物語漫画の前に、まず十五編の木版絵手本を開く。人物、馬、仕事、富士を現存本から見ます。

『北斎漫画』を十五編の絵手本として読む
弓を引く人、向きを変える馬、水車のそばで働く人。『北斎漫画』の頁を開くと、日々の動きから想像上の生き物まで、描く対象が次々に現れる。葛飾北斎が手がけた木版の絵手本であり、現在の物語漫画一冊のように、登場人物を追って読み進める本ではない。すみだ北斎美術館は絵手本を、絵を学びたい人へ描き方や模範を示す出版物として説明している。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
初編は文化十一年(一八一四)に出版された。十五編による完結は明治十一年(一八七八)、北斎の没後およそ三十年である。半世紀を越えるこの期間には、新しい編の刊行と、既刊の編の後摺りの両方がある。たとえばメトロポリタン美術館が撮影した初編の現存本JIB81.1は、一八二八年以後の本として登録される。初編の最初の刊行を一八二八年に変更する意味ではない。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1] メトロポリタン美術館・初編 [3]
この頁は九つの掲載画像と、一つの注釈付き見開きから始める。画像はメトロポリタン美術館の六つの現存本に由来する。十枚のファイルを十冊の本と数えない。画像ごとに編と所蔵番号を付け、頁の内容、現存本の年代、最初の出版年を必要なところで分けて記す。そうすると、人間の動き、動物、富士、後年の出版という本の幅が、無名の「北斎のスケッチ」より明確になる。メトロポリタン美術館・六編 [3]
要点
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 題 | 『北斎漫画』。「伝神開手」の語を伴う現存本もある |
| 作者 | 葛飾北斎(一七六〇〜一八四九) |
| 形態 | 木版で摺り、綴じた絵手本。現存本の摺りや表紙は同じとは限らない |
| 初編 | 一八一四年に刊行。掲載する初編JIB81.1は一八二八年以後の現存本 |
| 全体 | 十五編。十五編の刊行は一八七八年で北斎の没後 |
| 題材 | 人物、仕事、動物、植物、風景、歴史、神仏、想像上のもの |
| この頁の画像 | メトロポリタン美術館の六現存本から十画像。うち一見開きを四細部で注釈 |
注釈付き見開き:二頁に広がる動き
四つの番号から人物、棒、中央の折り目を比べます。細部画像を押すと拡大します。切り抜きは保存した300dpiの高解像度原版から作りました。
北斎の時代の「漫画」とは
いま「漫画」と聞けば、こま割りや登場人物を連想しやすい。しかし一八一四年の『北斎漫画』に同じ形式を期待すると、作品の物体と用途を見誤る。大英博物館は初編の序に着目し、北斎が題を提案したと伝える。「漫画」の語の戯れや自由さを読みながらも、この本を絵手本の文化の中に置いている。頁には別々の姿勢や表情が隣り合うが、第一編から第十五編まで一本の筋書きが続くわけではない。大英博物館・漫画の歴史 [2]
もちろん後世の漫画と関係がまったくないという意味でもない。表情、誇張、動きの繰り返し、一頁で異なる場面を見比べる楽しさは、いまの読者にも通じる。しかし似た手法があることと、北斎が現代の漫画という媒体を一人で発明したことは別の主張だ。近現代の漫画にも、別の日本の出版文化や海外の印刷文化が関わる。大英博物館が「漫画の父?」と疑問符を付けた問いを立てるのは、この違いを考えるためである。大英博物館・漫画の歴史 [2]
メトロポリタン美術館やアムステルダム国立美術館の所蔵記録には「伝神開手」の語も現れる。その文字を単純な現代語一語に置き換えるより、どの本の題箋や序にあるかを確認する方がよい。絵手本は形の輪郭だけでなく、姿勢や動勢、人物らしさを伝えようとする。英語の「スケッチブック」という訳は入口にはなるが、北斎が残した私的な一冊のノートと思わせるなら不十分だ。刊行物として彫られ、摺られ、売られた本だった。メトロポリタン美術館・初編 [3] アムステルダム国立美術館・初編 [4]
名古屋から出版へ
大英博物館の年表は、北斎が一八一二年頃に名古屋を訪れ、画家で藩士の牧墨僊を中心とする人々と交流したことを記す。墨僊の家で北斎が多くの速描きを行い、それらが初編の編集につながったという説明だ。この経緯は江戸だけで完結しない学びと出版の場を示す。ただし印刷された初編は、描かれた紙を束ねただけの「生の即興」ではない。選択、版木への彫刻、摺り、製本、販売が制作を形にした。大英博物館・北斎年表 [2]
