扇、色紙、巻物、墨画、屏風。宗達の作品を形と帰属から読み解きます。

宗達を見るとき、まず作品の形を見る
俵屋宗達の名は《風神雷神図屏風》とともによく知られる。ところが、その生年、没年、修業先を確定する史料は乏しい。京都国立博物館は建仁寺に伝わる《風神雷神図屏風》を宗達作として紹介しながら、作者の生没年を不明とする。スミソニアン国立アジア美術館の年表から見えるのは、17世紀前半に活動した京都の「俵屋」と、年代を持つ幾つかの作品である。「1570年頃生まれ、1640年頃没」という表示を正確な戸籍のように扱うことはできない。伝記で埋められないところを、扇、色紙、巻物、屏風という実物の違いから考えてみよう。 [1] [2] [3]
宗達が率いたと考えられる俵屋は、絵を描いた扇や料紙をつくり、売る場でもあった。扇なら開閉でき、色紙なら文字を書いて贈ることができる。巻物は少しずつ繰り出して読む。屏風は部屋に置き、見る人が動くと画面の折れ目も見え方を変える。したがって宗達の様式を「金地に大きな絵」とだけ説明すると、紙を使い、書き、持ち歩く経験が抜け落ちる。ジェームズ・T・ウラックによるスミソニアン図録の序文は、扇を俵屋の活動の中心に置き、古典や宗教的な物語が都市生活のなかを動いたことを論じる。 [2]
ひと目でわかる宗達
- 活動時期17世紀前半。生没年は不明
- 活動地京都を中心に活動
- 主な形式扇、色紙、巻物、屏風、障壁画
- 重要な年記1606年の色紙、1630年の絵巻、1631年の屏風
目次
このページでは、余白と形の働きを作品ごとに確かめる。同じ宗達風の画面でも、本人作とされる墨画、帰属に留保の付く作品、後の工房作では、語れることが違う。「琳派」という便利な名前は宗達の仕事を後世の光琳や抱一と結び付けるが、17世紀初めに同名の会派が存在したわけではない。まず絵の支持体、注文や共同制作、収蔵館が示す帰属を見ることが、作品を具体的にする。 [4] [5] [15]
俵屋の扇を、一枚ずつ見る
折り畳む扇の画面は、外側が広く、要へ向かって狭まる。描く場面は、開いたときにも読め、畳んだときには姿を消す。一枚の扇に物語の登場人物や鳥、花をどう置くかは、屏風の長方形に描くのとは違う問題だった。完成後に扇面をはがし、別の屏風へ貼ることもある。今日見える「扇面屏風」の並びが、制作時の並びや使い方をそのまま伝えるとは限らない。 [2] [8]
皇居三の丸尚蔵館の《扇面散屏風》は、八曲一双に48枚の扇面を貼る。スミソニアンの展覧会資料によると、修理で一枚の裏に俵屋藤七郎の名が見つかり、「太藤」印のある扇18枚との関係が明らかになった。「伊年」印を持つ扇もある。『伊勢物語』、軍記物、鳥や草花という主題の広さだけでなく、複数の手が関わる制作の実態を見せる作品だ。藤七郎が宗達の親族だったという結論まで、裏面の発見から直接出るわけではない。 [8] [9]
東京国立博物館にも同じ日本語題名《扇面散屏風》の別作品がある。こちらは六曲一双に60面の扇を貼り、文化財記録の作者表示は「伝俵屋宗達筆」。48枚の三の丸尚蔵館本を紹介する文に東京本の写真を付ければ、枚数も帰属も違う説明になってしまう。どちらの作品も「扇が後から屏風という新しいまとまりを得た」例として有用だが、所蔵館と形を必ず添えて区別する。 [26] [8]
俵屋の仕事を身近な紙の大きさで示すのが、1606年の和歌色紙である。クリーブランド美術館は浜辺の松を宗達の下絵、『新古今和歌集』の書を本阿弥光悦に帰している。松は文字の背後へ退く模様ではない。枝と雲の形、筆文字、残された余白が一枚の紙の上で呼応する。関白を退いた近衛信尹との関係を同館は説明するが、そこから色紙の制作現場の全員を言い当てることはできない。絵と書を別々の役割として記録することが、この共同作業の豊かさを見せる。 [10] [1]

