一枚の有名な犬の絵だけではない。掛軸、屏風、杉戸に描かれた応挙の子犬を、所蔵番号と制作年代に沿って見比べます。

「応挙の犬」は一枚の絵ではない
白い子犬が後ろ足で首をかき、茶色い子犬が朝顔の蔓にじゃれる。別の絵では一匹が仰向けに転がり、また別の絵では三匹が金色にきらめく暗い地に並ぶ。「円山応挙の犬」と呼びたくなる絵は数多いが、一枚の代表作だけを見て、ほかも同じ作品の複製と思ってはならない。東京国立博物館の《朝顔狗子図杉戸》は二枚の杉戸であり、ミネアポリス美術館には1779年の掛軸と1781年の二曲の屏風が別々に所蔵される。東京富士美術館の《狗子之図》は1790年頃の掛軸である。材質、寸法、展示される空間を確かめると、応挙が子犬という題材をどう変化させたかが見えてくる。 [1] [3] [4] [6]
よく知られた1784年の杉戸を中心に、四つの作品を年代順に眺めたい。1779年の絹の掛軸では二匹が淡い余白の中で身を寄せ、1781年の屏風では三匹が横長の画面を使う。杉戸では五匹の動きが朝顔でゆるやかにつながる。1790年頃の紙の掛軸では、三匹の視線が画面の外へ向く。さらに府中市美術館には1767年の落款がある《時雨狗子図》、敦賀市立博物館には雪の足跡が印象的な1778年の《狗子図》がある。1784年の杉戸は名高くても、子犬主題の出発点ではない。ここで紹介する年代は現存する各作品の記録に基づき、応挙が最初に犬を描いた年を確定するものではない。 [7] [8] [1]
ひと目でわかる応挙の子犬
- 画家円山応挙
- 年代1767年から1790年頃
- 主な形式掛軸、屏風、杉戸
- 中心作品東京国立博物館 A-12124
目次
1767年の《時雨狗子図》から始める
府中市美術館の《時雨狗子図》は絹本着色の一幅で、縦99.3、横34.8センチメートル。館の記録には「明和丁亥夏日」と記された落款・印章が載り、制作年を1767年とする。現在この記事に掲載できる画像の利用条件は確認できていないので、作品情報へのリンクで紹介する。この一幅が重要なのは、子犬を描く応挙の仕事が、後の明眼院の杉戸に先立つと証明するからだ。しかし「最古の子犬画」と断定する材料にはならない。失われた作品や未確認の下絵があった可能性を、今の所蔵目録だけで消すことはできない。 [7]
敦賀市立博物館の《狗子図》は1778年の一幅である。館は雪の中で遊ぶ子犬を説明し、積雪に残った小さな足跡に注意を促す。犬の姿だけでなく、通り過ぎた場所の痕跡が動きを語る。絹本淡彩で縦45.2、横64.4センチメートル、作品IDは33。この絵は後年の展覧会目録に同じ1778年として現れる《雪柳狗子図》と題名が似ていても、ただちに同一作品とはできない。所蔵先と個別記録を照合してから比較するべきである。検索結果に「狗子図」が複数並ぶときほど、題名だけで画像を拾わないことが大切になる。 [8] [14]
こうした初期の記録は、応挙の子犬画を一つの逸話から説明しようとする見方を揺さぶる。子犬は寺の杉戸に突然現れたのではない。雨や雪を伴う掛軸の題材となり、後には小さな屏風にも、建物の引き戸にも描かれた。画家が同じ姿を何度も繰り返したと片づけず、絵を置く場所と見る距離が変わるたびに何が変化したかを問いたい。作品の目録は一部しか伝えていないが、少なくとも年代を持つ複数の現物から、応挙が長くこの主題に取り組んだことは分かる。 [7] [8] [6]
絹の掛軸で転がる二匹
ミネアポリス美術館の《Gamboling Puppies》は1779年制作と記録される一幅で、所蔵番号74.1.136。絹に墨と淡い色で描かれた画面は約39.4×52.7センチメートルである。一匹は仰向けに近い姿で前足を上げ、もう一匹は淡い身体を丸めて近づく。互いがどこまで重なるかを見ていると、単に「かわいい犬を二匹描いた」以上の工夫が分かる。明るい犬の輪郭は背景の絹に溶け込むように見え、濃い色の犬は顔や毛並みが墨でくっきりしている。大きな余白が、ふたりの小さな遊びを画面の出来事にする。 [3]

