

《日本橋 朝之景》は五十三宿の前に置かれる東の出発点だ。大英博物館の展示解説 [5]は前景の大名行列と遠くの火の見櫓を読み取る。シカゴ美術館の保永堂版の現物25544 [16]もこの図柄を記録する。ただし同じ日本橋には別図もあり、大英博物館は別の構図を独立して登録 [17]している。駅名だけで一枚の写真を同定してはならない。

西へ進むと川と地形が旅のテンポを変える。《箱根 湖水図》は湖と山の急な斜面を強調し、シカゴ美術館に保永堂版の摺り [18]がある。原の《朝之富士》と吉原の《左富士》は同じ富士を別の位置と光のもとに置く。佐川美術館の道順 [1]では原が十四番、吉原が十五番、雪の蒲原が十六番である。この急な変化は一回の旅で天気が次々に変わった証拠ではなく、連作に変化を生む編集である。

歌川広重、《原 朝之富士》、保永堂版東海道
《原 朝之富士》。歌川広重、ca. 1833–34。メトロポリタン美術館、JP484。所蔵記録・CC0。

さらに西の《日坂 佐夜ノ中山》では、暗い斜面の間に明るい坂が立ち上がり、小さな人々が進む。メトロポリタン美術館のJP2878 [19]は現存する一枚の保永堂版である。峠の高さを測る図ではないが、上る身体の感覚を視線に伝える。日本橋の交通、箱根の地形、日坂の坂道は、連作が道の異なる条件を画面ごとに選んだことを示す。

歌川広重、《日坂 佐夜ノ中山》、保永堂版東海道
《日坂 佐夜ノ中山》。歌川広重、ca. 1833–34。メトロポリタン美術館、JP2878。所蔵記録・CC0。

蒲原――雪を描く想像力

《蒲原 夜之雪》は黒い輪郭、わずかな暖色、広い雪の白さでできている。三人の姿は遅く進み、家と丘は降雪に沈む。大英博物館の展示解説 [5]は、この図が広重の蒲原図のなかで、通常描かれる渡しではなく宿を示す珍しいものだと述べる。宿場に「当然の一景」があったのではなく、記憶に残る場面を選べたことが分かる。

メトロポリタン美術館の所蔵記録 [7]は、大雪がこの場所では珍しいことを挙げ、想像上の冬景色とみる。したがって雪の日に広重が蒲原に立った証拠と読むべきではない。本頁の所有者提供画像は同じ図柄の再現だが、撮影された物理的な摺りは同定されていない。別の美術館の収蔵番号、摺りの年代、発色をこの画像に移すことはできない。サントリー美術館の展示リスト [2]が早い摺りと後の摺りを並べるのは、同一図柄でも現物の違いが研究対象だからだ。

食べる、渡る、働く

《鞠子 名物茶店》では名物のとろろ汁を供する場所が主題になる。静岡市東海道広重美術館 [3]はこの図を旅の文学と結びつけ、四日市市立博物館の研究 [4]は宿場の外の茶店とする。名物は装飾でなく、旅人が足を止める理由だ。鞠子/丸子という表記の違いは目録によって残る。

《見附 天竜川図》では川を越える作業が行程を区切り、シカゴ美術館にその一摺り [20]がある。《御油 旅人留女》は宿の女性が旅人を引き止める場面で、サントリー美術館の作品解説 [21]は近接する御油と赤坂の宿の競争、店先の文字、奥行きに注目する。文字と身振りも、街道の経済を表す版画の要素だ。本頁に掲げるメトロポリタン美術館JP506は一枚の現物で、別の美術館の御油と細かな摺りを混ぜて語らない。

宮から桑名への七里の渡しでは歩行が船に切り替わる。メトロポリタン美術館の《桑名 七里渡口》JP1491 [22]には青い波を進む船と城が見え、同館は宮から約二時間の渡海を説明する。《大津 走井茶店》は京の直前にもう一つの休みどころを置く。シカゴ美術館の保永堂版大津 [23]とメトロポリタン美術館の後年の隷書東海道の大津 [14]を取り違えないことも、街道の再訪を読む第一歩だ。

