寛政六年から七年の役者絵を四期に分け、役者、役、芝居、劇場と現存する一枚を見比べます。

はじめに
東洲斎写楽の役者絵を、一枚の有名な大首絵だけで語ることはできない。寛政六年(1794)五月から翌寛政七年正月まで、背景に雲母を使った大判の半身像、細長い全身像、二人の役者を組み合わせた絵、間判の肖像など、画面の形式は短期間で大きく変わった。ジャパンサーチの写楽ギャラリー [1]は制作期を四期に分け、各期の月と判型を整理する。大英博物館 [2]は既知の図柄の版元を蔦屋重三郎とする。ここでは四期を、芝居の上演と所蔵館の現物に即してたどる。
大首絵では顔、手、襟が役の印象を凝縮する。細判の全身像では立ち姿、袖、足も人物を語る。二人を一枚に置けば視線や体の向きに関係が生まれる。形式の違いは実際の作品から見えるが、「売れなくなったから小さくした」「画力が落ちた」という理由まで作品の大きさから読み取れるわけではない。版元の意図や売上を示す資料が別に必要だ。
このページの作品カードは、役者名と代数、役名、芝居の題名、劇場、旧暦の上演月、判型、版元、所蔵館と所蔵番号を分けて示す。所蔵館の記録に劇場がない場合は「未確認」と記す。東京文化財研究所による2011年「写楽」展の報告 [4]では、番付と版画を突き合わせて役者や役柄が調査された。顔つきの似た絵を見比べるだけでは、演目の同定は十分でないのである。
四期の見取り図
これらの内訳はジャパンサーチの分類 [1]に従う。大英博物館 [2]は既知の図柄を一四四図とし、2011年の東京国立博物館展で展示された写楽の現物は東京文化財研究所の報告 [4]で一四二点とされる。図柄は版行のための構成、摺りは現存する個々の紙、展示点数は会場に出た作品の数である。二枚続きは二枚の紙から一組の構成を作る。異なる数え方を一つに混ぜないことが、年代順のガイドには欠かせない。
役者絵の情報をどう読むか
アムステルダム国立美術館の《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》RP-P-1963-16 [5]を例にしよう。絵師は署名に名を残す東洲斎写楽。役者は三代目大谷鬼次で、「三代目」は代々受け継がれる芸名を区別する。奴江戸兵衛はその役、恋女房染分手綱は演目、河原崎座は上演された劇場である。旧暦五月が上演の時期で、蔦屋重三郎が版元。RP-P-1963-16は美術館にある一枚の所蔵番号だ。メトロポリタン美術館 JP2822 [5]とシカゴ美術館 18765 [5]は同じ図柄の別の摺りであり、同じ現物ではない。
この区別を怠ると、役者と役柄、版元と彫師、図柄と一枚の紙が混同される。ひとりの役者は複数の役を演じ、同じ役を複数の絵師が描くこともある。劇場や演目には別表記や異なるローマ字表記もあるため、日本語での題名が分かる場合は併記する。所蔵番号は現代の収蔵品を指し、江戸時代に売られたすべての摺りを指す番号ではない。
情報の詳しさは作品ごとに違う。日本の研究資料が外国の美術館の記録より詳しい上演情報を与える場合もある。そのときはジャパンサーチ [1]など照合した資料をカードに示し、美術館の記載を越えていることを分かるようにする。未確認の欄が残っても、役者と役の同定だけで作品を見る入口になる。
第一の時期――雲母地の大首絵
第一期の二十八図は、東京国立博物館の「写楽」展 [3]でも大きく扱われた。雲母の粉を使った背景は、見る角度や光によって表情を変える。画面の画像は撮影時の光を固定しているので、実物の輝きすべてを伝えるわけではない。背景から舞台の景色を取り去ったとき、顔の輪郭や手の形、衣装、役者名の文字が強い意味を持つ。
