絵暦、錦絵、見立て、和歌を、実際に残る一枚と版の違いから見ていきます。

鈴木春信の浮世絵をどう見るか
鈴木春信(すずき・はるのぶ、1724年または1725年頃–1770年)の錦絵には、ひと目で分かる動作と、調べるほど増えていく意味とが同居する。娘が着物を整え、風の中を歩き、花を見つめる。その場面だけでも楽しめるが、画題に古い詩や物語が隠れ、版の違いによって暦の数字が見えたり消えたりもする。春信を多色摺りの「発明者」と一語で片づける前に、実際の一枚が何を見せ、どのように作られたかを確かめたい。東京国立博物館は、紅摺絵から明和期の錦絵へ進んだ作品を示し、大英博物館は1765–66年の絵暦交換会との関係を記録している。 [1] [2] [3]
クリーブランド美術館の《A Girl Dressing in Pink》は1766年の縦28、横21センチほどの一枚である。英語の館蔵題から「着付けの最中」と決めつけるべきではない。所蔵画像では、桃色の着物を着た女性の片手が下がった簾を上げ、もう一方の手が垣根の花へ向かう。簾の縦線、着物の色、広い地面が小さな動きを支える。錦絵の革新を語る前に、確かに見える手と境目と花を見たい。 [4]
簾と花を見る
番号を押すと、高解像度の館蔵画像から作った細部を拡大できます。全図の位置を確かめてから、下の説明と比べてください。
注釈画像の細部
春信の名は「錦絵の祖」と結び付けられやすい。しかし多色摺りの一枚には、下絵を考える人だけでなく、版木を彫る人、色を置いて摺る人、制作を依頼する人や販売する人が関わる。太田記念美術館は1765年頃に錦絵の技法が成立したことを説明する。メトロポリタン美術館の1765年の絵暦には、春信の名と彫師の関根佳英の名、注文主の印が同じ作品に残る。革新の中心に春信がいたことと、完成した版画が共同の仕事だったことは両立する。 [2] [5]
ひと目でわかる春信
- 生没年1724/25年頃–1770年
- 主な活動1760年代の浮世絵版画
- 主な形式紅摺絵、絵暦、錦絵
- 見る手掛かり初摺と後摺り、見立て、和歌
目次
紅摺絵から錦絵へ
春信が描いた初期の版画には、紅摺絵がある。限られた色数を重ねて摺る技法で、後の錦絵の色数を前提に「まだ足りない絵」と見るべきではない。メトロポリタン美術館の《清水寺》は、細長い細判の紅摺絵で、1765年頃とされる。題名や詞書は小野小町にまつわる古い主題とつながる。同館は、いま見える黄色が退色後に加えられた可能性も記している。現存する紙の色を、そのまま初摺時の色と同一視できないことを示す具体例である。 [1] [6]
《風流やつし七小町》という系列名が示すように、過去の歌人を当世風の人々に読み替える発想も早くから重要だった。古い小町の物語を知らなくても人物の身振りは見られる。しかし題と歌を読むと、絵に別の時代が入り込む。「やつし」を単純に昔の衣装を現代服に取り替えるだけの手順と考えると、その往復する面白さを見落とす。春信の画面では、題名、和歌、人物の姿が互いに補い合う。 [1] [6]
後の《摂津国名所・擣衣の玉川》には、室内の壁に小さな紅摺絵が二枚描き込まれている。新しい多色摺りの画面の中に、先行する色摺りの版画を入れる仕掛けである。布を打つ二人、灯火、窓の向こうの柿の木が秋の気配を生み、題名の「玉川」は和歌の名所を呼び込む。館の解説によれば、画中の歌は相模の作と書かれるが、実際には源俊頼の作である。版画に文字があるからといって、その典拠が必ず正しいとは限らない。色の技法と文学上の読みを、同じ一枚で検討できる。 [7]
着物に隠れた1765年の暦
絵暦は、年号を書いた風俗画ではない。1765年の《丑の刻参り》では、大の月と小の月を表す数字が女の着物の模様に紛れている。メトロポリタン美術館は、色ではなく空摺りによる浮き出しのため判読しにくいと説明する。鑑賞者は人物に目を留め、次に模様を探り、絵の表面から暦の仕組みを解く。細部に気づいた瞬間、着物は衣装であると同時に情報を隠す場所になる。これは月名を欄外に並べた実用暦とは違う楽しみ方である。 [5]
