長谷川等伯《松林図屏風》

著者:
Tom Gurney は美術史を20年以上研究しています。英国サルフォード大学 BSc (Hons)。
日本語版 最終更新:2026年9月25日
メール:tomgurney1@gmail.com / 電話:+44 7429 011000

能登の信春、京都の注文、祥雲寺の一門と晩年の銘を、残された作品からたどります。

長谷川等伯《松林図屏風》右隻
長谷川等伯《松林図屏風》右隻、六曲一双の片方。東京国立博物館 A-10471。 画像:ColBase。掲載用に縮小。

松林はどこから始まるのか

濃い墨の松を一つ見つけると、その後ろに淡い木々が浮かぶ。次の木へ目を移すあいだには、何も描かれていないように見える広い紙面がある。長谷川等伯の《松林図屏風》では、松の本数を数えるだけでは風景に入れない。木々の間を埋めているようで埋めていない余白、近くで見ると荒々しい葉の筆触、離れると霧の中に収まる幹。その行き来によって、見る側が松林の奥行きを作り出す。東京国立博物館が所蔵する A-10471 は、左右二隻からなる一双の屏風であり、紙本墨画、安土桃山時代・16世紀という作品情報で公開されている。1590年代とみる解釈はあるが、作品に制作年が記されているわけではない。 [1] [2]

この絵を「一枚の松林の絵」と呼ぶと、鑑賞の条件が見えにくくなる。各隻は六つの扇を持つ六曲屏風で、ColBaseの寸法はそれぞれ縦156.8、横356.0センチメートル。二隻を並べれば横幅は七メートルを超える。平面の写真では折れ目をもつ立体が一つの長方形に見えるが、屏風は置き方と見る位置で面の向きが変わる。木の幹が扇の境をまたぐところ、淡い枝が隣の面へ続くところ、余白の幅が変わって見えるところに注意したい。デジタル画像は細部を見る手がかりであり、屏風の実寸や展示室の光そのものではない。 [1]

等伯の仕事を水墨の松だけに限ることもできない。智積院に伝わる《楓図壁貼付》や《松に秋草図屏風》は、1591年に亡くなった豊臣秀吉の子・鶴松を弔う祥雲禅寺の障壁画として、東京国立博物館が1592年頃に位置づける華やかな仕事である。一方、《松林図屏風》がその部屋のために作られたという記録は確認されていない。金地と色彩の大きな木と、紙と墨の濃淡による松とでは、求められた画面の働きが違う。片方を「本来の等伯」、もう片方を「例外」と決める前に、各作品がどんな画面を作っているかを見る必要がある。 [4]

ひと目でわかる等伯

  • 生没年1539–1610年
  • 出身能登・七尾
  • 主な形式仏画、肖像、屏風、障壁画
  • 注意点一双の左右と工房作を区別

目次

  1. 松林はどこから始まるのか
  2. 一双の全景を先に見る
  3. 濃い松、傾く松、消えかけた松
  4. ほかの屏風と比べて分かること
  5. 描かれた場所を決められるか
  6. 下絵なのか、完成作なのか
  7. 制作年代と等伯の仕事
  8. 水墨画の継承をどう読むか
  9. 画像で見ること、実物でしか確かめられないこと

一双の全景を先に見る

右隻と左隻の全景には、それぞれ濃い松と淡い松が置かれるが、同じ形の反復ではない。右隻の濃い木立は幹と葉が強く視線を止め、その外側に斜めの松が現れる。左隻では、立つ幹の周辺に薄い木々が重なり、さらに広い空間へと視線が抜ける。東京国立博物館はおおよそ四つの松林のまとまりが構成され、地面が画面の外へ続くような感覚を生むと説明する。言い換えれば、この一双に「主役の一本」だけがあるのではない。濃いまとまりと淡いまとまりの間隔こそが、鑑賞する順序を決めている。 [4]

《松林図屏風》右隻、一双の片方
《松林図屏風》右隻、一双の片方 東京国立博物館。ColBase提供画像を縮小。 作品記録 A-10471.
《松林図屏風》左隻、一双の片方
《松林図屏風》左隻、一双の片方 東京国立博物館。ColBase提供画像を縮小。 作品記録 A-10471.