書を読む時間、絵を見る時間
京都国立博物館所蔵《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》は、宗達の金銀の鶴と光悦の書が長さ約13.56メートルに続く。博物館の解説は、鶴が飛び、休み、群れるように現れる順序にも目を向ける。鑑賞者は13メートルを一目で見るのではなく、巻いた部分を少しずつ開く。紙を進める時間が鶴と和歌の変化を作る。屏風の前を歩く経験とも、手元の色紙を眺める経験とも違う。 [11] [12]
京都国立博物館の所蔵記録は30点の写真を案内するが、このサイトでの画像使用許可を意味しない。ここで別の美術館の色紙を鶴の巻物の部分図と呼ぶこともしない。クリーブランドの別の和歌巻では、光悦の書に対する松の下絵を「宗達に帰属」としており、断定の強さも作品によって異なる。作品の長さ、現在の仕立て、担当者の表示をそのまま残すと、同じ「宗達と光悦」でも異なる制作が見える。 [11] [13]
《住吉浜》と、メトロポリタン美術館の《宇津山》は『伊勢物語』を題材とする。どちらも1634年頃とされ、詩歌を含む小さな画面である。現在の仕立ては異なり、前者は画帖の一葉、後者は色紙を掛幅へ仕立てたもの。名のある場所でも、画家が現地で写生した証拠にはならない。古典を知る人は地名や僅かな景物から歌と場面を思い起こしただろう。初めて見る人には、現代の地図を示すより、絵にある形と言葉がどの物語を呼ぶかを説明する方が役立つ。 [7] [14] [27]

『源氏物語』も短い絵で長い話を示せる題材だった。ただし似た章題を持つ作品の混同には注意したい。東京国立博物館の《関屋図屏風》は、烏丸光広の書と花押から1633年から1638年頃を推測する「伝宗達」の作である。静嘉堂文庫美術館の国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》は1631年の別の一双で、文化財記録も別に存在する。文学の同じ場面を扱うからといって、一方を他方の部分図にしたり、年代を移したりできない。 [28] [29]
墨のにじみ、線、白い紙
メトロポリタン美術館の《白鷺図》は、署名、印、筆遣いを合わせて宗達の直接作とする掛幅である。鳥の輪郭を細い線が支え、葦と白い紙が体の存在を強める。多くの画面を金色で満たした作家だと想像していると、この少ない墨の働きが意外かもしれない。しかし宗達の筆が常に一種類の模様を描くはずだと考える必要はない。作品ごとの証拠も違う。署名と印のある墨画を、主題が似るというだけの後代作と同列に置かないことが大切だ。 [4]
クリーブランド美術館の《鳥窠道林禅師像》では、僧が木の枝に小さく座る。周囲の紙はほとんど描き込まれず、墨の濃淡と水分の重なりが樹木と身体を作る。同館は中国の1602年刊の仏道図像集を題材の源として挙げる。宗達を古い日本の絵を装飾的に再生しただけの画家にしてしまうと、中国由来の主題や技法との関係が見えない。スミソニアンのウラックも、中国・朝鮮の作例との比較を勧めている。 [16] [2]


英国博物館は「たらしこみ」を、まだ湿った墨にさらに墨を落とすことで濃淡を溜める方法として説明する。名称を覚えるだけでは絵は見えてこない。《鳥窠道林禅師像》で墨と白い紙の境がどう働くか、《白鷺図》で線と薄い洗いが何を描き分けるかを比べる方が具体的である。また、にじみが見えたことだけで本人作と確定することもできない。工房や後の画家も方法を受け継げるからだ。 [5] [16] [4]
スミソニアンの展覧会は「たらしこみ」に加え、彩色の下の墨線を残す方法や、型を押して料紙に反復模様を作る方法も説明する。乾いた一枚の絵として見ると、同じ「装飾」に見える工程が異なる。湿った墨の動き、輪郭と色の重なり、先に作られた模様に後から文字を書く順序。それぞれが違う仕事で、一点にすべてが使われるわけではない。巻物や色紙の現在の仕立ても制作後に変わりうるので、現状の名称だけから最初の使い方を決めつけない。 [30] [14]
京都国立博物館の国宝《蓮池水禽図》は、簡潔な墨で蓮と水鳥を描く宗達作である。ただしここにその画像を転載する条件は確認できていない。東京国立博物館の「蓮池水禽図」には中国・南宋の別作品(TA-142)もある。検索結果の同名題から写真を選ばず、所蔵館と収蔵番号を確かめることが必要だ。 [17] [18]
金地に対峙する風神と雷神
建仁寺に伝わる《風神雷神図屏風》を京都国立博物館は、金地の二曲一双、各隻の高さ約154.5センチ、幅約169.8センチと記す。風袋を持つ風神と太鼓を鳴らす雷神の間に、山や雲で距離を測る風景はない。空いた金の場が、二つの姿の動きを隔て、同時につなぐ。屏風の前に立つと視線は一方から他方へ渡り、見る位置と光によって金の印象も変わる。作品には落款と印がないが、同館は宗達の作として扱う。署名がないことと、誰の作か判断できないことは同義ではない。 [3]
この有名作の画像は、博物館の詳細ページにあるからという理由でこのサイトへ複製しない。ここに載せるクリーブランド美術館《雷神図》は、宗達の工房作とされる別の六曲屏風である。風神雷神の図像と制作の広がりを比較する手掛かりにはなるが、建仁寺本の「雷神の部分」ではない。日本語の検索結果で「宗達 雷神」とだけ見れば二つを取り違えやすい。形式、収蔵先、帰属を併記して初めて比較が成り立つ。 [6] [19] [3]