題材の丑の刻参りは、深夜に呪いを行うという俗信と結び付く。女性は釘と槌を持つが、美術館は通常の姿にあるはずの藁人形や蝋燭を戴いた鉄輪が見えないことにも注意を促す。恐怖を直接描くより、静かな女性の姿を曖昧に残している。加えて印と署名から注文主、画家、彫師の関わりも読める。儀礼の物語、暦の暗号、制作に携わる人の痕跡が一枚に重なった例である。 [5]
ただし、同じ図柄ならどの所蔵品にも暦の数字が残るわけではない。大英博物館の《丑の刻参り》1925,0406,0.12は、1765年の絵暦の後摺りと明記される。同館は初摺に月の数字があったと説明している。メトロポリタン美術館の所蔵品と大英博物館の一枚を、どちらも「1765年の暦そのもの」として画像上の同じ場所を指し示すことはできない。暦の説明には、どの版の、どの一枚を見ているかが欠かせない。 [5] [8]
私家版から売り物へ――《座鋪八景》
絵暦の交換会と関わった注文主の存在を、別の形で教えてくれるのが《座鋪八景》である。千葉市美術館の《台子夜雨》は1766–67年頃の一枚。初摺には「巨川」の名と印章があり、巨川は1600石の旗本・大久保甚四郎忠舒だったと同館は記す。彼は絵暦交換会の流行に関わった人物だが、《座鋪八景》そのものは絵暦ではない。知人に配る私的な摺物として春信に依頼したシリーズだった。人脈が共通でも、作品の機能まで同じにしてはいけない。 [9]
美術館が所蔵するのは後の二度目の摺りである。館の解説によると、版元は初摺の注文主の名や印を取り去って売り物にした。その過程を知ると、一枚の版画を「春信の作」と呼ぶだけでは、最初に誰が何のために頼み、次に誰が買えるようになったかが見えなくなる。初摺の私的な贈答と後摺りの商業出版は、図柄を共有していても受け手が違う。これを錦絵成立後の市場の動きとして見ることができる。ただし現存する全八図が同じ経路をたどったかは、一枚の記録から決められない。 [9]
「夜雨」という題名を、庭の雨景色として探すと戸惑うだろう。江戸以前から絵に描かれた瀟湘八景の一題を、大坂の鯛屋貞柳が1735年の狂歌で座敷の出来事に移した。台子の茶釜がたてる湯の音を雨音に聞き立てるのである。うたた寝する母にいたずらをしかける子どもと、それを見守る年長の娘も描かれる。古典の風景を家庭内に移した見立ては、題名だけでは伝わりにくい。画面を見る順番を変えると、雨を描かない「夜雨」の巧みさが分かる。 [9]
ここでクリーブランド美術館の《風の中、柳のそばを走る女》と比べたい。1766年か1767年とされるこの版画では、枝と身体の動きが風を直接感じさせる。茶釜の音を「雨」と読む《台子夜雨》とは、自然現象を扱う方法が異なる。春信の絵をすべて謎解きにする必要はない。見た瞬間に感じる動きと、題を読んでから分かる見立ての両方が、同じ頃の作品にある。 [10] [9]

見立絵は古い話をどう変えるか
「見立」とは、目の前の人物や出来事を別のものになぞらえて読む働きである。千葉市美術館の《見立孟宗》では、中国の孝子・孟宗を振袖姿の若い娘に置き換えた。孟宗は病む母のため冬の筍を求めて祈り、竹林に筍が生えたという話で知られる。春信の娘は雪の中を裸足で筍を掘る。古い説話と当世の衣装が一枚に重なり、どちらか一方だけでは絵の仕掛けを説明できない。 [11]
この《見立孟宗》にも版の違いがある。千葉市美術館によると初摺は1765年の絵暦で、竹の葉に大の月が示されていた。館蔵の後摺りでは、その暦の数字が削られている。後摺りを見れば見立ては分かるが、そこで初摺の暦の数字を直接読み取ることはできない。《丑の刻参り》に似た問題が、別の画題でも起きている。春信の絵暦を論じるときには、図柄の同一性と、暦として機能する印刷状態を分ける。 [11] [8]
クリーブランド美術館の《見立文殊菩薩》は、仏教の智慧を象徴する文殊を当世風の若者に見立てる作品である。日本語の館蔵題には明確に「見立」とある。画面の若者を単に文殊その人の肖像と説明すると、なぞらえる働きが消えてしまう。一方で、見える道具すべてを仏教の象徴と決めつけるのも早い。まず作品全体と館蔵題を示し、何を知った上でどこに新しさが生まれるかを考えたい。 [12]