館の解説は、応挙が自然の観察を重視したことに加え、この一幅では大づかみな筆遣いを保ちながら短縮法によって身体に量感を与えたと述べる。絵具を細かく置いた箇所だけを「写実」と呼ぶなら、この絵の魅力を見落とす。胴が曲がる方向、持ち上げた足の角度、手前の白い体の隠れ方が、犬同士の位置関係をつくる。周囲に特定の部屋や野原は描かれていないので、背景の余白を実在の景色と決めることはできない。広い地の中で二匹の重さが感じられることこそ、絵としての成果である。 [3]
この掛軸は有名な杉戸より五年前の作品である。似た丸い体や視線が後の絵に現れても、1779年の一匹を1784年の杉戸へそのまま写したと証明する資料はない。二作品を比べる意義は「原画と複製」を探すことではなく、親しみやすい動作が小さな絹画面と大きな木の引き戸でどう働くかを見ることにある。掛軸は開いて鑑賞する一幅であり、杉戸は建物の中で人の動線に接する。題材が同じでも出会い方は異なる。 [3] [1]
1781年、横に広がる屏風
同じミネアポリス美術館にある《Puppies》は、1779年の掛軸とは別の作品である。所蔵番号2015.79.158、制作年1781年、紙本墨画着色の二曲の風炉先屏風として記録される。各扇の画面は縦24.45、横63.18センチメートル。二扇を合わせた画面が細長い横方向を生む。暗い地に散る細かな金色のような斑点の前で、茶色と白の三匹が連なる。左にうずくまる犬、中央で顔を見せる犬、その前を横切る白い犬。白い背から尾へ続く線が、二枚に分かれた画面を目で渡る道になる。 [4]

二つのミネアポリス作品を並べると、画面の形が内容を左右することがよく分かる。1779年の掛軸では広い余白の下に二匹の転がる姿がまとまる。1781年の屏風では低く横長の帯を三匹が順番に埋め、体の連なりが広がる。どちらがより「本物らしい」かを競わせるより、身体の見せ方を比べたい。屏風の暗い背景を実際の夜空と呼ぶ根拠はなく、光る斑点も具体的な天候を記したものとは限らない。飾られた地が白や茶の毛色を鮮明にし、犬のまとまりを強調していると読む方が、画面から確かめられる。 [3] [4]
米国スミソニアンの「Investigating Japan's Edo Avant Garde」は、この1781年の屏風を「写生」を考える作品として扱う。描かれた対象の外見に迫ることと、見る人に生き生きした内面を感じさせることを結び付けている。三匹が本当に何を考えていたかは誰にも分からない。だが、目線と接触、異なる毛色、少しずつ違う体勢を描くことで、見る人は犬同士の関係を想像できる。観察と解釈を分けて語るなら、写真のように正確かどうかだけでこの屏風を評価する必要はない。 [5]
東博《朝顔狗子図杉戸》の二枚
1784年の《朝顔狗子図杉戸》は東京国立博物館がA-12124として所蔵する二枚の杉戸で、それぞれ縦168.3、横81.4センチメートル。尾張国の明眼院書院にあり、廊下を仕切る引き戸だった。現在、建物は東博の庭園へ移され、「応挙館」と呼ばれる。子犬だけを画面いっぱいに示す複製写真を見慣れていると、全景の高さに驚く。二枚とも犬は下の方に小さく配置され、上には木目が走る広い杉の地が残る。紙に描いた下絵を単に飾ったのではなく、建物で使う板戸に色を置いた作品である。 [1] [2]




一枚には三匹、もう一枚には二匹いる。白い子犬が後ろ足で首をかき、茶色い子犬が朝顔の蔓に口を伸ばす。寄り添う三匹には、仲間の背に乗りかかるような動きも見える。東博の山下善也による解説は、毛を描く細い筆線、丁寧な目鼻に対して、耳には簡略なS字の線を用いると指摘する。全面を一様な細密画にせず、見るところを緻密に、別のところを軽くする。群青の花、緑の葉、茶の杉板が強く対比するため、犬の白や茶もいっそう目立つ。花と丸い体が反復し、蔓は二枚の動きをゆるやかにつなぐ。 [2]
杉戸の子犬と朝顔を細部から見る
