近すぎる梅の木と遠い庭。場所の記録、二つの摺り、後の写真から広重の一図を読む。

木と庭をどう見るか
濃い梅の幹が目の前に立ち、枝が赤い空を横切る。幹の向こうでは小さな人々が庭を歩き、花を眺める。歌川広重の《亀戸梅屋舗》は、一八五七年の『名所江戸百景』の縦長の錦絵である。木を極端に大きく見せることで、名所の全景を説明するのではなく、木のそばにいるかのような距離を作る。後にファン・ゴッホが油彩で作り直したことでも知られるが、まず江戸の名のある梅園と、何度も摺られて変わった版画として読む必要がある。
国立国会図書館の亀戸の名所案内 [1]は、梅屋舗を伊勢屋喜右衛門の別荘内にあった庭とし、三百本を超える梅を記す。特に名高い古木「臥龍梅」は地を這う龍になぞらえられた。広重の近景の幹はその土地の評判を利用している。ただし画面の巨大な比率をそのまま植物学上の寸法や普通の来園者の視線とみなすことはできない。
本頁の所有者提供画像には赤い上空、青緑の地面、白い花の一部に黄色の中心が見える。色は版の状態を考える手がかりになるが、所蔵番号が確定していないファイルに「初摺」「第一状態」と名づけてはいけない。大英博物館のカプシーヌ・コレンバーグによる研究 [3]は多数の実物を比較して四つの状態を区別した。その研究と二つの画像を並べ、同じ図柄の複数の生を考える。
要点
| 項目 | 確認できる内容 |
|---|---|
| 絵師・図柄 | 歌川広重《亀戸梅屋舗》 |
| 連作 | 『名所江戸百景』 |
| 図柄の年代と技法 | 一八五七年、色摺り木版画 |
| 場所 | 江戸・亀戸の梅屋舗。現在の東京 |
| 版元 | 魚屋栄吉。大英博物館の展示案内 [4]に記載 |
| 注意点 | 同図柄の摺りには複数の版の状態と退色がある |
| 後の受容 | ファン・ゴッホが後の状態の摺りを所蔵・転写し、一八八七年に油彩へ変換 |
四つの細部から読む
番号から下の細部へ進み、画像を押すと拡大できます。細部は保存済みの3286×4962ピクセル、300dpiの高解像度原版から作成しました。
この再現画像の物理的な摺りと版の状態は未特定。
図の背後にある場所
亀戸には一つだけでなく複数の名所があった。国立国会図書館の名所資料 [1]は、梅と藤で知られる亀戸天神と、伊勢屋喜右衛門の別荘内の梅屋舗を区別する。「亀戸天神の橋」とだけ記された後の写真は、実在する近くの場所を示すとしても、この図の梅屋舗の後の写真ではない。同図書館が別に掲げる「臥龍梅」の写真なら、名のある木と庭の後の姿を検討できる。
梅屋舗には三百本以上の梅があり、臥龍梅の低く広がる形は龍にたとえられたという。名の由来を水戸光圀に結ぶ伝えもある。梅干しが土産として売られた記録は、花見、商品、名木の名声が重なる場所だったことを示す。しかし版画の小さな人物の誰が買い物をしていたか、広重の幹が木の枝ぶりをどこまで忠実に写したかは分からない。絵師は有名な木を、画面を組み立てる大胆な物にした。
本頁の後の写真は、小川一真出版部による『東京風景』の書誌 [2]が示す一九一一年刊の本に載る。印刷された英語題は “Garyobai at Kameido”。枝の下の腰掛けに人が座っている。国立国会図書館デジタルコレクションの特定の頁 [2]から抜き出した画像で、同館の書誌はこの本をパブリックドメインとする。出版年は確かだが、その写真が撮影された年を示す記録はない。「一九一一年に撮影」とは書かない。この後の記録は名木が二十世紀初めにも見られたことを伝え、広重が立った正確な位置を再現するものではない。
庭の名声を知ると、幹の役割が変わって見える。まず遠くまで開いた全景を見せるのではなく、広重は木で視界を遮り、その隙間から庭と訪問者を探させる。場所を知る人にとっても、名前だけでなくその木に近づく感覚を作る。写真は別の時代の木と訪問者を見せる、二つ目の証人として並べられる。
構図を読む