余白をすべて「霧」と置き換えると、紙面の働きが隠れてしまう。右隻では強い松の手前にも向こう側にも明るい間隔があり、隣り合う木が固まりにならない。左隻の薄い木は、背景に退くように見えながら、紙に接する淡墨の跡としても見える。風景としての霧と、絵としての紙は同時に存在する。松の輪郭が途切れた場所で奥行きが生まれるのは、画家がそこを単に「描き忘れた」からではない。むしろ描かれた木と描かれない領域の配分が、画面全体の速度を調整している。 [1] [4]

屏風の折れも、その速度に関わる。六つの面が少しずつ違う方向を向けば、長い松林は固定された一枚のパノラマとは異なる。見る人が横へ歩くと、近い幹と遠い幹の関係は変化して感じられるだろう。ただし、いま分かる画面構造から、等伯がどの部屋でどの角度に屏風を置いたかまでは復元できない。東京国立博物館は、左右を入れ替えても景色が広がると試しながら、印の位置を踏まえた通常の配置にも言及している。記事では一般的な展示順を示し、その判断と別の見え方の可能性を分けて説明したい。 [4]

濃い松、傾く松、消えかけた松

全景で落ち着いた森に見える松葉も、拡大すると勢いの違う筆の集まりである。右隻の濃い松では、葉の束が幹の周囲に重なり、黒いかたまりの端が細かな線でほぐれる。手前の木が強く見えるのは色が濃いからだけではない。幹の立ち方と葉の方向が近くの木を押し出し、その後ろの薄墨が距離を与える。東京国立博物館は、近づくと迫力のある筆づかいが、離れると霞む松林になると説明している。全景と拡大を往復してはじめて、その説明を自分の目で確かめられる。 [4]

松林を二隻から読む

二隻の番号を選ぶと対応する細部へ進みます。細部画像は原本の高解像度写真から切り抜き、下に説明を付けています。

右隻

右隻 — 松林図屏風12

左隻

左隻 — 松林図屏風34

注釈画像の細部

原本の300dpi作業画像から切り抜き、横幅1024px、JPEG品質80、144dpiに書き出した。四画像は同じ一双の細部である。

1

右隻の濃い松

濃い筆触が松葉の集まりを作り、近くで見ると動きが増す。

右隻の濃い松

東京国立博物館 A-10471。ColBase画像を切り抜き・縮小。 ColBase.

2

右隻の傾く松

幹が端から斜めに入り、広い余白との関係を作る。

右隻の傾く松

東京国立博物館 A-10471。ColBase画像を切り抜き・縮小。 ColBase.

3

左隻の立つ松

直立する幹が左隻を支え、右隻の構成を単純に反復しない。

左隻の立つ松

東京国立博物館 A-10471。ColBase画像を切り抜き・縮小。 ColBase.

4

左隻の淡い木々

淡い形が道や地平線なしに奥行きを感じさせる。

左隻の淡い木々

東京国立博物館 A-10471。ColBase画像を切り抜き・縮小。 ColBase.

右隻の端に向かって傾く松は、幹そのものが画面の外側から入ってきたように見える。そこから伸びる葉の方向は、中央の濃い木立の安定感とは異なる。葉を描いた道具について、東京国立博物館は連筆、束ねた藁、硬い筆などの説を挙げるが、どれか一つに確定していない。デジタル拡大で筆触を観察することは有益でも、画面の粗い痕だけを根拠に使用道具を断定することはできない。「速く描いたように見える」という印象と、「何を使って何分で描いた」という制作事実は分けるべきである。 [4]

左隻の濃い幹は、右隻の斜めの松と対照的に縦の支えを作る。しかし、その枝先まで一様に強いわけではない。下に行くほど細く淡い箇所があり、後ろの木や紙の明るさと重なる。近景の木は壁のように風景を閉ざさず、奥を見るための位置を決める。こうした違いを「濃淡がある」という一語で済ませると、どこに濃い墨があり、どこから木が薄くなるのかという画面の具体性が消えてしまう。右隻と左隻を同じ拡大倍率で見比べると、画家が同じ松を複製して並べたのではないことが分かる。 [1]

最も淡い松は、見落としやすい。背景の汚れのように見えた場所に枝先を見つけると、奥にもう一本が立つ。淡墨の木は遠景を表す方法であると同時に、見る人に「どこまでを松と読むか」と問いかける。もちろん現在の写真の濃度や画面の保存状態も、私たちの見え方に関わる。ウェブ画像から制作当時の色調を完全には取り出せない。それでも同じColBaseの写真の中で、濃い木と淡い木の対比は明瞭であり、画面の深さを考える根拠になる。説明カードでは拡大した木の位置を全景に戻し、部分写真だけが独立した別作品に見えないようにする。 [1]