江戸兵衛の両手は画面の前へ迫る。しかし「三代目大谷鬼次の性格が凶暴だった」とは言えない。写楽が表したのは恋女房染分手綱の役を演じる役者だ。メトロポリタン美術館の《二代目瀬川富三郎のやどり木》JP3112 [6]は別の関係を示す。ジャパンサーチの東京国立博物館作品解説 [1]は、都座での花菖蒲文禄曽我に登場する大岸蔵人の妻としてこの役を説明する。視線や衣装を江戸兵衛と比べれば、第一期を「怖い顔の連作」と一括りにできない。
初代市川男女蔵の奴一平、メトロポリタン美術館 JP196 [6]は江戸兵衛と同じ芝居に関係する。役者と役名を分けたうえで顔、衣装、身振りを比べると、共通の上演から異なる像が生まれたことが分かる。ただし二枚が当時の店で並べて売られた、同じ観客に買われたという証拠はない。このページはカードで一平も示すが、選んだ画像だけが現存する写楽の全体ではない。
五月の作品は三座の芝居に結び付く。ジャパンサーチに掲載された東京国立博物館所蔵品の解説 [1]は花菖蒲文禄曽我や恋女房染分手綱の役柄を具体的に記す。こうした上演資料を読むことは、役者の芸名を役名の欄へ入れたり、三代目を上演年と誤解したりすることを防ぐ。
第二の時期――立ち姿と二人の関係
第二期を単純な「大首絵から細判への縮小」とするのは不正確だ。ジャパンサーチ [1]によれば、三十八図のうち三十図は細判の全身像だが、八図は大判の雲母摺である。役者の足や袖を見せる細長い画面が増えたことは確かでも、すべての作品が同じ形式へ切り替わったわけではない。大きさの変化は版元の売上や顧客の不満を直接証明しない。
シカゴ美術館 18897 [7]は初代市川男女蔵の富田兵太郎と三代目大谷鬼次の川島治部五郎を一枚に描く。美術館の記録は二人の役者と役を区別し、判型を大判とする。ジャパンサーチの第二期解説 [1]は治部五郎を、八月の河原崎座で上演された二本松陸奥生長に結び付ける。劇場と演目の照合元はジャパンサーチであって、シカゴの基本記録だけではない。二人の向き、衣装、立ち位置を一緒に読むと、一人の顔へ集中する第一期とは別の舞台的な空間が見えてくる。
シカゴ美術館 86923 [7]では、三代目瀬川菊之丞が傾城かつらぎ、三代目沢村宗十郎が名護屋山三を演じる。ジャパンサーチ [1]は都座のけいせい三本傘と第二期に置く。第二期全体は七・八月だが、今回参照した記録ではシカゴの一枚の正確な上演月を確定できなかった。カードには期の範囲と個別月の未確認を分けて表示する。この小さな違いを守れば、区分の見出しが作品ごとの証拠にすり替わらない。
もう一つのシカゴ美術館《三代目坂田半五郎の子育て観音坊》8955 [7]もジャパンサーチの第二期欄 [1]にある。ただしこの調査で芝居と劇場は確認できていないので、カードは未確認とする。役者、役、所蔵番号まで確実に記しておくことが、今後の上演資料との照合の土台になる。
第三の時期――閏十一月と多様な判型
寛政六年には十一月に加え閏十一月がある。ジャパンサーチ [1]は第三期の六十四図をこの二つの旧暦月に置き、細判の役者全身像、間判の大首絵、追善絵、相撲絵などに分ける。閏月をグレゴリオ暦の「二度目の十一月」と読み替えることはできない。個別の美術館記録に十一月とあれば、その精度をそのまま記し、上演月と実際に版木を彫った日も混同しない。
シカゴ美術館 39433 [8]は詳しい上演情報を持つ。二代目中村仲蔵が、農夫土蔵に身をやつした惟喬親王を演じる姿で、美術館の題名は閏年名歌誉、都座、1794年十一月を明記する。土蔵と惟喬親王は二人の役者ではなく、一人の人物の変装と正体である。大判の画面を読むとき、この二重の役柄を押さえると衣装や姿勢の意味が明確になる。もっとも上演月から版画を摺った正確な日まで分かるわけではない。
シカゴ美術館 18811 [8]は六代目市川団十郎の荒川太郎武貞を描く間判の作例で、記録には「成田屋三舛」という呼称もある。ジャパンサーチ [1]は第三期に置き、桐座を記す。ただし今回の典拠では、演目名と十一月・閏十一月のどちらかは確定していない。第一期の大判の半身像、第二期の全身像と比べれば、同じ役者絵でも画面の空白と人物の占める割合が変わることが分かる。