同館の《五常の内 義》は、儒教の徳目のうち「義」を題にした1767年の版画である。ここでも題名は鑑賞の入口だが、《見立文殊菩薩》と同じ種類の主題ではない。文殊の名は宗教上の存在へのなぞらえであり、「義」は徳目を掲げた連作の一枚である。二枚を並べると、春信が古典的な知識を人物像へ結び付ける方法の幅が分かる。一枚を見たからといって、五常の全点を見たことにはならないことも、連作を紹介する際の基本である。 [13] [12]

名所と和歌――玉川を描く
春信は古典の人物だけでなく、地名に重なる記憶も描いた。《井手の玉川》では女性と二人の供が水を渡る。メトロポリタン美術館はおそらく1766年とし、詞書に藤原俊成の歌があると説明する。山城国の井手の名は、和歌の読者に花や水辺の情景を呼び起こす。当世風の人物が川に入る姿は直接見られるが、題名と歌を知ると画面に過去の旅や文学が重なる。特定の一行から「春信自身が現地を歩いた」と結論することはできない。 [14]
玉川の諸名所は、単なる地図上の地点ではない。メトロポリタン美術館は、名所の名が季節や先行する歌を少ない言葉で呼び出す役割を説明する。《擣衣の玉川》で布を打つ人々が室内にいても、「玉川」の語が画面を別の場所や詩の記憶へ開く。壁の紅摺絵、窓の柿、打つ布、詞書を行き来すると、ひとつの場面に複数の時間があると気づく。屋外の川を見せなければ名所絵ではない、と考える必要はない。 [7] [14]
江戸の名所を扱う《真乳山の暮雪》では、題に「江戸八景」の型を使い、詩は雪を花に見立てる。館蔵解説は、右側の橋が山谷堀にかかることを示す。画面の雪を景色として見るだけでなく、言葉によって木々が花のように見える変化を味わいたい。玉川の歌もこの雪の歌も、人物や場所を説明する小さなラベル以上の役割を持つ。なお、現在ある街路や橋の写真を挿入する場合には、撮影年代を明示し、春信の描いた十八世紀の景色そのものと取り違えないようにする。 [15]
色だけではない、紙と摺りの表情
《鉢の撫子を見る若い女》は1767年頃の作品で、クリーブランド美術館は技法に空摺りを記す。花に向かう視線とともに、紙に凹凸をつける工程を知ると、錦絵の見方が広がる。ただし画面を正面から均一な光で撮影すると、実物にある微細な凹凸は見えにくい。高解像度画像のどこに効果が確認できるかを見ずに、写真上の薄い線をすべて空摺りと断定すべきではない。色数だけでは測れない手仕事がある、と作品の材質欄から確かめられる。 [16]

《雪兎を見る若い女》にも館の材質記録に空摺りが含まれる。雪兎だけを大きく切り出せば可愛い小物の絵になるが、画面全体では、見る女と見られる兎の関係が中心になる。淡い部分がどのように働くかは全図で確かめ、必要なときだけ細部に近づく。春信の小さな画面は、色と余白、人物と小道具の距離を調整している。目立つ箇所だけを抜き出すより、その関係を失わない見せ方がふさわしい。 [17]

大英博物館の《虫を探す恋人たち》は1767–68年頃の作品で、夜空を深い黒にするため何度も摺ったと館の解説は記す。一方が灯りを持ち、もう一方が萩の周りを探す。夜の雰囲気は単に暗い色を選んでできたのではなく、摺りを重ねる工程と小さな明るい場所の対比から生まれる。画像だけでは摺った回数は分からないが、館の技法説明と合わせれば見え方の理由を考えられる。この作品の写真は画像台帳にまだないため、ここでは資料として挙げる。 [18]
形にも違いがある。紅摺絵の《清水寺》は細長い細判、クリーブランドの《桃色の着物を着る娘》はそれより幅のある中判に近い。メトロポリタン美術館には、柱に貼るような縦長の柱絵《雪中の傘の美人》もある。同じ作者の「美人」を正方形のサムネイルに切りそろえると、縦の長さがもたらす静けさや、手に取る中判の親密さが失われる。版画の判型は中身を入れる単なる容器ではなく、構図の条件でもある。 [6] [4] [19]
美人画の中にも違う人々がいる
大英博物館は春信を1760年代の美人画の中心的な絵師とする。それでも、簾を上げる女性、鉢植えを見る女性、名前のある遊女を一種類の「美人」でまとめると、それぞれの画題が消える。クリーブランド美術館の《山城屋初糸 萩》には、初糸という名、山城屋という所属、萩になぞらえる連作の題がある。名と花の対応が先に分かれば、人物像の読みは抽象的な理想美より具体的になる。ただし、現代の写真のような肖像的な似姿が保証されるわけではない。館が確認できる名と題を手掛かりにする。 [3] [20]