番号を押すと、300dpiの作業原本から切り抜いたColBase画像の細部が開きます。下にも説明を示します。
注釈画像の細部
上半分を描き残したことにも意味がある。山下は、廊下を歩く人には犬が足元にいるように見え、子どもには目に近い高さだったのではないかと考える。建物の構造と絵の位置を結ぶ魅力的な読みだが、応挙自身がその意図を書き残したわけではない。明眼院で眼病の治療を受けた礼に障壁画を描いたという話も寺に伝わる由来であり、確実な契約記録として扱えない。史料で言えること、学芸員の提案、伝承を分ければ、絵の面白さはかえって具体的になる。 [2] [18]
全景と画面写真では、作品の印象が大きく違う。画面だけなら細い毛、目の向き、足裏まで近くで見られる。全景なら朝顔と犬が杉板の下方に集まること、上の余白に引き戸の金具と木目が残ることが分かる。画面写真の三匹と二匹は、別作品ではなく各杉戸の部分である。出典を示す際にはColBaseのA-12124と画像ファイルをそれぞれ記録し、e国宝の別画像から無断で置き換えない。写真を適切に切り替えること自体が、この絵を「犬のかわいい画像」から実際に使われた建築の一部へ戻す方法になる。 [1]
明眼院の書院から応挙館へ
杉戸は、ほかの障壁画とともに明眼院の書院空間をつくっていた。東博が2007年に公表した応挙館の複製事業資料によれば、書院は1742年に建てられ、一之間には松・梅・竹、二之間には芦雁などの画題が配された。応挙だけでなく弟子の山本守礼が描いた面もある。子犬の杉戸を一対だけ取り出して鑑賞してもよいが、もとは部屋を分ける板として人の通行とともにあったことを忘れたくない。可動する戸に描かれた五匹と、静かに開いて見る掛軸の二匹では、鑑賞者と絵の関係がそもそも異なる。 [18] [3]
明眼院の建物は明治期に益田孝の邸宅へ移され、1933年に東京国立博物館へ寄贈された。現在、庭園の応挙館は建物の歴史を伝えるが、文化財保護のため可動する原画は収蔵庫に移され、必要に応じて展示室で公開される。東博の2007年資料は41面の複製制作を説明する一方、杉戸はその段階の対象から除いたと明記している。したがって「応挙館には絵の複製がある」という一般的な説明から、「子犬の杉戸の複製もそこで見られる」と推測してはならない。原画、建物、別の面の複製を正しく区別する必要がある。 [18]
この保存の経緯は、作品の魅力を弱める話ではない。かつて書院の一部として使われた絵を、これからも見るためには物そのものを休ませる時間が要る。画像なら、板戸の全体と毛の細部を行き来できるが、木の厚みや廊下を通る身体感覚は画面だけで再現できない。反対に、庭園の建物に入っただけでは原画の細い筆を必ず見られるとは限らない。東博の資料をもとにそれぞれの経験の範囲を示すことが、実物を見たい読者にも役立つ。 [18] [1]
1790年頃の《狗子之図》
東京富士美術館の《狗子之図》は、1790年頃の紙本墨画着色の掛軸で、縦106.5、横41.5センチメートル。同館は三匹のうち二匹が画面左へ目を向ける様子を紹介し、1784年の《朝顔狗子図杉戸》以降に人気を得た犬図の展開と位置付ける。蔓にじゃれる動作を描いた杉戸と比べ、ここでは画面外の何かへ向かう視線が三匹の関係を生む。目に見えない対象を読者が想像できるが、それが餌か人か別の犬かを絵から決めることはできない。狭い縦長画面に収まった子犬たちの小さな反応を、そのまま味わいたい。 [6]

白や茶の子犬が何度も登場するため、同じ飼い犬をモデルにしたと考えたくなる。山下は、身近な犬を描いたのではないかという研究者の想像に触れるが、応挙が特定の犬を飼っていた証拠を示していない。東京富士の作品にも犬の名前は記されない。毛色や表情の再現を見て「実際にこんな犬がいたかもしれない」と感じることと、所有者や犬種を歴史の事実として書くことは異なる。画家が目にした可能性を残したまま、絵がどのように三匹の注意を集めたかに目を戻そう。 [2] [6]
写生だけでは説明しきれない