歌川広重、《桑名 七里渡口》、保永堂版東海道
《桑名 七里渡口》。歌川広重、ca. 1833–34。メトロポリタン美術館、JP1491。所蔵記録・CC0。

《藤枝 人馬継立》の題名は人と馬を継ぐ宿駅の仕事を明示する。大井川の両岸を描く《島田 駿河岸》と《金谷 大井川遠岸》は、向こう岸へ移ること自体を連続する二図で実感させる。《鳴海 名物有松絞》の布、《水口 名物干瓢》の食べ物も土地の評判を運ぶ。佐川美術館の一覧 [1]に残る副題は、版元が何をその場の売り物として選んだかの手がかりになる。ただし小さな人影を全員「巡礼」や「商人」と決めつけるべきではない。読める衣服、持ち物、詞書に応じて識別する。

雪、雨、風、時刻

蒲原の雪が静けさを作るのに対し、《庄野 白雨》では急な雨が人物と坂を動かす。クリーブランド美術館の庄野の記録 [8]は二組の旅人、背後の竹、別々の版木から摺られた三つの灰色、傘に隠れた版元名に注目する。大英博物館の技法解説 [11]は、摺師が作るぼかしの役割を説明する。雨は絵師の着想であると同時に、彫りと摺りが紙に作った現象だ。保永堂版の庄野を、晩年の『名所江戸百景』に属する《大はしあたけの夕立》と混同しない。

《四日市 三重川》では川辺の柳がしなり、一人は飛んだ笠へ手を伸ばし、もう一人は低い橋を渡る。クリーブランド美術館の現物1948.307 [8]は、知られた市の風景をあえて選ばなかったことを述べる。ただし広重がなぜこの場所を選んだかを示す本人の文章はない。広瀬毅の四日市研究 [4]は、通例の三滝橋説を橋の規模と旧街道の向きから疑い、現在の稲葉橋の付近と湊橋近辺の視点を提案する。説得力のある地域研究だが、広重が実際に立った場所の確証ではない。画面の笠と橋は確かに見える。歴史上の正確な視点は議論が続く。

天候はこの三図だけではない。佐川美術館の一覧 [1]には《三島 朝霧》《沼津 黄昏図》《原 朝之富士》《亀山 雪晴》《土山 春之雨》も並ぶ。サントリー美術館の解説 [21]は沼津を連作で唯一の月景とする。時刻と天気の違いは五十五図を一日の出来事のように見せず、長い旅のリズムを作る。下の表は宿名と日本語の副題を検索できる。題名にない天候まで推測して分類するものではない。

歌川広重、《土山 春之雨》、保永堂版東海道
《土山 春之雨》。歌川広重、1834–35。メトロポリタン美術館、JP520。所蔵記録・CC0。

三条大橋に着く

《京師 三条大橋》は五十三の宿場を越えた到着図である。大英博物館の現物1906,1220,0.826 [5]は五十五番と記録され、鴨川にかかる橋、行列、荷を運ぶ人々を説明する。橋は目的地であり、別の人々にとっては通過点でもある。日本橋の出発と京の到着は、名前のある一旅人の物語でなく、大勢が往来する都市の両端を作る。

歌川広重、《京師 三条大橋》、保永堂版東海道
《京師 三条大橋》。歌川広重、ca. 1833–34。メトロポリタン美術館、JP525。所蔵記録・CC0。

数え方は日本橋一、宿場五十三、京一、合計五十五でよい。佐川美術館 [1]、サントリー美術館 [2]、四日市市立博物館 [4]の表は三条大橋で終わる。シカゴ美術館の京師25789 [24]は大英博物館の図と同じ図柄の別の摺りで、個々の紙、色、収集の履歴は同一ではない。

同じ図が違って見える理由

錦絵は絵師の一枚の絵を写真のように複製したものではない。版元が企画と販売を担い、彫師が線と色の版木を作り、摺師が色を紙へ移した。メトロポリタン美術館の版画解説 [12]と大英博物館の制作案内 [11]は、この協働、見当合わせ、馬連の働きを説明する。色をぼかす技法は摺師の手によって一枚ずつ変わり得る。大英博物館の庄野の技法研究 [11]を読むと、同図柄の画像の色の違いをただちに「間違い」と呼べない。

違いには版木の摩耗、彫り直し、色の計画、退色、裁断、撮影も関わる。小さなウェブ画像だけで原因を断定しない。サントリー美術館の展示リスト [2]は蒲原、丸子、岡崎の早い摺りと後の摺りを分け、いくつかの宿場には別図も記録する。別図は同じ版木からの後の摺りではない。「版の状態」と「個別の摺り」も区別したい。五十五図の表は標準的な道順を示すが、残るすべての現物を一表に収めるものではない。