ほかの屏風と比べて分かること

同じ東京国立博物館の《牧馬図屏風》A-56は、やはり六曲一双でありながら、馬、人、樹木や起伏する地面を色彩でつないでいく。ColBaseに由来する作品説明は右隻を春、左隻を秋とする。一隻の中で次々に小さな出来事が起こり、見る人は動物の向きや人の位置を手がかりにできる。《松林図屏風》には、そのような人物も馬も描かれない。二つを並べる意義は、どちらが先に描かれたかを無理に決めることではなく、一双の屏風という共通する器で、視線の運びがどう変わるかを見ることにある。両作品の博物館記録はいずれも広い16世紀の年代を示す。 [14] [1]

《牧馬図屏風》右隻
《牧馬図屏風》右隻 東京国立博物館。ColBase提供画像を縮小。 作品記録 A-56.
《瀟湘八景図屏風》、山村を含む一双の部分
《瀟湘八景図屏風》、山村を含む一双の部分 東京国立博物館。ColBase提供画像を縮小。 作品記録 A-12096.

右隻の《牧馬図屏風》では、馬の毛色、体の向き、周囲の緑が画面の各所に目を引く。松林の右隻に戻ると、木々の種類を増やさずに墨の調子だけで前後を区別していることが際立つ。ただし、単純に「色彩から水墨へ進歩した」とは言えない。二作品の正確な制作順は未確定であり、主題や注文によって画面の要求は違ったはずだ。現存作の差異は比較できても、一方がもう一方の練習作だという文書はない。こうした節度を守れば、A-56のにぎやかさはA-10471の静けさを説明するための有効な比較となる。 [14] [1]

印の扱いにも作品ごとの事情がある。《牧馬図屏風》の説明には、以前あった信春の印が博物館収蔵前に除かれたと記される。一方、《松林図屏風》の端にある印について、東京国立博物館は等伯のほかの作品の印と異なり、後世に捺されたものと考える。どちらの印も「現在見えるから真筆が証明された」「見えないから作者不明」という単純な結論には結びつかない。作者の帰属、現在の物理的状態、過去の書付や印の履歴を区別するのが、美術館の作品情報を読む基本である。 [14] [4]

《瀟湘八景図屏風》A-12096もまた、東京国立博物館が等伯筆として公開する六曲一双の別作品である。ColBaseの画像には、山村や水辺などを含む二扇ずつの写真が六点あるが、六作品を意味するわけではない。今回使う水辺の一部には、遠くの建物と広がる水面が見える。場所の名を暗示する建物や岸が空間の手がかりとなり、余白に近い部分を「水」と読みやすい。松林の白い領域には、それに相当する明確な湖岸も楼閣もない。似た広さの明るい紙面でも、どんな目印があるかで風景の意味は変わる。 [15] [1]

《瀟湘八景図屏風》の山村の写真も役に立つが、このページでは図版をむやみに増やさない。山、建物、近景の樹木を細かく読むなら、別の記事に十分な余地がある。《松林図屏風》の記事で重要なのは、建物を描いた風景にも淡い広がりがあることを確かめ、そのあと松だけで場が成立する画面へ戻ることだ。異なる作品を少数だけ置くことで、A-10471が「何もない」風景ではなく、情報の与え方を厳しく選んだ風景だと分かる。 [15] [1]

描かれた場所を決められるか

松林の場所を、等伯の故郷・能登半島に求めたくなるのは自然なことだ。彼は能登七尾に生まれ、後に京都へ移った。海辺の松を思い出して描いたという見方には魅力がある。一方、東京国立博物館の2010年の解説は、能登に加えて天橋立や三保の松原を思わせるという鑑賞も紹介し、確定した地名を示さない。現代の写真に似た木立を見つけても、それだけで当時の視点場や実在した木の位置までは証明できない。作品内に地名を記す書付、明確な目印、特定の浜を描けという注文書が確認されないかぎり、候補地と確定地は別である。 [4] [5]