すみだ北斎美術館は、北斎が『北斎漫画』以外にも絵手本を作ったことを紹介する。『略画早指南』ではコンパスと定規を使って大枠を作る手順が示される。一筆で描く試みや文字絵もある。一方、絵だけを多く載せる本では、手本を写して学ぶことが中心となる。『北斎漫画』はとくに、人物の姿勢や動物の形を並べて、見る人が比較し、まねる余地を作った。用途が学習だけだったと決める必要はない。学ぶ人にも、眺めて楽しむ人にも、多彩な図が届いた。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
出版社の仕事も見落とせない。アムステルダム国立美術館が所蔵する初編AK-MAK-1652には、本屋の一覧が含まれ、名古屋の永楽屋東四郎が版元として記録される。画家、名古屋の交流相手、版元、本屋、読者をたどると、絵手本が人の手と商いを経て広がったことが分かる。後の富士の大判錦絵を扱った西村屋の出版とは、同じ北斎でも形態と流通が異なる。アムステルダム国立美術館・初編 [4]
現存本を一冊として読む
アムステルダム国立美術館の初編AK-MAK-1652は、青い表紙、赤白の題箋、序文、番号のある葉、さまざまな図、末尾の本屋一覧を含む。約二二・七×一五・八センチの、手に取ってめくるための本だ。同館はこの現存本を広く一八一九〜七八年の間に置く。これは初編の最初の刊行が一八一九年だったという説明ではない。アムステルダム国立美術館・初編 [4]
メトロポリタン美術館の初編JIB81.1も一冊の現存本で、目録年代は一八二八年以後である。頁は右から左へ読み進める。綴じ目、余白、文字、絵の並びは、離して掲載した一枚のJPEGでは失われやすい。見開きを横切る図もあれば、一頁の中に複数の姿勢を並べる図もある。「初編の図」と「一八一四年に刷られたこの現物」は同じ意味ではない。摺りの時期が分からない頁には初摺りという語を付けない。メトロポリタン美術館・初編 [3]
墨と淡い色を主にした頁も、描きかけではない。線の密度、灰色の間隔、紙の余白が、馬の体重や水の流れ、人物の動きを分ける。画像を強いコントラストに加工すると、この淡さが消えやすい。掲載するメトロポリタン美術館の各画像は、所蔵本ごとの頁として見せ、元の大型画像も保存している。図の細部を拡大するときは、印刷面の状態と現代の撮影が重なっていることを忘れない。
人物と仕事の図を比べる
初編JIB81.1の旅人の頁では、笠や傘の丸い形が繰り返され、荷を担ぐ人と馬が同居する。一つの街道の一瞬というより、携える物、頭の形、脚の運び方を比べる頁としても見られる。同じ形が何度も現れるからこそ、小さな差がよく分かる。メトロポリタン美術館・初編 [3]
人物と仕事、四つの編




二編JIB81.2にある水車の図では、円形の装置、水の曲線、人の直立した姿が互いを支える。三編JIB81.3の草木を集め加工する人々の頁では、姿勢の違いが作業の違いを示す。特定の村を測量した記録であると決める資料はない。それでも、道具を使う腕、傾く胴、仕事をする場所の関係を、少ない線で読み取れる。絵手本にとって、こうした動作は表情と同じくらい豊かな題材だ。メトロポリタン美術館・二編 [3] メトロポリタン美術館・三編 [3]
六編JIB81.6には、弓を引くいくつもの人物や、長い棒を持って動く人物たちの見開きがある。腕と胴の角度、重心を置く脚、棒の斜線が、次の姿勢との比較を促す。見開きの下にいる小さな人々は、練習する人や見る人としても読める。中央の折り目は絵の領域を区切るが、左右の動勢は呼応している。この頁を物語漫画の連続した「コマ」と呼ぶより、一つの本の見開きに集められた動作の研究として見る方が正確だ。メトロポリタン美術館・六編 [3]
人物の姿にはおかしみもある。少し大げさな身ぶり、うまく立てていないような重心、見物する人の表情。楽しさを認めることと、すべての図を「世界最初の漫画の一コマ」にすることは違う。北斎の線は、人体の形、動き、見る者の反応を同時に引き出す。後世の漫画と比較するときも、その頁が絵手本として読まれたことを先に確かめたい。大英博物館・漫画の歴史 [2]
馬、富士、想像上のもの