北斎の富士図と何が違うか

広重の東海道も北斎の『冨嶽三十六景』も、連作の中で変化を比べさせる。ただし問いの立て方は違う。北斎の図では一つの山が、異なる場所、枠組み、人の営みからどう見えるかが軸となる。広重の連作では道を進み、次の宿場に何が現れるかが軸になる。食事、渡河、雨の坂も行程を作る。徳川美術館の比較 [9]は、北斎の先行する風景版画と、広重の旅人や情趣の扱いを並べるが、単なる模倣関係にはしていない。

原や吉原の富士は、山が描かれるから北斎の連作に入るわけではない。逆に北斎の図に働く人がいても、東海道を東西に進む組物ではない。二つの問い――「富士がどう見えるか」と「旅人は次にどこへ着くか」――を手に、両者の図を見比べられる。

後の東海道連作との違い

広重は同じ道を繰り返し描き、版元、画面の向き、題字、主題を変えた。静岡市東海道広重美術館 [25]は複数の東海道連作を並べ、サントリー美術館 [2]は保永堂版と隷書東海道を別々の完結した組として展示した。隷書東海道は題字の書体から呼ばれる後年の組で、メトロポリタン美術館の隷書版《大津》 [14]は一八四八〜四九年頃とされる。宿名が同じでも、保永堂版大津の画像として代用してはいけない。

図柄の判別には組物全体の題名、版元、年代、判型、構図を使う。画面に「広重」と「四日市」があるだけでは足りない。後の『名所江戸百景』は縦長で、近景の大胆な切り取りも多い。雨や額縁のような眺めには連続性があるが、保永堂版の東西に進む道順とは別の作りだ。

五十五図を一覧するときに

下の検索表は佐川美術館の目録が示す五十五の位置と副題をたどる。街道順は便利だが、最初の出版順、別図の全数、残存する摺りの全履歴を示すものではない。サントリー美術館の資料 [2]と四日市市立博物館の研究 [4]は、表記と別図をさらに確かめる道具になる。

まず日本橋と京で両端を押さえ、箱根で地形を、蒲原、庄野、四日市で異なる天候を比べてみる。見附と桑名では川と船が歩行を中断し、鞠子、御油、大津では旅人を支える店と働き手が現れる。全図をひと息に眺めるより、どの条件が次の一枚を変えるかを追うと、連作の編集が見えてくる。

東海道の全五十五図

佐川美術館目録の街道順と日本語題名に基づく一覧です。出版順やすべての別図・摺りを示すものではありません。元の目録 [1]も確認できます。

1 江戸の出発53 宿場1 京への到着55 図

55図中55図を表示

幅の狭い画面では表を横へ動かせます。

道順宿場・起終点副題役割
1日本橋朝之景江戸の出発
2品川日之出1番目の宿場
3川崎六郷渡舟2番目の宿場
4神奈川臺之景3番目の宿場
5保土ヶ谷新町橋4番目の宿場
6戸塚元町別道5番目の宿場
7藤澤遊行寺6番目の宿場
8平塚縄手道7番目の宿場
9大礒虎ヶ雨8番目の宿場
10小田原酒匂川9番目の宿場
11箱根湖水図10番目の宿場
12三島朝霧11番目の宿場
13沼津黄昏図12番目の宿場
14原朝之富士13番目の宿場
15吉原左富士14番目の宿場
16蒲原夜之雪15番目の宿場
17由井薩埵嶺16番目の宿場
18奥津興津川17番目の宿場
19江尻三保遠望18番目の宿場
20府中安部川19番目の宿場
21鞠子名物茶店20番目の宿場
22岡部宇津之山21番目の宿場
23藤枝人馬継立22番目の宿場
24嶋田大井川駿岸23番目の宿場
25金谷大井川遠岸24番目の宿場
26日坂佐夜ノ中山25番目の宿場
27掛川秋葉山遠望26番目の宿場
28袋井出茶屋ノ図27番目の宿場
29見附天竜川図28番目の宿場
30濱松冬枯ノ図29番目の宿場
31舞坂今切真景30番目の宿場
32荒井渡舟ノ図31番目の宿場
33白須賀汐見阪図32番目の宿場
34二川猿ヶ馬場33番目の宿場
35吉田豊川橋34番目の宿場
36御油旅人留女35番目の宿場
37赤阪旅舎招婦ノ図36番目の宿場
38藤川棒鼻ノ図37番目の宿場
39岡崎矢矧之橋38番目の宿場
40池鯉鮒首夏馬市39番目の宿場
41鳴海名物有松絞40番目の宿場
42宮熱田神事41番目の宿場
43桑名七里渡口42番目の宿場
44四日市三重川43番目の宿場
45石薬師石薬師寺44番目の宿場
46庄野白雨45番目の宿場
47亀山雪晴46番目の宿場
48関本陣早立47番目の宿場
49阪之下筆捨嶺48番目の宿場
50土山春之雨49番目の宿場
51水口名物干瓢50番目の宿場
52石部目川ノ里51番目の宿場
53草津名物立場52番目の宿場
54大津走井茶店53番目の宿場
55京師三条大橋京への到着