幹は下から入り、太い枝が右へほぼ水平に伸びる。細い枝は空へ上がり、また枝の手前に垂れる。黒に近い形が画面を不規則な窓に分け、その一つから淡い梅の群れと訪問者、別の一つから赤い空と白い花が見える。木が額縁の端にとどまらず庭の内部を横切るため、小さな人物はさらに遠く見える。
掲載する赤い空の再現では、上の濃い赤が庭の上で薄まり、下には青緑の地面がある。白い花の黄色い芯、左下の太い暗い幹、控えめな色の人物が層を作る。色は上から下へ目を動かすが、その並びを現存する全摺りに普遍化してはならない。色の計画は版の状態、退色、撮影でも見え方が変わる。まずこの画像で確かに見える形と色を述べる。
人々は単なる尺度の目盛りではない。柵のそばに立つ人、右の小屋らしい形へ近づく人が見え、庭が訪ねて見る場所だと分かる。鑑賞者は大きな枝によって彼らと隔てられる。大英博物館の展示解説 [4]も、異常に近い前景と遠い庭の組み合わせを強調する。広重は花だけでなく「どう見るか」を描いている。
文字も画面の一部である。右上の赤い縦の短冊が連作名、青緑の短冊が亀戸梅屋舗を示す。署名は左下の幹の近くにある。美術館が後から付けたラベルではなく、売られた錦絵を構成する印刷された形だ。四つの細部注釈では木、訪問者、花と空、文字をそれぞれ大きくして読める。
一つの図柄、複数の摺り
錦絵は版木から何枚も摺られる。よく売れる図なら、色の計画、版木、摺り方が変わることもある。コレンバーグの大英博物館での研究 [3]は現存する82枚の写真を集め、線と色面の形などを比べて四状態を識別した。「状態」とは各紙に書かれた年でも、美しさの順位でもない。残る紙から分かる図柄の変化の型である。
よく目に付くのは空の上部だ。早い摺りには鮮やかな赤へのぼかしがあり、後のものでは青紫の帯が加わる。草の青緑や枝の表現にも違いがある。大英博物館の展示案内 [4]は早い摺りとファン・ゴッホが持った後の摺りを比べる。後者には青紫の上部、平板になった枝、草の青緑の水たまりがない。状態を言うなら、美術館の番号と現物の研究を添えるべきだ。二つのJPEGの色調だけでは、撮影や退色を切り分けられない。
同じ図柄の二つの画像
同じ図柄の二つの画像
色は異なります。所有者提供画像の現物の摺りが未特定で、撮影と退色も関わり得るため、この二つのJPEGだけでは版の状態を割り当てません。


所有者提供の赤い空の画像と、東京富士美術館の所蔵品01171 [6]のCC0画像を並べられる。大きな幹、枝の後ろの小さな人、右上の二つの短冊、左下の署名は一致する。しかし同館の画像は上が青黒く、中央は桃色に近く、地面は緑が強い。本頁の画像は上の赤と下の青緑が強い。二画像は同じ構図だが、これだけでどちらが何年に刷られたかは分からない。
シカゴ美術館の所蔵品1925.3752 [5]も一八五七年の別の摺りで、パブリックドメインと登録される。ボストン美術館 [8]にも複数の摺りがある。比較対象を広げるほど、外側の余白、見当のずれ、紙と摩耗の違いにも注意できる。東京富士美術館の個別頁は一八五七年と記す一方、文化遺産オンラインの集約記録 [9]には一八五六年が表示される。理由は説明されていないため、所蔵館の一八五七年を使い、矛盾を想像で解決しない。
退色も問題を複雑にする。大英博物館は植物性の赤や黄が光に敏感で、露出した部分の色が失われても覆われた縁に昔の色が残る場合を示す。淡い空は摺師の意図だけでなく、後の光の影響かもしれない。逆に過度に鮮やかなデジタル画像を「原色の復元」とすることもできない。赤い空と青紫の上部は図柄の受け取り方を変えるが、別の作品ではなく一つの図柄が持つ物質的な歴史だ。
ファン・ゴッホの摺り、転写、油彩
「ファン・ゴッホが広重を模写した」の一言には、少なくとも三つの物が含まれる。彼が持っていた後の状態の摺り、番号付きの格子で構図を拡大した転写、一八八七年の油彩《広重にならう花咲く梅の木》である。大英博物館の展示案内 [4]はそれぞれを別の物として挙げる。油彩は近い幹と遠い庭、縦の構成を保つ一方、筆触、尺度、縁の文字、色を変える。