京都国立博物館は、動植物を見て描く行為そのものは応挙以前からあったが、観察を完成した絵の大きな特徴にした点に応挙の新しさを見ている。絵を比べれば、足の角度や毛の質感に注意深い観察を感じる一方、どの場所を描き残すかという判断も見える。ミネアポリスの掛軸は広い余白、屏風は横長の暗い地、杉戸は上方の広い木地、東京富士の掛軸は縦長の紙面を使う。同じ犬の身体を写すだけでは、こうした異なる構図にはならない。写生を「対象を何も変えずにコピーすること」と理解すれば、応挙の作画をかえって狭くしてしまう。 [9] [3] [4]
東京富士美術館は、応挙が1771年頃の《写生図巻》で小動物を異なる角度から観察したと説明する。京都国立博物館にも応挙と呉春に関わる《写生図巻》が伝わる。ただし、現在挙げた図巻の一場面が、杉戸の何番目の犬の直接の下絵だと示す記録は見つかっていない。写生図を見ることは画家の方法を知る助けになるが、一枚ずつ因果を結ぶには別の証拠が要る。渡辺始興と応挙の写生図の関係についても、加藤弘子の研究概要は旧来の直接模写説を再検討している。写生は観察だけで完結せず、学習、注文、工房、継承の中に置かれる。 [6] [10] [17]
幼い犬に主役を与えた点にも注目したい。MIHO MUSEUMの作品解説と東博の山下による文章は、応挙以前に子犬だけを主題とする絵が一般的ではなかったことを述べる。しかし「日本で最初に犬を描いた」と言い切ることはできない。応挙の作品では子犬が人物や狩猟を飾る脇役ではなく、足を動かし、互いに寄り添う行為そのもので画面を成り立たせる。朝顔は子犬の小ささを知らせ、雪の足跡は動いた後を残す。誰もが見たことのある短い身振りに、絵の中心を移したのである。 [19] [2] [8]
一方で、かわいいからこそ作者を混同しやすい。大乗寺は1789年の応挙筆《柳下狗子図》を記録するが、画像の権利は別に確認する必要がある。皇居三の丸尚蔵館の《朝顔狗子図》は1792年の山口素絢筆で、応挙の弟子が近い題材を扱った例である。これは東博の応挙筆《朝顔狗子図杉戸》とは作者も所蔵先も異なる。イギリスの大英博物館には、丸い子犬の姿を応挙画になぞらえる解説を持つ明治期の根付があるが、懐玉齋正次による彫刻であって応挙の絵ではない。系譜や後世の反響を示す作品は、個別の名前を守ることで初めて比較に役立つ。 [11] [12] [13]
どこで見られるのか
所蔵館が分かることと、その日に展示されていることは違う。2026年9月25日に確認した東京国立博物館のA-12124作品ページは、展示予定を未定としている。ミネアポリス美術館の1779年掛軸と1781年屏風の個別データも「Not on View」と表示する。東京富士美術館のページに過去の貸出・出品歴はあるが、古い会期から今日の展示を判断できない。訪問前には個別の作品ページと最新の展示案内を確かめたい。東博の庭園に応挙館があっても、かつて廊下に使われた子犬の原画がその場に設置されているとは限らない。 [1] [3] [4] [18]
府中、敦賀、大乗寺にも個別の作品記録があり、三井記念美術館の2025年展覧会一覧には別の雪や柳の子犬画が載る。ただし三井の展示は終了し、目録の凡例では所蔵表記のない作品を個人蔵とする。かつて展示されたことを、常設で見られるという案内に変えてはいけない。むしろ美術館・寺院・個人蔵に分かれて作品が残ることが、子犬の主題の広がりを知らせる。所蔵の記録、過去の展示、これからの公開予定を分けて示せば、読者は画像で作品を知りつつ、実物を見る機会を正しく探せる。 [7] [8] [11] [14]
四作品をもう一度比べる
1779年の絹の掛軸では二匹の身体が淡い地の中で触れ、1781年の屏風では三匹が横に連なる。1784年の杉戸では五匹と朝顔が建築の下方に置かれ、1790年頃の紙の掛軸では三匹の視線が画面の外へ集まる。数だけでなく、姿をどのくらい近くから見るか、絵をどの高さで見るかが異なる。どれも「応挙の犬」だが、ひとつを別作品の拡大図、版違い、あるいは複製と取り違えるべきではない。絹、紙、杉という材質は、描かれた動きを見せる仕方の一部である。 [3] [4] [1] [6]