作品に遠くの山があると読む場合、その頂の白さから季節を問うこともできる。冬に向かう晩秋なのか、雪解けの頃なのか。博物館の解説自身が問いとして掲げている。薄い霧を朝と感じることもできるが、それは制作当日の天気を記録した情報ではない。鑑賞者が寒さや時間を感じる理由を、淡墨、木の重なり、広い明るさに戻して考える方が、曖昧な季節名を断定するより作品に近い。こうした開かれた問いはFAQや簡単な鑑賞モジュールにもできる。ただし「正解は能登の冬の朝」といった未証明の回答を置いてはならない。 [4]

海辺の松を描く伝統的な画題には、中央に水を広げる構図がある。東京国立博物館は、この屏風にそうした水辺がはっきりと描かれない点を挙げ、浜から松林を見る視線を論じる。これは画面から導いた解釈であって、現在の地図に一点を打つ調査結果ではない。水が見えないことを「水は存在しない」と読み替えるのも早い。見えない景色の範囲は絵の外に広がり得る。記事ではこの推論の筋道を示し、描かれていないものを歴史的事実として語らないようにしたい。 [4]

場所を決めないことは、作品を「どこでもよい林」にすることではない。立つ幹の間隔、斜めの松の方向、奥に消える木の密度には、この一双だけの具体的な形がある。特定の浜の記録だと断定せずとも、等伯が紙の上に作った松林を細かく記述できる。むしろ地名を急いで付けると、画面にない要素まで読み込んでしまう。故郷の記憶という美しい仮説を仮説として残し、まず実際に見える松の配置へ戻ることが、読者の自由な鑑賞を狭めない。 [4]

下絵なのか、完成作なのか

《松林図屏風》の支持体は、表現の「粗さ」だけではなく制作目的を考える材料となってきた。東京国立博物館は、通常の屏風では扇を作る紙の継ぎ目が整えられるのに対し、この作品では位置が乱れていると説明する。紙自体も一般的な屏風絵より粗いとし、障壁画などの下絵だったのではないかという説を紹介する。ここまでは観察と仮説の関係である。継ぎ目が不揃いだからといって、どの部屋の何面を準備したのかを示す記録が見つかったことにはならない。 [4]

同じ博物館の説明は、反対側の材料も示す。松に使った墨はつややかで質が高く、全体の構成も考えられている。下絵と即断できない、という判断である。支持体の粗さと墨の上質さは、一つの画面の中で同時に成り立つ。片方だけを取り出せば「未完成の秘密」または「完全に完成した名品」という分かりやすい話が作れてしまうが、どちらも資料より先へ行く。作品の現在の装い、過去の仕立てや修理、最初の用途を一つに重ねないことが重要だ。 [4] [6]

写真にも限界がある。全景は美しく整った一双として画面を見せるため、紙の不規則さは見落としがちである。逆に継ぎ目だけの拡大は、画面全体の計算を見失わせる。注釈画像で材料の話を扱うなら、実際のColBase写真で確認できる位置だけを示し、保存修理の実測図を持たないまま架空の継ぎ目を描き足さない。見る人が下絵説の根拠と留保を自分で理解できるようにすれば、結論を曖昧にしたまま終えることにはならない。問いの立て方が正確になる。 [4]

画面の印も慎重に読む必要がある。東京国立博物館によれば、端にある印は等伯のほかの作品にみられる印と異なり、後世に誰かが捺した可能性が高い。現在の印を等伯の確実な署名として制作年を決めることはできない。同時に、印の由来が疑われることと、博物館が作品を等伯筆として所蔵・研究していることも別の問題である。作品名、作者帰属、印の追加、現在の展示配置は、すべて異なる種類の判断だ。小さな朱印が写真の端に見えるからこそ、この区別を説明する意義がある。 [1] [4]

制作年代と等伯の仕事

ColBaseはA-10471を16世紀とする。東京国立博物館の展示解説は1590年代の制作とみる説を有力とする。この二つは食い違いではなく、記録上の広い年代と研究上のより細かな見立てである。智積院関係の《楓図壁貼付》が1592年頃だからといって、松林も1592年と書き換えることはできない。画風の近さや同時代性を論じる場合にも、各作品に付された日付の根拠を別々に扱う必要がある。 [1] [2] [4]