よくある質問

五十三は江戸と京都の間の宿場数。日本橋の出発図と京の三条大橋の到着図を加えて五十五図になる。佐川美術館の一覧 [1]と大英博物館の五十五番 [5]で確認できる。

一八三二年の具体的な随行譚は未確認である。フォラーの史料検討 [6]とメトロポリタン美術館の蒲原解説 [7]が示すように、実在の場所と想像の天候、構図上の選択を分ける必要がある。

竹内孫八の保永堂を中心とする一八三〇年代前半の出版企画の呼称である。サントリー美術館 [2]は仙鶴堂との共同開始と、その後の保永堂単独出版を説明する。呼称だけでは個々の摺りが初摺かどうかは決まらない。

別の連作である。サントリー美術館は両者を分けて展示 [2]し、メトロポリタン美術館の隷書版大津 [14]は一八四八〜四九年頃の作品として記録する。同じ宿名でも図柄と出版経緯が異なる。

別の摺り、版の状態、彫り直し、色の計画、退色、撮影などがあり得る。大英博物館は庄野のぼかし [11]を説明し、サントリー美術館は早い摺りと後の摺り、別図 [2]を分ける。まず個別の所蔵品記録を確認したい。

読者との対話

五十五図のどの場面で、道の天気や仕事を強く感じますか。

鑑賞の手がかり

道の一景

移動する身体をもっとも感じる図はどれでしょう。

天気を比べる

蒲原の雪から庄野の雨へ移ると、見方はどう変わりますか。

働く人を見る

道中のどの仕事や道具に初めて気づきましたか。

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目の止まった宿場や細部をコメント欄で共有してください。

参考資料

  1. 佐川美術館、保永堂版東海道五十五図目録(PDF)。宿名と副題の基準。
  2. サントリー美術館、保永堂版・隷書東海道展および出品リスト。共同出版、異版、別図。
  3. 静岡市東海道広重美術館、広重略伝および弥次喜多と五十三次展。
  4. 広瀬毅、四日市市立博物館、保永堂版《四日市》研究(PDF)。五十五図と現地比定。
  5. 大英博物館、広重展の作品解説および京師の所蔵品。
  6. マティ・フォラー『Hiroshige: Prints and Drawings』、Prestel、2011、公開試し読み11〜23頁。旅行譚の出典を検討。未公開の章は参照していない。
  7. メトロポリタン美術館、保永堂版および蒲原の所蔵品。
  8. クリーブランド美術館、《庄野》および《四日市》。
  9. 徳川美術館、広重の旅景展資料(PDF)。
  10. RISD美術館、東海道展。旅の社会背景と史料上の留保。
  11. 大英博物館、版画の制作とぼかしの技法。
  12. メトロポリタン美術館、浮世絵木版画の制作。
  13. CC0
  14. メトロポリタン美術館の概説
  15. チェルヌスキ美術館に関係する論考
  16. シカゴ美術館の保永堂版の現物25544
  17. 大英博物館は別の構図を独立して登録
  18. シカゴ美術館に保永堂版の摺り
  19. メトロポリタン美術館のJP2878
  20. シカゴ美術館にその一摺り
  21. サントリー美術館の作品解説
  22. メトロポリタン美術館の《桑名 七里渡口》JP1491
  23. シカゴ美術館の保永堂版大津
  24. シカゴ美術館の京師25789
  25. 静岡市東海道広重美術館