後の尾形光琳らが風神雷神という画題へ戻ったことは琳派の継承を語る入口になる。それでも「同じ絵を一人が模写し、次がまた模写した」という単純な列にしてしまうと、各屏風の大きさ、絵具、折れ目、異なる表情を見落とす。京都市立芸術大学の研究紹介は、宗達本と光琳本を実物の技法と画面構成から比較する問題を示す。同じ主題を別の物として見ることが、後世の受容を理解する出発点になる。 [20]
「宗達作」と「宗達の工房作」の間
所蔵館の英語記録では「by」「attributed to」「studio of」「school of」が別の帰属を示す。例えばメトロポリタン美術館の《紅白芥子》は「宗達派」として記録され、本人の署名と印で評価する同館《白鷺図》とは証拠の水準が異なる。「伊年」印も宗達個人だけの署名とは限らない。図版を選ぶときは印があるか、筆遣いが似るか、工房へ帰す根拠があるかを、収蔵館の表示とともに確認したい。 [21] [4] [2]
| 所蔵館の表示 | 読者に伝える内容 | 具体例 |
|---|---|---|
| 宗達作 | 収蔵館がその作品を宗達本人に帰す。年の推定が別に残ることはある。 | メトロポリタン美術館《白鷺図》2018.853.13。 |
| 宗達に帰属・伝宗達 | 作者候補として宗達を挙げつつ、留保を残す。 | クリーブランド美術館の『古今和歌集』巻物1972.67の下絵。 |
| 宗達の工房作 | 俵屋で働いた画家、またはその制作圏へ帰す。宗達本人の筆と断定しない。 | クリーブランド美術館《雷神図》2004.86。 |
| 宗達派 | 後の作り手による画風の継承も含みうる。 | メトロポリタン美術館《紅白芥子》29.100.464。 |
表の第一列は「名声の順位」ではない。工房作の扇や屏風こそ、宗達の図案がどのように人へ渡り、数を増やしたかを示す場合もある。反対に、署名のある一点の細部から、無署名の画面の筆者をそのまま推定することもできない。英国博物館の作家レコードにも「工房」「追随者」「かつて宗達とされた」といった異なる表示が混在する。画家の検索結果を作品目録として数え直す前に、各館の帰属の語を読む必要がある。 [5] [8]
《佐野の渡し》はクリーブランド美術館が「宗達の工房作」とする。古典歌に由来する主題を描き、掛幅の絵を屏風へ仕立てたという現在の姿も重要である。画面が宗達の構想を受け継いでいるかもしれないが、館の分類を消して本人の晩年作にしてはいけない。工房作を正しく見せると、人気のある形式と古典の主題が宗達一代で終わらず、製作の場で繰り返されたことが分かる。 [22] [23]

動物と人物の小品にも同じ区別が必要である。クリーブランド美術館は《タンポポと子犬》(1992.382)と《海老を持つ僧・見修》(1992.388)をともに工房作とする。直接作だけを並べるより制作の幅を示すが、「宗達の筆で描かれた愛らしい動物」という説明にはできない。美術館の作品番号を残すことで、見る人は同じ館の別の犬や人物画と混同せず、帰属の表示も自分で確かめられる。 [24] [25]


