名所江戸百景

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月24日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

橋、庭、祭、雪原、伝説。広重の晩年の江戸を十図と検索できる119図の目録からたどります。

歌川広重、名所江戸百景の亀戸梅屋舗
目録30番 《亀戸梅屋舗》。歌川広重、impression date unknown。パブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺り、版の状態、摺りの時期は未特定。

広重が見せた江戸とその周辺

歌川広重の『名所江戸百景』は、いまの東京とその周辺を、橋、庭、川、祭、雪原、伝説によって見せる晩年の錦絵連作である。梅の幹が庭を遮り、吊られた亀の向こうに橋が現れ、鳥が雪原を見下ろす。名前のある場所を示すと同時に、見る人がどこに立っているように感じるかを変え続ける。大英博物館の展覧会解説 [1]も、近景と遠景を大胆に組み合わせる広重の構図に注目する。

題名の「百」は現存する図の正確な数ではない。初代広重の署名がある図は118点、二代広重が一八五九年に加えた図が一点、さらに題名と目録の一枚を合わせると、通常の完本は図柄119点と目録一枚、計120枚となる。 静岡市東海道広重美術館 [2]と東京藝術大学大学美術館 [3]の説明は、この数の違いを考える助けになる。「118」「119」「120」は、何を数えているかを添えれば互いに矛盾しない。

初代の署名図は一八五六年二月から一八五八年十月にかけて刊行され、版元は魚屋栄吉だった。サントリー美術館の研究 [4]は、初代の死後にも企画が続き、二代の図と梅素亭玄魚による目録が加わったことを整理する。大英博物館の目録一枚の所蔵品 [5]は、絵の連作を後からどう束ねたかを示す物理的な証拠である。

要点

項目 内容
日本語題名 『名所江戸百景』
絵師 初代広重の署名図118点、二代広重の後補一図
版元 魚屋栄吉
刊行 初代の署名図は一八五六年二月〜一八五八年十月、二代の追加は一八五九年四月
標準的な完本 図柄119点、別の目録一枚、計120枚
目録 梅素亭玄魚が初代の118図を春・夏・秋・冬に分類
技法・形式 色摺り木版画、縦大判が中心
本頁 十図の読解と、目録順119図を検索できる一覧

以下の春夏秋冬の順は没後に作られた目録に従う。刊行した月の順でも、初代が最後に指示した配列と確定したものでもない。サントリー美術館 [4]は、目録の順と個別の改印の日付にずれがあると述べる。二代による追加は四季の区分の外に置かれる。

広重と版元が作った都市の連作

保永堂版『東海道五拾三次之内』が江戸から京への道順を作ったのに対し、『名所江戸百景』は都市と郊外へ視線を行き来させる。橋、渡し、寺、庭、町、水路、まだ名所の定型に収まらない土地までを扱った。大英博物館の発表 [12]は、古くから詩歌や案内記に結びつく「名所」という考えが、広重の連作で広がったと説明する。名所の名札が示す場所と、画面で最も大きい物が一致しないことも、この企画の面白さである。

一八五五年の安政江戸地震は刊行直前の都市の背景にある。ただし全図を被災記録や一律の復興宣伝とするのは過剰だ。大英博物館の慎重な説明 [1]は、再建される都市の住民を励ます働きがあった可能性を述べる。新しい眺めだけでなく、季節の楽しみ、古い歌の記憶、奇抜な視点も含むことが、この連作の広さを示す。

制作は絵師だけで完結しない。版元が企画と販売を担い、彫師が線を版木にし、摺師が色やぼかしを紙へ移した。大英博物館の展示案内 [1]は彫り、雲母、重ね摺り、濃淡の技法に触れる。近景の影と遠景の色の効果は、図柄と個々の摺りの双方に属する。インターネット上の画像一枚に、すべての摺りの性質を代弁させることはできない。

初代広重は一八五八年に没した。署名のある118図のうち三図には死後の日付の改印があり、門人の関与が議論される。サントリー美術館 [4]が示すのは帰属の問いであり、三図を何の説明もなく数から消す根拠ではない。「初代の署名がある118図」と言えば史料に忠実だが、「118図すべてを初代が生前に完成した」と断言はできない。二代広重の《赤坂桐畑夕立》は一八五九年四月の後補である。

