三人の名前と紋、版によって変わる文字を、所蔵館の現物とともに読む。

はじめに
上に一人、下に二人。背景に茶屋や通りを描かなくても、三人の髪、顔、袖、扇だけで画面は成り立つ。歌麿の《当時三美人》は、美人画として知られる一方、錦絵の「題」「名前」「版」がどのように変わり得るかを考える格好の資料でもある。千葉市美術館の1793年の現物 [1]は、三人の女性を名前と紋で同定し、後の版から「当時」と女性名が削られたと説明する。似た構図をもつほかの美術館の現物には、別の題の文字や、題のない画面が見られる。ただし、それらを千葉のいう第2版と同定するには、さらに版木や文字の比較が必要である。
千葉の作品では、中央上が富本豊ひな、左下が高しまひさ、右下が難波屋きた。豊ひなは富本節に関わる吉原の芸者、おきたは浅草随身門近くの水茶屋の女性、おひさは両国の菓子屋の娘とされる。三人を一括して「遊女」と呼ぶと、違う生活上の立場を消してしまう。本頁では、人の位置、紋、文字を順に見た後、所有者提供画像、メトロポリタン美術館、クリーブランド美術館の画像を比べる。画像の色や題が異なることは確かめられるが、未確認の摺りを「初摺り」と呼ぶことはしない。
要点
| 問い | 資料から言えること |
|---|---|
| 誰を描くか | 千葉市美術館の現物では、上に豊ひな、左下におひさ、右下におきた。 |
| いつの作品か | 千葉は1793年、メトロポリタンは1791年ごろ、クリーブランドは1794年ごろと所蔵品ごとに記す。三つの数字は版の順序を証明しない。 |
| 誰が刊行したか | トレド美術館は同館の大判の摺りに蔦屋重三郎を版元として記す。ほかの現物にも無条件に広げない。 |
| 何が変わったか | 千葉は、後の版で「当時」と三人の名前が削られたと説明する。メトロポリタンには「三婦艶」という別の文字がある。 |
| どう見比べるか | 三人の位置に続き、紋、文字、紙の寸法、地の表現、所蔵番号を確かめる。 |
四つの細部から読む
番号から細部へ進み、画像を押すと拡大できます。切り抜きは保存済み2732×4000ピクセル、300dpiの原版から作りました。
三人の名前と位置
千葉市美術館の解説 [1]は、画面の識別に役立つ三つの紋を挙げる。中央上の桜草は富本豊ひな、右下の団扇の桐紋は難波屋きた、左下の三ツ柏は高しまひさの目印である。細い目や小さな口だけで三人を区別しようとするより、位置と紋、印刷された名前を合わせて読むほうが確かだ。紋は装飾でもあるが、この作品では名をもつ人物と画面を結びつける情報を担う。名前が削られた摺りでは、同じ図柄であっても読者が得る情報が変わる。
豊ひなについては、太田記念美術館の所蔵品紹介 [5]も富本節に優れた吉原の芸者として扱う。千葉は玉村屋抱えの芸者と記す。メトロポリタン美術館の《手紙を読む富本豊ひな》 [6]は1790年の別作品であり、女性の名を作品記録と画中の文字で確かめられる。三美人図の上の顔と別の図の手紙を、同一人物として資料上で考えることはできる。ただし二枚を写真のような容貌の証明に使うことはできない。歌麿は名のある人物を描きながら、美人画の共有された形も用いた。
難波屋きたについて、千葉は浅草随身門脇の水茶屋と場所を記す。メトロポリタン美術館の《難波屋おきた》 [7]では、青磁の茶碗を黒い漆の台に載せて運ぶ姿が描かれる。同館は水茶屋が人通りの多い場所や寺社の境内で客を迎え、若い女性が店の魅力の一部になったことも解説する。三人の図では店も茶碗もない。それでも右下の扇と名によって、見物人は茶屋で知られた女性を思い浮かべ得た。単独像の茶器と三美人図の扇は、それぞれの作品に属する道具である。
高しまひさは左下にいる。千葉は両国薬研堀米沢町の煎餅屋、高島長兵衛の娘と説明する。大英博物館の別の《おひさ》像 [8]も米菓の店主の娘と記すが、店の経営や本人の経験を詳しく立証する資料ではない。三美人図では三ツ柏が手がかりになる。メトロポリタン美術館の《鏡を二つ使って髪型を見るおひさ》 [9]は1795年ごろとされ、同じ名の女性を別の動きで表す。扇と二つの鏡を同一作品の道具であるかのように混ぜてはならない。
三角形の構図を読む