等伯の初期は「信春」の名で知られる。東京国立博物館の2010年回顧展は、能登での日蓮宗関係の仏画、30代の上洛、京都での肖像画や花鳥画へと仕事の広がりをたどる。1566年の《三十番神図》や1572年の《日堯上人像》のように、年の明確な作品は人生の節目を知る手がかりになる。ただし、今回の屏風の制作年を直接示す作品ではない。京都での活動が増えたことと、A-10471が京都の特定施設にあったことは、別に証明しなければならない。 [4]

1589年には大徳寺の三門や三玄院の障壁画制作が伝わり、《山水図襖》は後に圓徳院に伝えられた。博物館の文章には、許可されないまま一気に襖絵を描いたという印象的な逸話もある。読者の記憶に残る話だが、目撃記録として扱うべきではない。今見られる作品の来歴と、後に語られた画家像を分けておくことで、《松林図屏風》にも安易な「反骨の即興」という物語を重ねずに済む。大胆に見える筆触が、必ず無計画な制作を意味するわけではない。 [4]

1590年には御所の障壁画をめぐって狩野派と等伯の側が競い合ったと博物館は記す。その後、祥雲禅寺の大きな障壁画の仕事が続いた。この職業的な環境は、等伯が小さな孤高の水墨画だけを描いた人ではなかったことを示す。しかし、狩野永徳との個人的な会話や、《松林図屏風》を狩野派への返答として制作した動機は、そこからは出てこない。作品の背景を広げるための史実と、作品固有の注文を示す証拠を区別したい。 [4]

智積院に伝わる《桜図》については、京都国立博物館が等伯の子・長谷川久蔵の作品として説明している。父と子が同じ大きな仕事の周辺に現れるからこそ、作家名をまとめてはいけない。等伯の松林を「久蔵の桜と同じ絵」と扱うこともできない。別の作者、別の支持体、別の来歴を正確に記すことは、華麗な障壁画と抑えた水墨画を比較するときの土台になる。 [7] [4]

水墨画の継承をどう読むか

東京国立博物館は《松林図屏風》の墨の扱いを、中国の禅僧画家・牧谿の表現との関係から説明する。京都国立博物館が紹介する別作品《枯木猿猴図》でも、牧谿との比較が行われる。両館の指摘は等伯の学んだ視覚文化を理解する助けになるが、この屏風が特定の失われた牧谿作品をそのまま写したという証拠ではない。濃淡の幅、形が現れたり消えたりする様子、勢いのある線を、実際の画面で確かめてから影響という言葉を使いたい。 [2] [8]

等伯自身は、後年、雪舟からの系譜を主張する文言を作品に記した。東京国立博物館は「自雪舟五代」の書き方を紹介し、京都国立博物館も等伯を雪舟の後継を主張した後世の画家に数える。雪舟は等伯の出生より前の人物であり、等伯を雪舟の直接の弟子とは呼べない。系譜を掲げる行為は、単に技法を学んだという以上に、権威と注文をめぐる画壇で自分をどう位置づけたかを示す。そうした画家の自己像を知っても、この松の幹を一本一本どう描いたかは、なお作品そのものに戻って考えなければならない。 [4] [9]

海外の美術館にある「長谷川」という名の作品も、すべて等伯の真筆ではない。メトロポリタン美術館の《Autumn Grasses》は長谷川派の画家による作品とされ、《千利休像》は等伯に帰される原本をもとにした、作者未詳の後の絵である。両者は流派や受容を考える比較資料であり、A-10471の同一作品や別隻ではない。検索結果の小さな画像では区別しにくいからこそ、作者表示、制作年代、所蔵番号と媒体を添える必要がある。サイトに画像を増やすことより、その一枚が何を示すのかを明確にすることが重要だ。 [10] [11]

画像で見ること、実物でしか確かめられないこと

ColBaseのA-10471には、右隻と左隻の全景写真に加え、二扇ほどを写す部分写真が複数ある。画像が八ファイルだからといって屏風が八点あるわけではない。このページで使う六点も、二つの全景とそこから作った四つの編集上の拡大であり、対象は一双のままである。拡大写真で葉の筆触を見た後は、必ず全景に戻って余白の長さを見直す。部分を大きくすると、松葉は読めても木々の間隔が失われる。全景を小さくすると、長い構成は読めても筆が読みにくくなる。その行き来を可能にするのがページの役割である。 [1]