メトロポリタン美術館の二人の禿、JP3128a,b [9]は二枚続きで、三代目市川八百蔵と初代中山富三郎を示す。同館は十一月に位置づけ、その所蔵品にある手書きの名前にも触れる。二枚は一組の構図を作り、視線は紙の境を越える。書き込みは現存するその摺りの特徴であり、すべての版画に同じ文字が印刷されていた、写楽本人が書いた、と説明してはいけない。図柄の歴史と一枚の紙の履歴が接する例である。
第四の時期――1795年の役者絵
寛政七年正月の第四期には、ジャパンサーチ [1]によると細判の役者絵が十図ある。相撲絵も二図含むが、歌舞伎の人物像は最後の既知の刊行まで続いた。「後期だから劣る」という価値判断を、寸法や制作順だけから導くことはできない。現物の衣装、背景、姿勢を初期作と同じ注意深さで見るべきだ。
シカゴ美術館 89854 [10]は六代目市川団十郎の曽我五郎時宗を1795年の細判とする。ジャパンサーチの第四期 [1]にもこの役がある。参照したシカゴの記録は芝居と劇場を示さないため、カードには「未確認」と置く。画面では大きな衣装の文様や背景が、顔とともに役の存在感を作る。ウェブ用の画像は現物の色を知る手掛かりだが、その時代に出た全摺りの色を代表するとは限らない。
シカゴ美術館 18833 [10]は市川鰕蔵の工藤左衛門祐経を1795年の細判とする。今回閲覧した記録では個別の旧暦上演月、演目、劇場は分からない。第一月という第四期の期間はページ全体の枠組みであり、この所蔵品に書かれた上演月ではない。また89854は「六代目市川団十郎」、18833は「市川鰕蔵」と記される。芸名の継承関係を説明するなら、その上演時点の資料を別に確認する必要があるので、カードでは各所蔵館の呼称を保つ。
写楽名義の刊行がここで終わった理由も確定していない。ジャパンサーチ [1]が紹介する浮世絵類考系統の「似すぎて好まれなかった」という評は、後世の批評であって蔦屋の帳簿ではない。印刷部数、店の収入、契約の経緯は分からない。生涯のページでは、後世の文献と実名説を史料の成立順に見る。ここでは作品形式の変化を記述し、理由を作り足さない。
署名、余白、現物の違い
四期の区別には署名も関わる。ジャパンサーチ [1]によれば初期は「東洲斎写楽画」、第三期以降は原則として「写楽画」が使われる。ただし署名が短くなったことだけで、絵師が別人に替わったと証明できるわけではない。署名の字句や位置は版画のデザインと出版の過程でも変わり得る。判型、題材、上演時期、版元とともに扱う資料である。
背景や余白も期ごとに同じではない。第一期の雲母地は人物を浮かび上がらせる。第二期のシカゴ 18897 [7]は二人の衣装と動きを結び、第三期のシカゴ 39433 [8]は大判のなかで変装した一人の役を見せる。同じ第三期でもシカゴ 18811 [8]は間判だ。第四期のシカゴ 89854 [10]では衣装の模様や背後の構造が目を引く。特定の所蔵品から見える違いを述べることと、「ある期の全作品は同じ背景を持つ」と一般化することは別である。
同じ図柄の別の摺りにも差が生じる。アムステルダム国立美術館の江戸兵衛 [5]とメトロポリタン美術館の江戸兵衛 [5]では、現物の保存状態、裁断、退色や撮影条件が異なるかもしれない。画像の色差を見ただけで別版や改刻と結論してはならない。版木の改変を確認して初めて「版の状態」の議論になる。専用の江戸兵衛作品研究で拡大図を作る場合も、どちらの所蔵番号の高解像度画像から切り出したかを明示する。
このページで新たに使うシカゴの画像は、各所蔵品の美術館API [11]でパブリックドメイン表示を確認した。数点は幅2000ピクセルの資料を取得できたが、1795年の二点は幅1024ピクセルまでだった。後者は全体像としての掲載には適していても、細部を高解像度で見せる注釈図の基には使わない。利用許諾と、画面上で検証できる細部の精度は異なる問題である。