同館の《屋門恋》は1760年代後半、《本を見て書く遊女》は1770年とされる。前者の英語館蔵題はLove at the Brothel Gate、後者はThe Courtesan Writing from a Bookである。ここでは画面の門や書物を見てから、美術館が示す社会的な場を確かめたい。華やかな着物だけで遊女と決めるのではなく、個別の作品記録に従う。春信が女性を描いた事実と、描かれた女性の立場が皆同じだったという主張は別である。 [21] [22]


視線の関係を考えるなら、すでに使用可能なメトロポリタン美術館《The Watchers and the Watched》も候補になる。館の年代幅は1764–72年と広く、この一枚を「1767年の画風」といった狭い時期の証拠にしてはいけない。見る人と見られる人が画面の中でどう配置されるかという点で、雪兎を見る女性や花を見る女性との比較には意味がある。ただし図版を増やすだけではページが充実するわけではない。別の見方が得られる場所にだけ置きたい。 [23] [17]
同じ図柄でも同じ一枚ではない
春信の版画を扱う際、図柄、初摺、後摺り、後世の模倣を分ける必要がある。《丑の刻参り》と《見立孟宗》では、初めは暦の数字を隠したのに、後の摺りでそれがなくなった。《台子夜雨》では注文主の名や印のある私家版をもとに、出版者が販売用の版を作った。これらの事実は「後のものは価値がない」という意味ではない。何を知らせ、誰に届いたかが変わったことを示す。各館が所蔵するのは抽象的な原図ではなく、実際に残った特定の紙である。 [8] [9] [11]
時代を隔てた「春信風」の版画にも注意したい。クリーブランド美術館の《柳の下の鷺娘》は明治期の作で、作者表示に「春信に基づく」とある。同館の《竹林を過ぎる》も、春信の名が検索結果に出ても作品の年代欄は明治期である。春信の後世への影響を考える資料にはなり得るが、1760年代の本人の版画として並べることはできない。作家名だけでなく、所蔵番号、年代、帰属の但し書きを一緒に読む。 [24] [25]
千葉市美術館は春信の図柄数を約千と見積もる。これは残る紙の枚数でも、検索で見つかる所蔵品の件数でもない。ひとつの図柄に複数の摺りがあり、館ごとに保存状態も違う。大きな数字は春信の仕事量を考える入口になるが、どの図柄が初摺で、どの一枚が後摺りかという問いを消してはならない。小さな絵を一枚ずつ特定することが、画業全体を正確に見る手順につながる。 [26]
春信の一枚と向き合う
まず全図で余白と人物の位置を見る。次に館蔵の題名、原題、所蔵番号、寸法を読み、人物名なのか、連作名なのか、名所の名なのかを確かめる。花や雪兎は目に見える。文殊や孟宗、玉川の歌は題や詞書から近づける。絵暦なら、模様の数字がその所蔵品に実際に残っているかをさらに問う。一枚の版画が持つ入口は複数あり、どれか一つを選んで残りを捨てる必要はない。 [11] [12] [14]
春信の強みは、古典を知る人だけが楽しめる暗号を作ったことではない。柳に吹く風は見て分かり、絵暦の月は探して分かる。室内の茶釜は詩を知ってから雨に聞こえる。それぞれ違う速度で画面が開く。紙の凹凸や摺りの重なり、版の違いまで目を向けると、同じ図柄でも別の発見がある。画家の名声を先に覚えるより、所蔵品の具体的な一枚から読み始める方が、春信の多様さに近づける。 [9] [10] [16]
よくある質問
1760年代に活躍した江戸時代の版画の絵師で、絵暦の制作と多色摺りの錦絵の成立に大きく関わりました。美人画だけでなく、古典の見立て、和歌、名所、日常の場面を幅広く扱いました。生年は館により1724年または1725年と異なり、1770年に没しています。 [1] [3]
春信の役割は中心的でしたが、注文主、彫師、摺師、版元らの仕事がなければ一枚の版画は完成しません。1765年の《丑の刻参り》にも彫師・関根佳英の名と注文主の印が残ります。それ以前の紅摺絵も複数の色を使っていました。 [2] [5]