記事用の画像は、ColBaseの個別作品ファイルから作る。出典へのリンク、所蔵館、A-10471という収蔵番号を付け、部分拡大と縮小の加工も表示する。e-Museumの作品解説は参考になるが、そちらの高精細画像を無断で制作元にすることはしない。配布先が違えば画像利用の条件も異なるためである。権利情報は本文とは別の事務処理に見えがちだが、どの右隻のどの写真を使ったのかを追跡できる仕組みでもある。後で別の模本や似た松図にすり替わる事故を防ぐ。 [13] [6]

東京国立博物館の過去の展示記録は、作品が特定の時期に公開されたことを示す。2019年の解説や2026年1月の展示欄をもって、今日も常に展示中だと案内してはならない。展覧会へ行く読者には、公開直前に博物館の最新の展示予定を確認してもらう案内が必要だ。ここでは所蔵館と作品情報を確実に示し、「いま見られる」という文言は最新の一次情報を確認したときだけ加える。 [3] [12]

最後にもう一度一双の全景を並べる。右隻の濃い木、画面の端から傾く松、左隻に立つ幹、ほとんど霧に消える遠くの木を確かめると、最初に「何もない」と感じた間隔が違って見えるはずだ。紙の明るさは、木々を隔てると同時に結びつける。年代、場所、初めの用途には未解決の問題が残る。それでも、何が作品の記録で、何が博物館の解釈で、何が自分の目の読みなのかを分けることで、この松林は曖昧なままではなく、むしろ具体的になる。 [1] [4]

よくある質問

東京国立博物館 A-10471 は、右隻と左隻を組にした六曲一双の作品です。この記事の拡大画像はその一双の一部であり、別作品ではありません。 [1]

ColBaseの作品情報は16世紀です。東京国立博物館の解説は1590年代の制作を有力としますが、確定した年号が屏風に記されているわけではありません。 [1] [2]

等伯の故郷・能登を思わせるという見方はありますが、描かれた特定地点は確定していません。天橋立や三保を連想する鑑賞も、東京国立博物館は紹介しています。 [4]

紙の継ぎ目や質から下絵を想定する説があります。しかし墨の質と完成度の高い構成もあり、東京国立博物館は下絵と即断できないと説明しています。用途は研究上の問いです。 [4]

過去の展示案内だけから現在の公開を判断できません。訪問前に同館の最新の展示予定を確認してください。 [3]

読者との対話

一双の全景と細部を行き来し、見える形と制作目的の仮説を分けてみましょう。

鑑賞の手がかり

二隻の余白

右隻と左隻で、淡い木々へ目が進む道筋はどう違いますか。

細部と全景

松葉を拡大すると見え、全景に戻ると初めて分かることは何ですか。

紙と用途

紙の継ぎ目は何を示し、元の設置場所について何は示しませんか。

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参考資料

  1. ColBase、東京国立博物館《松林図屏風》A-10471。作品情報、寸法、材質、画像の出典。
  2. 東京国立博物館「国宝室 松林図屏風」2019年展示解説。年代の見方と水墨表現。過去の展示。
  3. 東京国立博物館、2026年1月の展示記録。現在の公開状況ではない。
  4. 東京国立博物館「没後400年 特別展『長谷川等伯』」2010年。年譜、主要作品、《松林図屏風》の紙・墨・構成に関する詳しい論点。
  5. 京都国立博物館「狩野永徳と長谷川等伯」2015年。七尾から京都への活動の背景。
  6. e-Museum《松林図屏風》作品解説。支持体などの調査本文。画像は制作に使用しない。
  7. 京都国立博物館、智積院障壁画と長谷川久蔵《桜図》。父子の作品帰属。
  8. 京都国立博物館《枯木猿猴図》。別作品と牧谿に関する比較。
  9. 京都国立博物館「雪舟伝説」2024年。後代の継承の主張。
  10. メトロポリタン美術館《Autumn Grasses》。長谷川派の画家による別作品。
  11. メトロポリタン美術館《Portrait of Sen no Rikyū》。等伯に帰される原画に基づく作者未詳作。
  12. 東京国立博物館、2019年の英語展示解説。過去の展示情報。
  13. 国立文化財機構、ColBase画像の利用案内。出典・リンク・加工表示の条件。
  14. ColBase、東京国立博物館《牧馬図屏風》A-56、およびジャパンサーチのColBase由来説明。別の一双、春秋の図柄、除去された印。
  15. ColBase、東京国立博物館《瀟湘八景図屏風》A-12096。別の一双と二扇ずつの写真。