豊ひなの高い結髪が三角形の頂点をつくり、おひさとおきたの頭が底辺をつくる。下の二人は顔を互いに向けているが、視線は直線で結ばれない。間の細い空白へ目が進み、衣服の重なりや手と扇をたどって、もう一度上の顔へ戻る。肖像三枚を並べる代わりに、歌麿は三人を一枚のなかで互いに関係づけた。上の人物が二人の背後に隠れる部分や、袖の線がつながる部分を追うと、その組み立てが見えてくる。
三人の顔には長い輪郭、細い眉、小さな口という共通の美人画の語彙がある。「同じ顔を三つ描いた」と言い切ると頭の傾きや目の向きの差を見落とす。一方、その差だけで本人の内面や実物の顔立ちを言い当てることもできない。姿勢、紋、名、髪形、衣装を組み合わせ、見物人が特定の女性として読めるようにしている。トレド美術館の大判の現物 [4]は雲母を含む錦絵と記される。地のきらめきは顔と黒い髪を引き立てたはずだが、別の摺りのデジタル画像から、所有者提供画像の元の紙にも同じ雲母があると断定しない。
左下のおひさの淡い衣が広い明るい面をつくり、右下のおきたの濃い衣と円い団扇が重さを釣り合わせる。中央上の豊ひなの袖は二人の背後を通る。背景の建物を描かないため、人物のわずかな傾きと重なりが大きな役割をもつ。画面の左には絵師の名や版元に関係する印があり、右上には題を刷った領域がある。これは美術館の後から付けた標題ではなく、制作と販売のために印刷された画面の一部である。以下の注釈画像では所有者の高解像度原版から、三人と右上の文字を切り出して示す。
「当時」の文字が持つ意味
《当時三美人》の「当時」は、絵師たちが生きていた時代の評判の女性を指す語として重要である。千葉の作品名にはさらに「富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ」と三人の名が続く。所蔵館によって豊ひな/豊雛、きた/おきた、ひさ/おひさの表記に違いがある。本頁は作品の記録を紹介するときにその館の表記を尊重し、説明文では豊ひな、おきた、おひさを使う。英語題が似ていても、現物に刷られた日本語の文字は別の証拠である。
千葉の説明では、1793年に遊女以外の女性の名を錦絵に記すことが禁じられたため、後の版で「当時」と女性名が削られ、単に「三美人」となった。これは現物の名が消えたことを出版と規制の変化に結びつける、具体的な記録である。しかし、名の見えない他館の画像をすべてその第2版に入れることはできない。題の版木が彫り直されたのか、色や紙が変わったのか、あるいは別の複製なのかは、現物同士を精密に見比べて判断すべきである。文字が画像のトリミングや退色によって見えない可能性も、最初に排除する必要がある。
本頁の所有者提供画像には右上に縦の題がある。拡大すると「当時三美人」と読めるように見えるが、その画像の元となった現物の所蔵先は不明である。千葉が記す個人名はこのファイルでは明瞭でない。それを根拠に「名前を削った第2版」と名付けることはしない。2732×4000ピクセル・300dpiの原版は細部を調べるのに適するが、画像の鮮明さだけで伝来や版を立証できない。細部の説明は、見えている特徴と所蔵記録から分かる事柄を分けて記す。
同じ三人を描く三つの画像
二つの所蔵品を比べる
メトロポリタンの画像には「三婦艶」の文字があり、クリーブランドの公開画像の同じ場所には題が見えません。三人の位置は一致しますが、千葉市美術館のいう第2版との関係は未確認です。


メトロポリタン美術館のJP1528 [2]は英語で《寛政期の三美人》とされ、記録には「三婦艶」とある。年代は1791年ごろ、寸法は38.7×25.7センチ。所有者画像と並べると、上の豊ひな、左下のおひさ、扇を持つ右下のおきたという配置が一致する。題の部分が異なるので、両者が別の現物であることも明らかだ。ただし同館の年代を使い「三婦艶」が必ず「当時三美人」より先に刊行されたと決めることはできない。美術館の年代はその現物に対する判断であり、版木の順番を示す証明書ではない。
クリーブランド美術館の1916.1158 [3]にも同じ三人がいるが、公開画像の右上には、所有者画像やメトロポリタン美術館のような題の短冊がない。同館は1794年ごろ、37.5×25.4センチと記し、画像をCC0で公開する。名前が目立たなくても、位置と紋を照合すれば三人を読む手がかりが残る。千葉は後の無名版を説明しているので、この画像は有力な比較資料になる。しかしクリーブランドの所蔵記録が「千葉の第2版と同一」と記していない以上、本頁もそう断定しない。輪郭、版元印、紙と余白を含む調査が必要である。