大英博物館の研究 [3]によれば、ファン・ゴッホ自身の版画は退色した第四状態だった。しかし油彩には赤の強い空、花の黄色い芯、庭の青い影など早い状態に近い色がある。彼がパリで別の摺りを見た可能性はあるが、その具体的な一枚は確認されていない。格子の転写は形の移動を示すが、すべての色の出所まで解決しない。
油彩の両縁にある文字らしい縦列は、広重の元の連作名と地名の短冊を翻訳したものではない。日本版画に接したフランスの画家が新しい油彩の形式を作る要素だ。ファン・ゴッホ美術館の展示資料 [10]もその関心の中に作品を位置づける。後の油彩は一八五七年の摺りに代わる画像ではなく、別の時代と媒体の鑑賞の記録である。
江戸百景の中の一枚
《亀戸梅屋舗》は名のある江戸の近郊の梅園を描きながら、普通の来訪者には取りにくい近さの木を見せる。縦長の紙では幹から枝へ上へ読むことができる。同じ連作の《大はしあたけの夕立》は雨線と橋の斜めの道を使う。どちらも場所を新しく見せるが、木と夕立を取り違えるべきではない。太田記念美術館の連作解説 [7]は亀戸の巨大な近景の木と遠い人物、版木と摺りの質を強調する。
英語の “Plum Estate” という名だけでは図を確定できない。ボストン美術館が縦長の一八五七年の摺り [8]をそう呼ぶ一方、亀戸の梅に関わる別の早い横長の図もある。図柄、連作名、向き、所蔵品記録を見分ける。またメトロポリタン美術館の《蒲田の梅園》 [11]は亀戸ではなく蒲田であり、二つの「梅園」を同じ一枚として引用してはいけない。広重の生涯と江戸百景の全体案内は、この図を晩年の出版計画に位置づける。
図と写真から言えること
版画は「亀戸梅屋舗」という名、著名な木、庭を訪ねる人々の姿を示す。国立国会図書館の土地の資料は庭の人気と臥龍梅の名声を補強する。しかし図は庭の全景を測量せず、三百本すべてを確認させず、普通の訪問者が立った正確な場所を教えない。広重は近景と遠景の尺度を強く作り直した。
色の鮮やかな再現はその画像で見えるものを伝えるが、現物の状態を一枚で決定しない。大英博物館の四状態の枠組みは、多数の個別の摺りを比較した研究に基づく。国立国会図書館の後の写真にも、出版された頁、権利、撮影年の不明という条件がある。木の名を共有する後の姿として添えることで、広重の視点を写真が「発見した」という誤った印象を避けられる。
よくある質問
図柄は『名所江戸百景』の一八五七年の一枚。特定の摺りは後に刷られ、色や版木の状態が異なる場合がある。大英博物館の比較研究 [3]は四状態を区別する。
亀戸梅屋舗の梅を極端に近く描く。国立国会図書館 [1]は名高い古木「臥龍梅」を記録する。土地の評判は分かるが、図の幹の寸法は広重の構図上の選択として読む。
構図は自分の後の状態の摺りから格子で転写したが、大英博物館の比較 [4]は油彩の色に早い状態との共通点も見つける。具体的な別の出典の摺りは確定していない。
違う。メトロポリタン美術館の蒲田の所蔵品 [11]は別の場所と図柄。日本語の亀戸と蒲田を読み分ける必要がある。
違う。版の状態、退色、撮影、デジタル処理が関わる。大英博物館の研究 [3]は現存する紙に生じた実際の変更を示すが、ウェブ画像を比べる際には各現物と撮影も確認する。
読者との対話
同じ梅園の二つの摺りから、異なる色の歴史が見えます。
鑑賞の手がかり
大きな木は遠い訪問者の見え方をどう変えますか。
出典が分かる二画像のどこが違いますか。
油彩は何を残し、何を変えましたか。
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木、庭、後の摺りのどの細部で見方が変わりましたか。コメント欄で共有してください。