作品によって場所が違います。《丑の刻参り》では着物の模様、《見立孟宗》の初摺では竹の葉に、大の月や小の月を示す数字が隠されました。後摺りでは数字が除かれた例もあるので、どの所蔵品を見ているかを確かめます。 [5] [11]
当世の人物や場面に古い説話、宗教的な存在、和歌などを重ねて見る仕掛けです。《見立孟宗》は中国の孝子を振袖の娘に置き換え、《見立文殊菩薩》は若者を文殊になぞらえます。単なる模写でも、必ずしも嘲笑する「パロディー」でもありません。 [11] [12]
読者との対話
春信の版画を、画題だけでなく版の状態や紙の表情から比べてみましょう。
鑑賞の手がかり
《丑の刻参り》の初摺と後摺りでは、何を読めるかがどう変わりますか。
《見立文殊菩薩》の題名を知ると人物の見方は変わりますか。
花、簾、袖は《A Girl Dressing in Pink》の中でどう結び付きますか。
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参考資料
- 東京国立博物館、鈴木春信の展示・作品解説。紅摺絵、やつし、絵暦、錦絵の時期を確認。
- 太田記念美術館、2015年「錦絵」展。成立時期と制作技法。
- 大英博物館、鈴木春信の作家記録。生年、修業の不確かさ、絵暦交換会、美人画。
- クリーブランド美術館、《A Girl Dressing in Pink》1930.175。
- メトロポリタン美術館、《丑の刻参り》JP2438。1765年の絵暦、数字、注文主・彫師の表示。
- メトロポリタン美術館、《清水寺》JP699。紅摺絵と現存色についての但し書き。
- メトロポリタン美術館、《擣衣の玉川》JP3021。画中の紅摺絵と和歌の作者表示。
- 大英博物館、《丑の刻参り》1925,0406,0.12。後摺りと初摺の暦の数字。
- 千葉市美術館、《座鋪八景 台子夜雨》2933004。巨川、私家版と販売版、鯛屋貞柳の歌。
- クリーブランド美術館、《Woman Running Past a Willow Tree in a Breeze》1942.148。
- 千葉市美術館、《見立孟宗》2993002。初摺の絵暦と後摺り。
- クリーブランド美術館、《Youth as a Stand-in Monju》1930.177。館蔵題「見立文殊菩薩」。
- クリーブランド美術館、《Righteousness, from The Five Virtues》1985.307。館蔵題「五常の内 義」。
- メトロポリタン美術館、《井手の玉川》JP2443。年代と藤原俊成の歌。
- メトロポリタン美術館、《真乳山の暮雪》JP3406。江戸八景と和歌。
- クリーブランド美術館、《Young Woman Looking at a Pot of Pinks》1985.304。空摺りを含む技法。
- クリーブランド美術館、《Young Woman Admiring a Snow Rabbit》1985.306。
- 大英博物館、《Lovers Hunting for Insects》1945,1101,0.8。夜空の摺りについての館の解説。
- メトロポリタン美術館、《Beauty under an Umbrella in the Snow》JP1376。柱絵の判型。
- クリーブランド美術館、《Hatsuito of the Yamashiroya Likened to Bush Clover》1916.1157。
- クリーブランド美術館、《Love at the Brothel Gate》1921.349。
- クリーブランド美術館、《The Courtesan Writing from a Book》1921.1281。
- メトロポリタン美術館、《The Watchers and the Watched》JP876。1764–72年という館の年代幅。
- クリーブランド美術館、《The Heron Maiden Standing Beneath a Willow Tree》1985.310。明治期、春信に基づく作。
- クリーブランド美術館、《Passing the Bamboo Grove》1930.176。館が明治期と記す所蔵品。
- 千葉市美術館、2002年鈴木春信展。約千図という館の推定。