最後に杉戸の拡大写真から全景に戻ると、ふわふわした毛や小さな顔が、広い杉板の低い位置で互いを見つけ合うように配置されていることが分かる。掛軸では広い余白、屏風では細長い地が同じ役割を別の形で担う。身近な動物のしぐさを拾う眼と、それを絵として組み立てる手。応挙の子犬画が長く親しまれてきた理由は、その両方が働いているところにあるのだろう。歴史資料から断定できない犬の名前や画家の私生活を補わなくても、四つの実物を比べるだけで見ることは十分に深くなる。 [2] [5]
よくある質問
いいえ。所蔵館の記録には、異なる年代の掛軸、1781年の二曲屏風、1784年の二枚の杉戸などがある。「犬」の絵を一枚の拡大・複製としてまとめず、所蔵番号と材質で区別してください。 [3] [4] [1]
分かっていない。同じような白と茶の子犬が繰り返し現れるため、身近な犬がモデルだったのではないかという想像はある。しかし、個々の犬の名や飼い主を特定する記録は示されていない。 [2]
東京国立博物館は原画をA-12124として所蔵するが、2026年9月25日の作品ページでは展示予定は未定だった。2007年の館の資料も、保存のため原画を収蔵庫に保管すると説明する。応挙館の建物を訪ねることと、杉戸の原画を見ることは別である。 [1] [18]
読者との対話
掛軸、屏風、杉戸を比べて、子犬の動きと画面の余白について考えてみてください。
鑑賞の手がかり
杉戸の低い位置を見て、建物の中での見え方を考えてください。
前足や顔の細部と、犬たちの配置を比べてください。
同じ題名の掛軸と屏風を、どの細部で見分けますか。
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参考資料
- ColBase・東京国立博物館《朝顔狗子図杉戸》 A-12124。作品記録、個別画像。東京国立博物館の展示情報も参照。
- 山下善也「応挙の子犬に胸キュン!」東京国立博物館1089ブログ、2015年7月16日。画面の読みと伝承の区別。
- ミネアポリス美術館《Gamboling Puppies》、74.1.136、1779年。館の作品データ。
- ミネアポリス美術館《Puppies》、2015.79.158、1781年。館の作品データ。
- スミソニアン国立アジア美術館「Investigating Japan's Edo Avant Garde」《Puppies》。1781年の屏風と写生。
- 東京富士美術館《狗子之図》、1790年頃。作品解説と当該画像のCC0表記。
- 府中市美術館《時雨狗子図》、作品目録番号1151、1767年。
- 敦賀市立博物館《狗子図》、資料ID33、1778年。
- 京都国立博物館「応挙と写生画」。
- 京都国立博物館《写生図巻》、A甲551。個々の子犬画の直接の下絵とするものではない。
- 大乗寺《柳下狗子図》、1789年。画像の掲載権利は未確認。
- 皇居三の丸尚蔵館・山口素絢筆《朝顔狗子図》、1792年。応挙作ではない。
- 大英博物館、懐玉齋正次作の子犬根付、HG.561。後世の比較資料。
- 三井記念美術館、2025年円山応挙展出品目録。展覧会は終了、所蔵先の凡例に注意。
- 中央公論美術出版、佐々木丞平・佐々木正子『円山応挙研究』、1996年。書誌を確認した参照候補、本文未読。
- 根津美術館「円山応挙―『写生』を超えて―」、2016年。図録の書誌、本文未読。
- 加藤弘子「近世の『写生』における視覚と図像の更新・共有・継承に関する研究」、科研費研究概要。
- 東京国立博物館「応挙館障壁画 複製制作」、2007年2月、5頁。建物の経緯、原画の保存、杉戸を当該複製対象から外した記録。
- MIHO MUSEUM《仔犬図》。作品解説。画像の掲載権利は未確認。