「名所」はどこにあるのか

名所は風景の形だけでなく、詩、祭、寺社参詣、以前の案内書にも支えられる。国立国会図書館の名所解説 [7]は土地の名前に積み重なる記憶を示す。広重は名札のある橋や庭から、屋根の上、窓辺の猫、空の鯉幟、雪原へ視線をずらす。江戸とは現在の都心だけの境界線でもない。静岡市東海道広重美術館 [2]は中心部、近郊、さらに外の土地を分ける。

国立国会図書館の駿河台 [7]と目黒 [7]の資料は、地名の来歴、川、坂、橋を別の古図や文章から調べられる。背景を知れば広重が何を選び、何を大きくしたか分かるが、画面を現地の写真と同じ証拠にはしない。以下の十図は目録の四季にまたがり、五点の個別所蔵品と五点の所有者提供図柄を区別して示す。

十図を細かく見る

春:《亀戸梅屋舗》

梅の幹は視界に近すぎるほど大きく、庭の全景を遮る。枝の向こうに見える小さな人々が木の尺度を変える。国立国会図書館の作品記録 [13]は一八五七年、魚屋栄吉の図柄とし、異なる摺りへ案内する。場所の案内としてはあり得ない近さだが、花の枝を抜けて庭を見る経験を作る。

Hiroshige's Plum Garden at Kameido: a large dark plum tree before a garden with small visitors and a red sky123

目録30番 歌川広重《亀戸梅屋舗》。パブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺りと版の状態は未特定。番号から下の細部へ進み、画像を押すと拡大できます。

注釈した細部

細部の切り出しは保存済みの高解像度300dpi作業用原版から作成しました。

1

近景の木

幹と枝が画面を大きく分け、その間から庭を見るように誘う。

近景の木の拡大画像
(英語)
2

訪れる人々

小さな人物が梅の木の劇的な大きさを感じさせ、名のある庭を見せる。

訪れる人々の拡大画像
(英語)
3

空

現存する版の状態によって色が異なる。この画像の色だけで、早い状態や後の状態と決められない。

空の拡大画像
(英語)

大英博物館のカプシーヌ・コレンバーグによる研究 [8]は82点の摺りを比べ、四つの版の状態を区別した。早い摺りの赤い空と後の上部の紫、草や枝の違いは、色鮮やかなデジタル画像だけで判定できない。本頁の所有者提供画像は図柄として同定できるが、撮影された現物の状態は未確認である。ファン・ゴッホは後の第四の状態の摺りを持ち、格子を用いて写し、一八八七年に油彩《広重にならう花咲く梅の木》を作った。その油彩の色には早い状態の影響も見られるという。単純な「日本版画の模写」より、個別の摺りと画家の再構成を追う方が確かだ。

夏:《水道橋駿河台》

画面で最大の形は空を渡る鯉幟だ。題名の橋と駿河台、遠い富士よりもこちらが近くに見える。大英博物館の現物1948,0410,0.72 [10]は、水道橋、江戸城、富士と複数の鯉幟を記録し、早い摺りには同館の現物にない仕上げの工夫があると説明する。縦の布、横の橋、奥へ進む市街が一枚で競い、観客の距離感を瞬時に変える。国立国会図書館の駿河台資料 [7]は地名の由来を補うが、図は街路図ではなく季節の象徴を通した眺めだ。本頁の画像は所有者提供の図柄の再現で、同館の現物ではない。

歌川広重、名所江戸百景の水道橋駿河台
目録48番 《水道橋駿河台》。歌川広重、impression date unknown。パブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺り、版の状態、摺りの時期は未特定。

夏:《深川萬年橋》

吊られた亀の向こうに橋、水、舟、富士が遠ざかる。橋に比べて亀が大きいため、まず目の前の生き物に出会い、それから深川の地名へ入る。メトロポリタン美術館のJP1184 [14]は一八五八年の現物として登録される。近景の亀は庭の梅の幹とは違う、移動できる額縁のようなものだ。富士が見えても、これは北斎『冨嶽三十六景』の一枚ではない。一枚の縦長画面に複数の距離を入れる広重の実験である。