宗達の仕事は後世「琳派」の始まりとして語られる。京都国立博物館の展覧会が宗達、光琳、抱一を並べるのも、彼らの間で図様や素材の使い方が再解釈されたからだ。しかし同じ工房にいた弟子たちの連続した名簿を意味しない。扇を使い、古典の一句を書き、墨の水分を生かし、金地の空白を構成するという具体的な選択から、後の作家たちが何を受け取り、何を変えたかを見るべきだ。宗達自身の生涯を知りたい人は、別の伝記で1606年の色紙、1630年の《西行物語絵巻》、1631年の《源氏物語関屋澪標図屏風》など、年代の根拠を順にたどれる。 [15] [1]
よくある質問
建仁寺に伝わる《風神雷神図屏風》がもっとも広く知られる。ただし同作品の落款と印はなく、京都国立博物館は総合的な判断で宗達作とする。墨画《蓮池水禽図》、光悦との《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》、1630年の奥書を持つ《西行物語絵巻》など、媒体の異なる作品も重要である。 [3] [11] [17]
いいえ。二人は世代が異なり、同じ工房の師弟関係を示す資料はない。後の尾形光琳が宗達の図様や制作を新たに解釈したことから、両者は「琳派」の歴史で結び付けられる。 [15]
別の人の筆が確認・推測される作品まで本人の直接作とすれば、画家が何をしたかという説明が曖昧になる。俵屋藤七郎の名が扇の裏から見つかった例のように、工房の協働そのものが歴史的に興味深い。 [8]
読者との対話
作品と史料を見比べ、宗達と俵屋の制作について考えてみてください。
鑑賞の手がかり
1606年の色紙では、松の下絵と光悦の書がどう関わっていますか。
風神と雷神の間に風景を描かないことで、何が起きていますか。
扇面屏風の藤七郎の名は、宗達作という呼び方をどう変えますか。
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参考資料
- スミソニアン国立アジア美術館「Sōtatsu: Making Waves 年表」。活動年代、俵屋の仕事。
- James T. Ulak, “Introduction,” Sōtatsu: Making Waves, Smithsonian Institution, 2015, pp.10–17。刊行PDFの本文を確認。
- 京都国立博物館《風神雷神図屏風》。建仁寺伝来、作者判断、素材と寸法。
- メトロポリタン美術館《White Heron》、2018.853.13。
- 英国博物館「Tawaraya Sōtatsu」作家レコード。たらしこみ等。
- クリーブランド美術館《God of Thunder (Raijin)》、2004.86、工房作。
- クリーブランド美術館《The Beach at Sumiyoshi from the Tales of Ise》、1951.398。
- スミソニアン《Painted Fans Mounted on a Screen》。48扇と藤七郎の裏書。
- 皇居三の丸尚蔵館《扇面散屏風》、SZK002945。
- クリーブランド美術館《Poem-card from the Shinkokin wakashū with Design of Pine on a Beach》、1987.60。
- 京都国立博物館《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》、A甲364。
- 京都国立博物館「400年前のアニメーション」。鶴の連続表現。
- クリーブランド美術館《Kokin wakashū scroll》、1972.67。下絵は宗達に帰属。
- メトロポリタン美術館《Mount Utsu》、2015.300.88。
- 京都国立博物館「琳派 京を彩る」。宗達、光琳、抱一の各作品。
- クリーブランド美術館《The Bird's Nest Patriarch》、1958.289。
- 京都国立博物館《蓮池水禽図》。
- 東京国立博物館《蓮池水禽図》、TA-142。別の南宋絵画。
- クリーブランド美術館《God of Thunder (Raijin)》、2004.86。工房作と伊年印。
- 京都市立芸術大学・宗達と光琳の風神雷神図比較研究。
- メトロポリタン美術館 Open Access API《Red and White Poppies》、29.100.464、宗達派。
- クリーブランド美術館 Open Access API《Crossing at Sano》、帰属表示。
- クリーブランド美術館《Crossing at Sano》、1949.554。
- クリーブランド美術館《Puppy with Dandelions》、1992.382。
- クリーブランド美術館《Kenshu, Monk with Shrimp》、1992.388。
- 文化庁《扇面散屏風》。東京国立博物館の60扇六曲一双。
- メトロポリタン美術館「琳派の絵画」。古典文学と琳派。
- 文化庁《関屋図屏風》。東京国立博物館本、伝宗達。
- 文化庁《源氏物語関屋及澪標図》。静嘉堂所蔵の別作品。
- スミソニアン国立アジア美術館「Sōtatsu’s Methods」。絵具と料紙の工程。