六編の馬の頁では、頭を下げるもの、向きを変えるもの、勢いよく立ち上がるものが並ぶ。たてがみと尾の線は、止まっている体と動く体で違う。別の頁では馬と乗り手に激しい水の斜線がぶつかり、体が流れに抗うように見える。単に動物の名前を覚える図ではなく、重さや勢いを線へ移す試みとして読める。メトロポリタン美術館・六編 [3]
動物、富士、後期の編





七編JIB81.7には、人々の行動を伴う富士の頁がある。『冨嶽三十六景』では四十六枚を通して富士が変わらぬ主題になるが、絵手本の中では山も数多い題材の一つだ。後の錦絵の特定の一枚の下絵と決める証拠はない。北斎が同じ山を、出版物の異なる形でどう使うかを見る方がよい。メトロポリタン美術館・七編 [3]
十四編JIB81.14は、メトロポリタン美術館で一八七五〜七八年頃の現存本とされる。北斎の没年一八四九年よりずっと後だ。ここから小動物を淡い円の前に置く頁と、虎の姿を示す頁を選んだ。動物を複数並べる六編の馬の頁とは違い、一匹の姿へ視線を集中させる。十四編の本が後世の現存品であることを、そこにある全図が北斎の死後に創案されたという意味にはしない。図柄の成立と本の印刷を分ける必要がある。メトロポリタン美術館・十四編 [3]
『北斎漫画』には神仏、怪物、歴史上の人物なども含まれる。すみだ北斎美術館の二編の作品解説は、人物や自然に加えて神々や化け物まで広い題材を示す。掲載する十画像はこの広がりの一部であり、全編の縮図ではない。画像が今すぐ掲載できるかどうかと、作品に何が含まれるかを混同しない。すみだ北斎美術館・二編 [1]
十五編の時間を整理する
最初の刊行は一八一四年、十五編による完結は一八七八年。この二つの年だけでも、北斎の生前と没後にまたがる出版だと分かる。間の各編が同じ間隔で出たわけではなく、後摺りや所蔵本の組み合わせもある。頁の右側を見ただけで刊年を決めず、奥付、題箋、所蔵館の目録を比べる。すみだ北斎美術館の展示は、江戸期から現代に至る摺りの長さも紹介している。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
下の比較表には、この頁に画像を載せる六つのメトロポリタン美術館の本を並べる。初編JIB81.1の「一八二八年以後」、七編JIB81.7の「一八一九年」、十四編JIB81.14の「一八七五〜七八年頃」は、目録がそれぞれの現存本へ付けた年代だ。二編JIB81.2は「一八一四年以後」、三編と六編の現存本には同じ精度の年代がない。最初の発刊年と現存本の年代が別の列に見えるようにしている。メトロポリタン美術館・初編 [3] メトロポリタン美術館・七編 [3] メトロポリタン美術館・十四編 [3]
掲載する現存本を比べる
下の年は、撮影された美術館の本に付いた目録年代。初編の最初の刊行は一八一四年、十五編による完結は一八七八年である。
写すための本、眺めるための本
絵を学ぶ人が六編の弓を引く姿を写せば、腕の伸ばし方、膝の曲げ方、矢と体の向きを一度に考えられる。一つの正解の姿勢を示す設計図ではなく、似た題を変えながら並べる頁だ。絵を描かない読者も、その違いを楽しく眺められる。この二つの役割は競合しない。すみだ北斎美術館が説明する、手本を臨写して学ぶ方法にも合う。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
『略画早指南』ではコンパスや定規によって描く大枠を説明するが、『北斎漫画』の頁は多くの場合、そのような手順を一段ずつ示さない。出来上がった形を見比べるための素材を与える。どちらが真面目な教材かと上下を付けるのでなく、教え方の違いを捉えたい。職人が輪郭を応用し、初心者が模写し、別の読者がただ笑うことも考えられる。ただし、特定の購入者が実際にどう使ったかは現存本だけから分からない。
日本の外での読み直し
『北斎漫画』の図は海を越えて知られた。アート・インスティテュート・オブ・シカゴの保存研究は、日本の版本が欧州の受容へ入る過程を論じる。メトロポリタン美術館の刊行物は、フランスのフェリックス・ブラックモンが北斎の本に触れたという伝承にも言及する。ただし一つの「発見」の逸話だけで、流通、収集、画家の模倣の全経路を説明できない。本、錦絵、商人、コレクター、複製のそれぞれを追う必要がある。シカゴ美術館・保存研究 [5] メトロポリタン美術館・刊行物 [6]