紙の大きさも一筋縄ではいかない。千葉の名のある現物は32.0×21.6センチの間判で、同館は雲母の地をもつ大判も知られていると述べる。小さい版は購入しやすい刊行物だった可能性がある、と同館は慎重に推測する。トレドの現物は38.7×26.2センチ、1793年ごろの雲母摺りで、版元を蔦屋重三郎と記す。メトロポリタンとクリーブランドの紙も大判に近い。一つの英訳題でくくられた画像のなかに、異なる判型、文字、色の資料が混ざる。小さい千葉の紙を単に大きい紙の縮小写真と考えてはならない。
現時点で確かめられる関係は、千葉が名を持つ1793年の間判と後の版を記し、メトロポリタンは「三婦艶」の題を持つ大きい現物を記し、クリーブランドの公開画像には同じ位置に題が見られず、トレドは蔦屋の大判を記す、というものだ。三人の配置は共通する。それでも「初版→第2版→第3版」と矢印で結んだ系図を作るには証拠が足りない。複数の現物を資料ごとに比べることが、この作品の魅力をむしろ深める。
浮世絵市場に現れた女性たち
当時の買い手は何を知っていただろう。三人の名、店、芸をすでに知る人なら、錦絵は実在の評判の女性を集めた一枚として読めたかもしれない。知らない人でも、三角形の構図や衣装、髪、地の仕上げに惹かれただろう。これは作品の文字と形から推測できる可能性であり、特定の購入者の感想が残っているという意味ではない。国立国会図書館の蔦屋重三郎展 [10]は歌麿の肖像を版元の出版活動のなかに位置づける。蔦屋の名をトレドが記すことも、一枚の作品と商業的な制作の関係を考える手がかりになる。
豊ひなの芸者としての仕事、おきたの茶屋での仕事、おひさの菓子屋との関係は同じではない。三人が同じ画面に入ったからといって、実生活で一緒に行動した証拠にもならない。絵師が図案をつくり、版元が刊行し、彫師と摺師が紙の像にした。女性たちの名や目印が知らない人へ届いた一方、本人が出版をどう受け止めたか、肖像を認めたかは、この錦絵だけでは分からない。画面から女性の心情を代弁しないことも、実在の人を描く作品を読む際には大切である。
千葉が記す名の削除は、公開された女性の個人名が版元にとって価値であり、同時に規制の対象になったことを示す。名前をなくせば三人の図柄が残っても、買い手が紙の上で直ちに確認できる情報は変わる。現代の所蔵記録によって失われた名を説明することは可能でも、名を刷った現物と刷らない現物の違いは消えない。規制の年を一つ挙げるだけでなく、画面上のどこが変化したのかを見る意味はそこにある。
三人それぞれの別の肖像



本頁に掲載する豊ひな、おきた、おひさの単独像は、三美人図から切り出したものではない。それぞれメトロポリタン美術館の現物で、所蔵番号も異なる。豊ひなが手紙を読むJP1392は1790年、おきたが茶を運ぶJP1668は1793年ごろ、二つの鏡で髪を見るおひさのJP145は1795年ごろとされる。同一の日に三人が歌麿の前に座ったという根拠ではなく、名のある人物を異なる題材で繰り返し描いたことを示す比較資料である。
豊ひなの図では読む行為が画面の中心となり、おきたの図では茶器が仕事を知らせる。おひさの二つの鏡は「見る人を見る」という複雑な場面をつくる。三美人図には、それぞれの行為を示す舞台がない。三人を集めた構図、名、紋こそが中心である。作品間の違いを見れば、人物を個別に描く版と、三人を一組の評判として見せる版の働きが分かる。比較画像は装飾のためではなく、この差を実際に確かめるために置いた。
また、別の絵に同じ名前があっても、顔が写真のように一致するかを評価基準にしない。歌麿は理想化された美人画の形を用いながら、名、道具、仕草、髪形の差を加える。記録と画中の文字があれば「誰として描かれたか」を言えるが、実際の容貌の忠実な写しであるとは証明できない。雲母の有無も同様で、ある館の現物に記された技法を、未同定の所有者画像へそのまま移さない。
題名と年代をどう扱うか
千葉の1793年、メトロポリタンの「1791年ごろ」、クリーブランドの「1794年ごろ」は、各館の現物の年代表示である。三つの数字を並べて刊行の完全な順番が分かったように書くのは危険だ。同じ図柄は再刊、改版、再摺り、模刻され得る。館の年代が図案を指すのか特定の一枚を指すのかも、記録の読み方によって違う。紙、顔料、線、印、文字の物理的な照合が必要になる。本頁の比較はその調査を促すが、まだ行っていない現物調査の結果を作り出さない。