歌川広重、名所江戸百景の深川萬年橋
目録56番 《深川萬年橋》。歌川広重、1858。メトロポリタン美術館、JP1184。所蔵記録・CC0。

夏:《大はしあたけの夕立》

橋は川を斜めに切り、人物は急な雨に身をかがめる。大英博物館の展示解説 [1]は橋を見下ろし、対岸を見渡し、雲を見上げる視線の組み合わせを指摘する。一八五七年九月とされる初期の現物では、対岸近くに二艘の舟、橋の下に後に修正された白い彫りの誤りが見える。本頁の所有者提供画像について、同じ細部が検証されない限り初期版と判定しない。ボストン美術館のサラ・E・トンプソンによる出版プレビュー、129頁 [11]は対岸の三つの淡い屋根を将軍の船小屋と同定するが、注釈する際は掲載画像にその形が実際に見えるかを確かめる。作品の詳しい個別解説では摺りの違いを比較する。

歌川広重、名所江戸百景の大はしあたけの夕立
目録58番 《大はしあたけの夕立》。歌川広重、impression date unknown。パブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺り、版の状態、摺りの時期は未特定。

秋の組:《市中繁栄七夕祭》

祭の飾りが屋根を越えて立ち、広い空に家々の参加が模様のように広がる。メトロポリタン美術館のJP62 [15]は安政四年七月、すなわち一八五七年の現物である。後の目録では秋の組に置かれる。現代の季節感だけで「夏の組」に直すべきではない。祭そのもの、刊行月、後の目録の位置は別の情報である。Japan Searchで確認できる東京国立博物館の記述 [6]は目録の区分を保存する。

歌川広重、名所江戸百景の市中繁栄七夕祭
目録73番 《市中繁栄七夕祭》。歌川広重、1857 (Ansei 4), 7th month。メトロポリタン美術館、JP62。所蔵記録・CC0。

秋の組:《両国花火》

暗い空に花火が開き、橋の下には舟が集まる。画面には公共の見世物と、それを眺める橋、川、商いの場所が入る。大英博物館の展示解説 [1]は両国の花火が夏の終わりから秋まで人を集め、高い川沿いの店から見るような視点を取ると述べる。展示された現物の日付は一八五八年八月だが、本頁のメトロポリタン美術館JP642 [16]は別の摺りで、同館は一八五八年と記す。一方の紙の細かな印刷や収集歴を他方に移さない。

歌川広重、名所江戸百景の両国花火
目録98番 《両国花火》。歌川広重、1858。メトロポリタン美術館、JP642。所蔵記録・CC0。

冬:《浅草田甫酉の町詣》

窓辺の猫が格子の外の田圃へ目を向ける。題名は浅草の田と酉の町への参詣を示すが、いちばん近い身体は室内の猫だ。大英博物館の現物1906,1220,0.664 [10]は一八五七年、組物の百一番として記録される。本頁の画像は同図柄の所有者提供画像であり、その大英博物館の摺りではない。国立国会図書館の新吉原周辺の資料 [17]は土地の背景を補うが、描かれた部屋の持ち主を同定する根拠にはならない。名所を私的な窓から見せる構図そのものが、この図の発明だ。

歌川広重、名所江戸百景の浅草田甫酉の町詣
目録101番 《浅草田甫酉の町詣》。歌川広重、impression date unknown。パブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺り、版の状態、摺りの時期は未特定。

冬:《深川洲崎十万坪》

雪の湿地の上に猛禽が大きく翼を広げる。メトロポリタン美術館のJP2520 [18]は一八五六年の現物で、十万坪という地名と鳥を説明する。英語の資料によって鳥の種の呼び方に差があるため、ここではまず「猛禽」とする。梅の幹が視界を狭めた図とは逆に、鳥の速度と白い大地が広さを作る。江戸百景には市街の通りだけでなく、都市の縁の広大な土地も入る。