すみだ北斎美術館の二〇二六年展には、ウェッジウッドの皿に『北斎漫画』などの人物図を取り入れた具体例がある。図は陶器へ移り、素材、縮尺、買い手、用途が変わった。別の例では六編の馬の図を後の錦絵へ用いる。このように借用元の図を指せる例は、「西洋美術のすべてに影響した」という漠然とした言い方より確かである。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
いま買える再編集本も、元の十五編とは分けたい。テームズ&ハドソンの三巻箱入り選集は、日常、自然、幻想という現代の区分で図を集め直す。読者には便利だが、元の作品が三編だったという意味ではない。出版社の本は現代の見方を助け、所蔵館の現物目録は原本の編、頁、年代を確かめる助けになる。テームズ&ハドソン [7]
見開きの細部を見る
六編の棒を持つ人物の見開きでは、まず中央の折り目を探す。次に左上で体を傾けた人、右上で広く踏み出す人を比べる。棒の長い斜線が白い紙面を横切り、下の小さな人物へ目を誘う。折り目を含めて見ると、図は一枚の切れ目ない紙ではなく、本を開いて成立するものだと分かる。四つの番号は高解像度の原画像から作った細部へつながり、押すと拡大できる。メトロポリタン美術館・六編 [3]
馬の頁では尾と頭の向きを比べ、旅人の頁では笠と傘の丸みから衣服と荷物へ移る。水車の頁では円い道具と曲がる流れの間に人がいる。目を戻して本全体を見ると、同じ方法で人、動物、道具を描く北斎の線の変化が分かる。次の画像へ進む前に編と所蔵番号を確かめよう。二枚の写真が同じ本の異なる頁なのか、別の摺りの同じ図なのかで、比較の意味が違う。メトロポリタン美術館・初編 [3] メトロポリタン美術館・六編 [3]
さらに北斎を読む
『北斎漫画』の長い出版期間を画業の中へ置くには北斎の生涯へ。絵手本の富士と錦絵の富士を比べるなら《冨嶽三十六景》へ。綴じた版本で同じ山を違う方法で見せる『富嶽百景』も関連する。三つは同じ作者の仕事だが、教えるための本、連作の錦絵、富士の絵本という別の物体である。
よくある質問
違う。十五編は木版の絵手本で、姿勢、動植物、歴史や想像上の図を集める。「漫画」という語や一部の表現は後世と比較できるが、一人の登場人物を追う十五巻の物語ではない。大英博物館・漫画の歴史 [2]
十五編。初編は一八一四年、十五編による完結は一八七八年で、北斎の没後である。現代の三巻選集を元の三編と混同しない。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
メトロポリタン美術館はJIB81.1という現存本をそう登録している。初編の最初の出版が一八一四年だった事実を動かすものではない。メトロポリタン美術館・初編 [3]
北斎は一八四九年に亡くなった。十五編の出版は没後である。後の特定の頁の図柄の成立を論じるには、その編と現存本の調査が要る。すみだ北斎美術館・絵手本展 [1]
そうとは言えない。普通の人物や自然のほか、歴史や神仏、怪物も題材となる。「スケッチ」という英訳は各頁が一瞬の現場記録であるという証明ではない。すみだ北斎美術館・二編 [1]
読者との対話
頁の動き、本の物体、出版の長い時間を見比べてみてください。
鑑賞の手がかり
自分で模写するなら、どの姿勢や道具を選びますか。
折り目や表紙、後摺りの年代は、切り抜き画像の見方をどう変えますか。
表情や動きに共通点はあっても、頁の読み方はどう違いますか。
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参考資料
- すみだ北斎美術館「ひらけ、絵手本!『北斎漫画』エトセトラ」・二編の作品解説。絵手本、一八一四〜一八七八年、題材。
- 大英博物館・北斎年表・「漫画の父?」。名古屋での制作経緯と語の歴史。
- メトロポリタン美術館・初編JIB81.1・二編JIB81.2・三編JIB81.3・六編JIB81.6・七編JIB81.7・十四編JIB81.14・画像利用方針。六冊と十画像の出典。
- アムステルダム国立美術館・初編AK-MAK-1652。本の物体、表紙、序、葉、本屋一覧。
- シカゴ美術館・保存研究。欧州での版本の受容。
- メトロポリタン美術館・日本版画の欧州への影響に関する刊行物。欧州での紹介を考える背景。
- テームズ&ハドソン『Hokusai Manga』。現代の三巻選集の書誌。