「Three Beauties of the Present Day」は《当時三美人》を探すために便利な英訳である。「Three Beauties of the Kwansei Period」はメトロポリタンのJP1528に付された英語題であり、記録する日本語は「三婦艶」。クリーブランドは三人の名を作品名にする。トレドは前者に近い英訳を使う。英語題が一致しても印刷された文字まで一致するわけではない。逆に印刷された文字が違っても、三人の配置が一致することがある。名称と画像の両方を調べ、所蔵番号を残すことが重要である。
本頁の画像と注釈
主画像は所有者提供のパブリックドメイン画像で、2732×4000ピクセル、300dpiの元ファイルを保存した。ページ用JPEGは横1024ピクセル、品質80、144dpiの設定で作成し、四つの細部は縮小前の元画像から切り出した。所有者の希望により、提供画像にクレジット行は付けない。これは画像の現物の摺りや所蔵先が分かるという意味ではない。右上の文字や衣の紋が見えても、未確認の現物を千葉の所蔵番号で呼ばない。
メトロポリタンの三美人図と三つの単独像は、それぞれパブリックドメインの公開画像を個別の所蔵番号に結びつける。クリーブランドの画像はCC0である。これらには所蔵品へのリンクを示す。千葉とトレドの記録は本文の研究に使うが、画像の商用利用条件を確かめていないため、その館の写真は本頁へ転載しない。説明の基になる資料と掲載する画像の権利を分けることで、似た現物を一枚と誤認しにくくなる。
注釈画像は、上の豊ひな、左下のおひさ、右下のおきたと扇、右上の題を案内する。番号を選ぶと説明へ進み、細部の画像を開いて見ることができる。これは見方の補助であり、最初の摺りを復元したものではない。次にメトロポリタンとクリーブランドの全体図を比べ、題の文字と色の差を確かめたい。所有者画像の色との違いは、摺り、退色、撮影、画像処理のいずれも影響し得るので、色だけで版の順序を決めない。
よくある質問
千葉市美術館の1793年の現物では、上が富本豊ひな、左下が高しまひさ、右下が難波屋きた。位置と紋、印刷された名が根拠である。
所有者画像と三人の配置を共有するが、JP1528には「三婦艶」という別の文字があり、別の物理的な現物である。千葉の版とどのようにつながるかは確定していない。
公開画像には同じ位置に題の短冊が見えない。千葉は後の無名版を記録するが、クリーブランドの現物がその版だとする資料はまだ確認していない。
違う。所蔵館は吉原の芸者、水茶屋の女性、菓子屋の娘を区別する。一括して同じ職業にしない。
読者との対話
三人の配置と、現存する摺りの文字の差を見比べてください。
鑑賞の手がかり
紋と位置のどちらを先に見ましたか。
メトロポリタンの文字はどう違いますか。
名がなくなると何を手がかりに読みますか。
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参考資料
- 千葉市美術館《当時三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ》所蔵番号2943024。
- メトロポリタン美術館《寛政期の三美人》JP1528。
- クリーブランド美術館《富本豊ひな・高しまひさ・難波屋きた》1916.1158。
- トレド美術館《Three Beauties of the Present Day》1951.290。
- 太田記念美術館、歌麿の所蔵品紹介。
- メトロポリタン美術館《手紙を読む富本豊ひな》JP1392。
- メトロポリタン美術館《難波屋おきた》JP1668。
- 大英博物館、高しまおひさの肖像 1927,0613,0.6。
- メトロポリタン美術館《鏡を二つ使って髪型を見るおひさ》JP145。
- 国立国会図書館、蔦屋重三郎展。
- 江戸東京博物館図書室、寛政三美人に関するレファレンス。
- 国立国会図書館、寛政三美人についてのレファレンス協同データベース。
- 東京国立博物館、蔦屋重三郎展出品目録。
- ジュリー・ネルソン・デイヴィス『Utamaro and the Spectacle of Beauty』書誌、スミソニアン図書館。