歌川広重、名所江戸百景の深川洲崎十万坪
目録107番 《深川洲崎十万坪》。歌川広重、1856。メトロポリタン美術館、JP2520。所蔵記録・CC0。

冬:《目黒太鼓橋夕日の岡》

雪の中を人々が進み、弓なりの橋と坂が道の労苦を感じさせる。国立国会図書館の目黒資料 [7]は目黒川の太鼓橋と急な行人坂、古い図や記述を示す。所有者提供画像の元ファイル名に「Moon Bridge」とあるが、作品の名は太鼓橋である。別の架空の名所にすり替えない。図が正確な測量図でなくても、土地の由来を知ることで橋、坂、曲がった人影を読むことができる。画像が写す物理的な摺りは未特定である。

歌川広重、名所江戸百景の目黒太鼓橋夕日の岡
目録111番 《目黒太鼓橋夕日の岡》。歌川広重、impression date unknown。パブリックドメイン図柄の再現。撮影された現物の摺り、版の状態、摺りの時期は未特定。

冬:《王子装束ゑの木大晦日の狐火》

暮れた木々の間に橙の火が点々と現れる。大晦日、王子の装束榎に集まる狐火という伝説を描いたもので、広重が発光する狐を目撃したという記録ではない。メトロポリタン美術館のJP2523 [19]は一八五七年の現物として長い日本語題名を保存する。祭の明るさ、花火、雪の白、狐火の暗さは一つの連作の中にあり、広重を単一の「風景の雰囲気」に閉じ込めない。

歌川広重、名所江戸百景の王子装束ゑの木大晦日の狐火
目録118番 《王子装束ゑの木大晦日の狐火》。歌川広重、1857。メトロポリタン美術館、JP2523。所蔵記録・CC0。

四季の目録をどう読むか

梅素亭玄魚の目録は春42、夏30、秋26、冬20の計118図を並べる。二代による後補は119番目の図柄で、第五の季節ではない。下の検索表はJapan Searchで示される東京国立博物館の日本語目録記述 [6]の略称を用いる。略称は作品を探す手がかりで、各摺りの画面の文字を完全に転写したものではない。

四季の順には鑑賞の楽しみがあるが、摺られた月の順と一対一ではない。七夕が秋の目録にあることは、その好例だ。玄魚の目録は初代没後の資料なので、初代自身の最終的な配列としても断定しない。東京藝術大学大学美術館 [3]の完本は一九一〇年に東京美術学校のために収集され、後に合冊から一枚ずつへ保存処置された。個別の画帖には肖像などが添うこともあるが、それらを「百二十番目の江戸の景」に加えてはいけない。標準的な組の数と一つの画帖に綴じられた物の数は別だ。

摺りは図柄と同じではない

同じ版木の図柄でも紙、摩耗、新しい版木、色の選択、摺圧、退色、後の扱いで見え方が変わる。亀戸梅の四状態は、コレンバーグが多数の現物の線と色を比べた研究に基づく。大英博物館の論考 [8]は、赤い空と後の紫の帯が単なる写真の違いでないことを示す。《大はしあたけの夕立》の舟と彫りの痕跡も、同館が同定した現物に結びつく。本頁の画像のうち所蔵番号のある五点と、元の摺りが不明の所有者提供五点は、キャプションで必ず分ける。

著作権の条件も現物の同定とは別に確認する。メトロポリタン美術館のOpen Access方針 [9]を満たす五画像を掲載し、所有者提供の五画像はパブリックドメインとして使う。大英博物館、サントリー美術館、国立国会図書館の資料を研究に用いたことを、そのサイトの画像を無条件で転用できるという意味にはしない。

後の鑑賞者へ

ファン・ゴッホと《亀戸梅屋舗》の関係は、持っていた摺り、格子による写し、油彩の改作が残るため具体的にたどれる。大英博物館の展示解説 [1]は《大はしあたけの夕立》に応じた《雨中の橋》も挙げる。しかしヨーロッパ絵画のすべての斜線や近景を広重由来と決める根拠にはならない。まず江戸の読者にとっての庭、橋、祭、郊外、季節の記憶を読む。その上で海を越えた再解釈を追う方が、この連作の複数の生を尊重できる。

江戸百景の119図を探す

東京国立博物館の目録記述にある日本語の略称を、没後の四季の内容順に並べたものです。個々の摺りの刊行日や画面の全ての文字を示すものではありません。目録の出典 [6]。