年代区分を作品で確かめる
「第二期」「第三期」は研究のための整理であり、写楽が版画に付けたシリーズ名ではない。第二期の三十八図には細判以外もあり、シカゴ 18897 [7]が大判二人像の具体例となる。細判だけを抽出した画面では、この期の多様さが見えなくなる。判型を年代そのものと取り違えず、個々の上演資料も確認したい。
第三期にはさらに判型と題材の幅がある。メトロポリタン美術館の二枚続き [9]とシカゴ美術館の二代目中村仲蔵 [8]は、同じ期でも紙の枚数、人物の配置、上演情報の詳しさが異なる。細判が大判に「進化」した、あるいは大判から間判へ一直線に「退化」した、といった物語にはならない。複数の形式が同じ刊行期に存在した。
第四期は最後に置かれるため、それ以前の変化をすべて衰退の予兆として読みたくなる。しかしシカゴの1795年二点 [10]には別々の役者と役があり、それぞれの画面を確かめる価値がある。当時の購入者の評価や蔦屋の経営判断は、紙の幅だけでは分からない。年代順の展示は変化を示せるが、変化の原因を自動的には教えない。
このギャラリーの使い方
四期を切り替えながら、役者、役、版元という共通項と、画面の大きさ、全身・半身、人物の数、背景の違いを見比べてほしい。第二期の二人像は第一期の大首絵を小さくしただけではない。第三期の二枚続きも、二枚の無関係な肖像ではない。カードに記した所蔵館と番号から現物の記録へ進める。掲載画像は調査した作品を代表する選択であり、全作品を網羅した目録とは違う。
同時に、空欄の意味にも目を向けたい。日本語の研究資料で芝居が分かっても、外国の美術館の基本情報では月が不明な場合がある。1795年という年号は旧暦正月の個別上演日と同じ精度ではない。判型は一枚の紙の形式、制作期は刊行の順序を整理する枠組みである。カードの「未確認」を残すことで、何を追加調査すればよいかも見えてくる。
最初に江戸兵衛の詳しい作品研究で一つの図柄と別々の摺りを見て、ここに戻り、二人像、間判、1795年の細判を比べるとよい。写楽の活動期間は短いが、その間に生まれた役者絵の見せ方は一つではなかった。役者と役柄、上演の場、版元、現物を丁寧に区別すると、その変化をより正確に見ることができる。
読者との対話
一枚の役者絵を選び、役者、役、身振り、文字を見比べて気づいたことを共有してください。
読者の気づき
江戸兵衛の手の形は、顔の表情に何を加えますか。
二つの江戸兵衛の所蔵品を比べると、どこに違いが見えますか。
大首絵と二人の禿の二枚続きでは、視線の動きはどう変わりますか。
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参考資料
- ジャパンサーチ「東洲斎写楽」ギャラリー。四期の内訳と日本語による上演同定。
- 大英博物館、東洲斎写楽作家記録。既知の図柄数、活動期と版元。
- 東京国立博物館、2011年「写楽」展。最初の刊行と展覧会の構成。
- 東京文化財研究所、同展の報告。番付調査と展示現物点数。
- アムステルダム国立美術館、江戸兵衛 RP-P-1963-16、メトロポリタン美術館の別の摺り JP2822、シカゴ美術館の別の摺り 18765。別々の所蔵品。
- メトロポリタン美術館、やどり木 JP3112、奴一平 JP196。第一期。
- シカゴ美術館、二人像 18897、かつらぎと名護屋山三 86923、子育て観音坊 8955。第二期。
- シカゴ美術館、二代目中村仲蔵 39433、六代目市川団十郎 18811。第三期。
- メトロポリタン美術館、二人の禿 JP3128a,b。二枚続き。
- シカゴ美術館、六代目市川団十郎 89854、市川鰕蔵 18833。1795年の役者絵。
- シカゴ美術館 API 文書。所蔵品情報、パブリックドメイン項目、画像配信。