42 春30 夏26 秋20 冬1 後補

119図中119図を表示

番号日本語の目録名目録の組署名の組
1日本ばし春初代広重の署名図
2霞が関春初代広重の署名図
3山下御門内春初代広重の署名図
4永代白魚船春初代広重の署名図
5両国ノ相撲春初代広重の署名図
6初音の馬場春初代広重の署名図
7大伝馬町春初代広重の署名図
8駿河町春初代広重の署名図
9八辻が原春初代広重の署名図
10神田明神春初代広重の署名図
11上野清水春初代広重の署名図
12同山下春初代広重の署名図
13同広小路春初代広重の署名図
14日暮里春初代広重の署名図
15同諏訪春初代広重の署名図
16千駄木団子坂春初代広重の署名図
17飛鳥山春初代広重の署名図
18王子いなり春初代広重の署名図
19同大滝春初代広重の署名図
20川口のわたし春初代広重の署名図
21芝あたご春初代広重の署名図
22ふる川春初代広重の署名図
23千代が崎春初代広重の署名図
24目黒新ふじ春初代広重の署名図
25同元ふじ春初代広重の署名図
26八景坂春初代広重の署名図
27蒲田の梅春初代広重の署名図
28御てん山春初代広重の署名図
29砂むら春初代広重の署名図
30梅屋しき
本頁の画像:亀戸梅屋舗 · 見る
春初代広重の署名図
31吾妻森春初代広重の署名図
32やなきしま春初代広重の署名図
33四ツ木の引舟春初代広重の署名図
34墨水夜景春初代広重の署名図
35水神の杜春初代広重の署名図
36真先の辺春初代広重の署名図
37今戸の煙春初代広重の署名図
38新吉原春初代広重の署名図
39大川ばし春初代広重の署名図
40関口水道端春初代広重の署名図
41市谷八幡春初代広重の署名図
42玉川堤春初代広重の署名図
43日本橋夏初代広重の署名図
44おなしく通一丁め夏初代広重の署名図
45八つ見のはし夏初代広重の署名図
46鎧のわたし夏初代広重の署名図
47昌平はし夏初代広重の署名図
48水道橋
本頁の画像:水道橋駿河台 · 見る
夏初代広重の署名図
49王子不動のたき夏初代広重の署名図
50十二荘夏初代広重の署名図
51糀まち夏初代広重の署名図
52赤坂桐はたけ夏初代広重の署名図
53増上寺夏初代広重の署名図
54外さくら田夏初代広重の署名図
55佃住よし夏初代広重の署名図
56万年はし
本頁の画像:深川萬年橋 · 見る
夏初代広重の署名図
57中洲夏初代広重の署名図
58大はしの夕立
本頁の画像:大はしあたけの夕立 · 見る
夏初代広重の署名図
59両国川船中夏初代広重の署名図
60同大かははた夏初代広重の署名図
61首尾の松夏初代広重の署名図
62こまかた堂夏初代広重の署名図
63あやせ川夏初代広重の署名図
64ほり切夏初代広重の署名図
65亀戸の藤夏初代広重の署名図
66五百羅かむ夏初代広重の署名図
67逆井夏初代広重の署名図
68深川八まん山開夏初代広重の署名図
69三十三けん堂夏初代広重の署名図
70中川くち夏初代広重の署名図
71とねかは夏初代広重の署名図
72はねた夏初代広重の署名図
73市中の七夕
本頁の画像:市中繁栄七夕祭 · 見る
秋初代広重の署名図
74大丸屋秋初代広重の署名図
75紺屋町秋初代広重の署名図
76京ばし秋初代広重の署名図
77鉄炮洲秋初代広重の署名図
78つきぢ秋初代広重の署名図
79芝明前秋初代広重の署名図
80金杉橋秋初代広重の署名図
81高なは秋初代広重の署名図
82月の岬秋初代広重の署名図
83品川洲崎秋初代広重の署名図
84目黒爺茶や秋初代広重の署名図
85紀伊くに坂秋初代広重の署名図
86内藤新宿秋初代広重の署名図
87井の頭秋初代広重の署名図
88滝の川秋初代広重の署名図
89月の松弁天秋初代広重の署名図
90猿若街秋初代広重の署名図
91向島秋葉秋初代広重の署名図
92木母寺秋初代広重の署名図
93にい宿秋初代広重の署名図
94真間秋初代広重の署名図
95鴻の台秋初代広重の署名図
96堀江猫実秋初代広重の署名図
97小名木川の松秋初代広重の署名図
98両国の花火
本頁の画像:両国花火 · 見る
秋初代広重の署名図
99浅草寺の雪冬初代広重の署名図
100日本堤冬初代広重の署名図
101酉の市
本頁の画像:浅草田甫酉の町詣 · 見る
冬初代広重の署名図
102三川しま冬初代広重の署名図
103千住大橋冬初代広重の署名図
104小梅つゝみ冬初代広重の署名図
105御厩川岸冬初代広重の署名図
106木場冬初代広重の署名図
107十万坪
本頁の画像:深川洲崎十万坪 · 見る
冬初代広重の署名図
108芝浦冬初代広重の署名図
109さめ洲冬初代広重の署名図
110千束の池冬初代広重の署名図
111目黒太鼓橋
本頁の画像:目黒太鼓橋夕日の岡 · 見る
冬初代広重の署名図
112藪小路冬初代広重の署名図
113とらのもん冬初代広重の署名図
114ひく尼はし冬初代広重の署名図
115高田の馬場冬初代広重の署名図
116姿見のはし冬初代広重の署名図
117ゆしま天神冬初代広重の署名図
118王子装束榎
本頁の画像:王子装束ゑの木大晦日の狐火 · 見る
冬初代広重の署名図
119赤坂桐畑雨中夕けい後補二代広重

よくある質問

題名の「百」は端数までの数ではない。初代広重の署名図118、二代の追加一図、別の目録一枚で、通常は図柄119、全120枚と数える。静岡市東海道広重美術館 [2]が区別する。

違う。没後の梅素亭玄魚の目録の四季順であり、サントリー美術館 [4]は個別の改印の日付と一致しない場合を挙げる。出版年月の復元表としては使えない。

一図は二代広重が一八五九年に追加した。初代の署名図118のうち、没後の日付を持つ三図にも制作関与の問いが残る。サントリー美術館の整理 [4]に従い、署名と制作過程を分ける。

画像は現物の摺り、後の摺り、図柄の再現のいずれかを写す。個別の紙を説明するには所蔵館、番号、日付、印、保存状態と画像の権利を確かめる。本頁の所蔵番号付きの五点と所有者提供の五点は区別して記す。

《亀戸梅屋舗》への応答である《花咲く梅の木》と、《大はしあたけの夕立》への応答である《雨中の橋》が記録される。大英博物館の調査 [8]は前者について彼が所有した摺りと油彩の関係まで検討する。

読者との対話

一枚ごとに江戸とその周辺の見方が変わります。

鑑賞の手がかり

近景

目の前の物が名所の見え方を変える図はどれでしょう。

季節

題名を見ずに季節を感じる図はどれでしょう。

摺り

同じ図柄の二つの摺りを比べると何が変わりますか。

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参考資料

  1. 大英博物館、広重展の作品解説。
  2. 静岡市東海道広重美術館、『名所江戸百景』展。
  3. 東京藝術大学大学美術館、完本の所蔵と修復。
  4. サントリー美術館、連作の成立と目録。
  5. 大英博物館、題名・目録の所蔵品。
  6. Japan Searchに掲載された東京国立博物館の119図目録。
  7. 国立国会図書館、名所の歴史、駿河台、目黒。
  8. 大英博物館、亀戸梅の版の状態に関するコレンバーグの研究。
  9. メトロポリタン美術館、Open Access画像方針。
  10. 大英博物館、水道橋の所蔵品と浅草の所蔵品。
  11. ボストン美術館の出版プレビュー。
  12. 大英博物館の発表
  13. 国立国会図書館の作品記録
  14. メトロポリタン美術館のJP1184
  15. メトロポリタン美術館のJP62
  16. メトロポリタン美術館JP642
  17. 国立国会図書館の新吉原周辺の資料
  18. メトロポリタン美術館のJP2520
  19. メトロポリタン美術館のJP2523